怠け者


「これ、何だろうね」
僕の言葉に彼女は振り返った。
またか、と言いそうな顔。
「だから、納豆みたいなものじゃないの?」
彼女がうんざりしたような声で言うのを何となく聞きながら、じっとショーケースを見つめる。
――テンペ。大豆の発酵食品。
「そんなに気になるなら買えば?」
「あ……いいや」



僕は彼女によく怒られる。
彼女はアパートに来ると、まず僕の生活のだらしなさに癇癪をおこす。
床の見えない、散らかり放題の部屋。
溜まりに溜まった洗濯物。
食べ終わって空になったコンビニの弁当の容器や割り箸がその辺に転がっていたりして、目につく度にギャーギャー騒ぎ立てながら、手際良く片付けて行く。
僕が呆気にとられている間に部屋の床が現れ、ゴミというゴミが姿を消し、ベランダには大量の洗濯物がはためく。
僕はというと、目の前にお茶が置かれてやっと終わったことに気がつくという有り様だ。
「……今度は北海道?」
僕の傍らにある時刻表の開かれた頁を見て、彼女が言った。
「稚内まで行こうと思ってさ」
「飛行機使うの?」
「使わないと辛いからね」
本当は全部列車を乗り継いで行きたいけれど、こればかりは致し方ない。
「また、津久井君と行くの?」
そうだと言うと、彼女が顔をしかめた。
「実はできてんじゃないの?」
「何言ってるんだか」
そんな訳はない。
「何なら、行く?」
「行かないわよ。電車乗るだけなんでしょ」
「でも面白いよ」
「あたしは面白くない」
彼女とは全く趣味が違う。



スーパーに買い物に行き、戻って来たら彼女は夕食作りに専念し、僕はまた時刻表に手を伸ばす。
名寄で乗り換えて、音威子府で降りて蕎麦を食べて、稚内。
寒いだろうなと思いながら、予定を組み立てて行く。
ふと顔を上げると彼女の姿が目に入った。
そういえば、彼女と旅行に行ったことはない。
一緒に行くのはスーパーやコンビニが大半。
たまに日帰りで出かけることもあるけれど、あれは殆ど彼女の買い物ツアーだ。
昔から旅は別々に行っている。
僕が友人と飛行機や列車の旅を楽しむように、彼女も彼女の友人と温泉に行ったり古都に行ったりするらしい。
この前は京都に行ったとかで、冷蔵庫の中には彼女が買って来た漬物や惣菜やお菓子が並んでいた。



僕の前では母親かと思える程にしっかり者の彼女だが、それは社会生活で作り上げたペルソナで、本当は違うのだと彼女は言う。
家では末っ子で怠け者なのだそうだ。
怠け者だというのは想像つかないが、末っ子なのは何となく分かるような気がする。
……寂しがりで甘えん坊だから。
時々、構って欲しいと目で訴えて来るから。
でも、それを口にすると怒られるから言わないけど。
「何じーっと見てるのよ!」
「へ?」
視線を感じたらしい。
「やらしいっ!」
「え?」
直後、ずかずかと近づいて来たかと思うと、目の前の時刻表をつかんで僕の頭に振り落とした。
……痛い。
彼女は怒ってるオーラ全開でまた台所へと戻って行った。
……やらしいって思うお前の方がやらしいよ。
今、口に出したら確実に殺されるから言わない。



「仕事、どうなったの?」
「辞めることにした」
もう疲れた、と彼女は言った。
僕なんかよりも遥かに給料はいいけれど、人間関係が最悪らしく、よく愚痴を言っていた。
「そっか」
「ちょっと休む」
お互い、魚の骨と格闘しながら、そんなことを話す。
「有給、余ってるから少しずつ消化しようと思って」
「とれんの?」
「とりたい」
とれるといいね、と言ってはみたけれど、多分無理なんじゃないかと僕は思う。
今までだってそうだったから。
「……此処、来てもいい?」
小さな声が聞こえた。
下を向いて、何かを堪えるように。
いつも何かと戦っている彼女。
たまに剥がれ落ちる仮面の下の素顔。
だから、僕にはこんな風にしか言えない。
「いいよ。――ずっといても」
ありがとう、という消え入りそうな声は震えていた。







(終わり)







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