「――いいんじゃないですか」
主治医の言葉に、桜は内心溜息をついた。
……この人、これしか言わないんだもんなあ。
2週間振りの通院。
元の職場で、少しだけ働き始めたことと、アルバイトを増やそうかと考えている、と言ったのだが。
「じゃあ、薬はいつも通りで」
診察は1分。
通院は、薬を貰いに行くだけのものと化している。
確かに桜にとって、薬は生命線だ。
穏やかに日々過ごす為には。
だが。
何か納得いかない。
(話を聞いて欲しいなら、カウンセリングやってる所に行け、ってか)
1時間に何十人もの予約を受ける病院。
待合室から診察室、薬局へと患者は流れるように移動して行く。
まるで、工場の製造ラインの如く。
そうしなければ、採算が取れないということだろう。
この病院を指定して医療費の補助を受けているのは、桜自身ではあるのだが。
それに。
……私の場合は話を聞いたら逆に悪化するだけなのかも知れない。
何も考えず、ただ薬を飲み、淡々と生活することが回復へ繋がるのかも知れない。
――否。
『長谷川さんの病気自体は治っているんです』
……私が甘ったれてるだけなんだろうか。
分からない。
最早、自分自身すら信用出来ない。


――とは言うものの。
貯金が底をつき、アルバイトを増やさざるを得ないのだ。
お金がなくては各種払い込みと通院に支障をきたす。
そこで、元の職場に通う金曜日と土日を除いて、4時間ずつ毎日、というシフトの希望を出した。
アルバイト先の上司は諸手を挙げて喜んだが、桜自身は不安でしかない。
脆弱な精神と、身体。
しかも、バイト先の上司も同僚も病気のことを知らない。
桜が言わないからだ。
此処で病に対する理解を得られるとは到底思えなかったし、それどころか、精神疾患は色眼鏡で見られるのが明らかだった。
母親のように。
あんなにテレビで散々特集を組まれていても。
比較的メジャーな病であると言われていても。
『動けないなんてさ〜、甘ったれてるとしか思えないんだけど』
『何て言うか、根性が足りないよね』
バイト先でそんな言葉を耳にした途端。
桜の気持ちはペシャンと潰れ。
決して病のことは口にしてはいけないと心に誓った。
世の中なんて、そんなものだ。
人間の想像力なんてたかが知れている。
誰しも、自分自身には起こり得ないと思っていることに関しては、思考が働かないものなのだ。



金曜日は毎週やって来る。
頭が痛くても。
お腹の調子が良くなくても。
足取りが異様に重くても。
金曜日は必ずやって来る。
……今から、元気なサクちゃん先生。
桜は深呼吸をして、事業所のドアを開けた。
「こんにちは〜!」
無駄に大きくて元気な声を上げ、事務室に顔を出す。
「こんにちは……って元気だねえ」
1人事務作業をしていた上司が顔を上げた。
「何かおかしなものでも食べたの?」
「何かメラメラと闘志がわいてですね、逆の意味で頓服の薬を飲んだ方が良いような気が」
「飲んでおきなさい! 私は怖いよ、そのテンションの高さが!」
「はあい」
桜はその言葉に従った。
どちらにせよ、飲んだ方が良いに決まっている。
薬を飲んでいると、上司が言った。
「無理にテンション上げると後でドカッと落ちるわよ」
分かってるとは思うけど、と続ける。
読まれていたかと内心思ったが、桜は別の言葉を吐いた。
「そうも言ってられないですよ。子供の前では」
「まあね」
「今日も格闘しなきゃ……ですから」
「程々にしてよ。後で苦労するのはサクちゃんなんだから」
この病の特性か、感情をフラットに保つことが、自分自身を安定させるのに欠かせない。
テンションの上がり過ぎは、不安定に直結する。
上がった反動で同じくらい落ち込むからだ。
「ま、明日と明後日は休みですからね。寝てしまえば問題ないです」
「……なら、いいけど」
そんな話をしているうちに、あっという間に利用者が来る10分前になり、山田が出勤して来た。
「……あの〜、長谷川先生」
桜が振り返ると、山田が言った。
「今日の音楽の時なんですが、夏子さん……ですよね、担当は」
上司が頷くのを視界の隅で確認してから、そうだと言うと、山田は尚も言った。
「あの〜、夏子さん、布遊び苦手みたいなので、またきっと布遊びが終われば戻って来ますから、後ろに行くのを止めないでいてもらえますか」
「いいですけど……その、行動を止めない理由は?」
穏やかに桜が尋ねた。
山田は言った。
「やらない、というのも、一種の自己表現だと思うので、それも私は受容したいと思うんです」
「うーん。でも彼女、やれば出来るとは思いますよ」
「強制はしたくないんです」
「……分かりました。では、全体的に声かけも控えた方が良いですか?」
「いえ、布の時だけで良いです」
「分かりました」
上司が顔をしかめたのは分かっていたが、無視することにした。
まだ、小言を言う時ではない。
そんな気がした。



こんな日に限って、夏子は自主的に送迎車からさっさと降りて、上履きに履き替え、スムーズに活動に乗れていたりする。
……あ〜言いたい。
ちらっと後ろを眺めながら、桜は思った。
……こんな日は一声かければ絶対に此処に座っていられるんだけどな。
しかし、リーダーの指示では仕方ない。
後ろの方で寝そべっている夏子を気にしながら、桜は他の利用者達と一緒に大きな布を振る。
……完全に寝る時間と勘違いしてる気がするし。
夏子の様子を見て桜は思った。
そして、今日も。
夏子は布遊びが終わるとまた戻って来たのだった。



……ヘコむわ。
事業所を出た途端に桜は溜息をついた。
リーダーの山田が言うことに従ったのだから良いと言えば良いのだが。
しかし、今日の夏子の調子の良さから考えるに、どうしても自分が声をかけなかったことに悔いが残る。
……諦めたのと同じじゃないの。
諦めたら終わりなのに。
確かに、事前に指示はあったけれど。
何故、あの場面でリーダーに逆らわなかったのだろう。
遠慮して。
自分はいつからこうなってしまったのだろう。
……情けない。
自分は何の為に此処にいるのだろう。


ナゼ、イキテイルノダロウ。



「……ただいま」
ボソッと言って、桜は誰もいないリビングに鞄を放り出し、台所に向かった。
マグカップにティーバッグを1つ入れて、お湯を注ぎ、リビングに戻る。
ティーバッグからじわじわと紅い色が染み出して来るのをぼんやりと眺めていると、母親が何処からか帰って来た。
「あら、いたの」
「うん」
母親はテーブルの上にどっかりと白い箱を置いた。
「……何?」
「ケーキよケーキ。ちょっと街に出たもんだから」
「ふうん」
生返事ばかりの娘に構わず、母親は着替える為に隣室に入って行った。
「お父さんの服を買いに行ったのよ」
「うん」
「全くもう、擦り切れちゃってね」
「ふうん」
母親はリビングに戻ると、桜の目の前のケーキの箱を開けた。
「お母さんモンブランね。で、お父さんはチーズケーキで良いだろうから……桜はチョコレートね」
母親は皿も用意せずに、直にテーブルの上にモンブランとチョコレートケーキを置き、残ったケーキを冷蔵庫にしまいに行くついでに台所にフォークを取りに行く。
そして、さっさとリビングに戻り、チョコレートケーキとフォークを桜の目の前に置いた。
「食べなさい」
「うん……」
「桜」
「うん……」
母親は溜息をついて、自分のケーキを食べ始めた。
「全く考え過ぎなんだから、あんたは」
固まったままの娘に言葉をかける。
「あんたの仕事場は子供が遊びに来る所でしょう? 子供が楽しめれば良いじゃないの」
「うん……」
「桜」
母親はテーブルをトントンと指で叩いた。
その音に桜が顔を上げる。
「とにかく、今は食べなさい。あんたは此処のケーキが好きでしょう」
「……あのデパートの?」
「そうよ。とにかく食べなさい。考える前に動きなさいよ」
「うん」
頂きます、と言って桜もケーキに手を伸ばした。
「……美味しい?」
「うん」
「もう少し安いと良いんだけどね」
「材料、値上がりしてるから」
「そうね」
お互い、ケーキから視線は離れない。
「今日の御飯はカレーでいい?」
「……また?」
「残ってるんだもの。仕方ないでしょう」
「作り過ぎなんじゃないの」
「いっぺんに作った方が楽じゃない」
「何で家族3人であんな大鍋いっぱいにカレーを作る必要があるのよ」
「沢山作った方が美味しいじゃないの」
「……何日カレーが続くんだか」
「ごちゃごちゃ言わない。だったら自分で作りなさい」
「……絶対手抜きだし」
娘の呟きをあっさり無視して、母親は言った。
「食べて寝ればとりあえず生きていられるのよ」
……そんなものかな。
桜は思った。






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