豊橋駅



通路を人が歩く音が聞こえる。
瑞紀ははっとして目を開けた。
意識が飛んだ、と思った。
少し眠れたらしい。
目の前の網目のポケットからペットボトルを取り出そうと、腕を伸ばしたのだが。
……身体が重い。
隣が寄りかかっていることを思い出す。
腕を伸ばした際に、イヤフォンも外れてしまったので、瑞紀はプレーヤー本体の停止ボタンを押した。
ついでに津久井に取られたイヤフォンも回収してしまう。
寝ながら音楽を聴くのは耳には良くない。
時計を見ると、発車時間にはまだまだ間がある。
停車時間が長いのはこの駅まで。
ホームを散歩したいのだが、動けない。
……起きてくれないかな。
口に出さなくても思いは通じるのだろうか。
左肩が軽くなった。
津久井が目を覚ましたようだった。
さてホームを散歩しよう、と携帯と財布をポケットに入れて立ち上がりかけたら、何故か隣も立ち上がった。
驚いて振り返ると、
「俺も行く」
と言う。
……あ、そう。
結局、連れ立って外に出ることになった。


学生時代は順子がいたので、津久井と2人きりになることはまずなかった。
その方が瑞紀にとっても良かったのだが。
でも、順子が席を外した数分間、2人きりになる機会は何回かあった。
そんな時は大概、鉄道話だったが、瑞紀は一度だけ津久井に違うことを尋ねられたことがある。
『……小野寺って、彼氏いるの』
『いないよ。何で?』
瑞紀が聞き返すと、津久井は言った。
『……意外』
『そうかな』
『いるもんだと思ってた』
『……それはよく言われる』
全くない訳ではなかったが、津久井と出会う頃には消滅していたから、嘘は言っていない。
其処で順子が帰って来たので話は終わったのだが。
……何でそんなこと聞くの?
瑞紀は問いかける筈だった言葉を、心の中で呟いた。


何をする訳でもなく。
ただ豊橋駅のホームを肩を並べて歩く。
途中、自販機で津久井はペットボトルを購入していたが。
ただ、歩くだけ。
「小野寺、今、彼氏いるの」
……また、同じだ。
「いないよ」
「……じゃあ、俺、手ぇ出していい?」
「は?!」
瑞紀は思わず振り返ってしまった。
「寝ぼけてんの?」
「起きてるよ」
「寝ぼけてるとしか思えないんだけど」
「生憎、頭ははっきりしてるよ」
津久井は言葉を続けた。
「小田急でも同じ車両にいただろ。あの時は逃げられたと思ったけど、夜行の車内で隣だって分かった時に何て運がいいと思ったよ、俺は」
……気づかれていた。
背中に汗が流れていく。
駅構内の熱気が原因ではない筈だ。
「指定券見て更に嬉しかったし、流石に行き先は違ったけど、京都までは一緒だからね」
少し、間をおいて。
「8時間は小野寺に逃げられずにいられると思ったよ」
その笑顔には普段の爽やかさは欠片もない。
こんな津久井は知らない。
――怖い。
だが、瑞紀は此処で負ける訳にはいかないと思った。
怯えを外に出さないようにわざと笑顔をつくり、逃げ出したくなるのを堪えて殊更にゆっくり歩く。
「笑顔が強ばってるぞ」
「……別に」
津久井は更に言う。
「小西と別れた原因、小野寺だから」
「……嘘つけ」
「本当だよ。あいつはどう言ったか知らないけどさ、俺がずっと小野寺のこと好きだったのをあいつ知ってて、最初からそれを承知で付き合ってたんだからな」
「そんな……」
では。
順子が『ついていけない』と言った、その意味は。
……好きな人がずっと他の人を見ていることに、耐えられない。
津久井には心の底から尽くし。
瑞紀の前では懸命にラブラブなのを強調し。
どんなに辛かっただろう。
「……酷い男」
順子のことを思うと涙が出て来る。
泣いているのを気づかれぬよう、瑞紀は津久井から顔を背け、そっと涙をぬぐった。
そのまま一緒に車内に戻ったのだが、瑞紀は独り荷物を置いたまま席を離れようと思った。
とてもではないが、津久井の隣にいるのは耐えられない。
しかし。
津久井は、瑞紀の上着の裾を掴んで、言った。
「逃げるのは構わないけど、大垣まで長いし、ほとんど寝てないんだから、出入口の辺りでふらついたりしたら周りに迷惑だろ」
この先は殆どの駅に停車する。
従って、ドアの開け閉めも頻繁で、人の出入りもある。
「そんなに嫌なら俺が席を離れるけど」
「……いい」
瑞紀は大人しく席に座った。
最早、意地だった。
イヤフォンを耳に当て、シートに深く腰かける。
津久井は窓に寄りかかるようにして頬杖をついた。
そして列車は豊橋駅を発車した。

――あと、4時間。






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