残暑見舞


『残暑御見舞申し上げます。
御元気ですか。
僕は元気です。
毎日のように朝風呂を楽しみ、酒を呑み、昼寝をし、夜は――。』



「ちょっと待てっ!」
僕は叫んだ。
「これじゃあ何処かのオヤジみたいじゃないか!」
『違うのか?』
右手にある万年筆はぬけぬけとそんなことを言った。
「違うだろ! しかもこんなの先生に出せる訳ないし!」
『何を言う。大体以前世話になった女教師に下心を持って便りを出――』
「やかましい!」
僕は慌てて万年筆の言葉を遮った。
「僕はただ季節の挨拶をしてるってだけだろ!」
『偽るのは良くないぞ』
「普通の文面でいいんだよ、普通の文面で! 変なこと書くなよ!」



亡くなった祖父は、晩年、認知症の症状が進み、施設で暮らしていた。
若い頃から筆まめな人だったようで、入所してからも別れて暮らす家族に便りを寄越した。
その文面を見る度に、施設職員や僕達家族は不思議に思った。
――あんなに症状が進んでいるのに、どうして手紙の内容は正常なままなのだろう。
季節感も。
起きた出来事も。
文法も。
宛名には1つの誤字も見当たらない。
――手紙を書いている時は認知症の症状が治まるんですね。
施設職員はそう言い、息子である父も、その時だけは元の祖父に戻っているのだと思っていた。
勿論、僕もそう思っていた。



形見分けで、祖父愛用の黒い万年筆を貰うまでは。




『血は争えぬとはよく言ったものだな』
付喪神となった万年筆は僕の頭の中に呼びかける。
『アキラも若い頃から散々私で嘘偽りを書きおった』
「あのさあ」
僕はちらっと万年筆を眺めた。
「こういうのって持ち主の超個人情報でしょ? 守秘義務とかあるんじゃないの?」
『万年筆にそんなものはない』
「信頼なくすよ?」
『他人に知られたら困るようなことを私で書く奴が悪いのだろうが』
「……じいちゃんの棺桶に入れてやれば良かった。そうすればこの口の軽い万年筆がじいちゃんの秘密を暴露することもなかっただろうしさ」
『それは気の毒なことだったな』
「お前が悪いんだろ!」
捨ててやる、と悪態をつくと、万年筆は言った。
『手紙の書き方を一から教えてやったのは誰だったかな』
「その件では大変お世話になりました。ですから、そろそろ祖父の後を追って下さると助かるんですけどね」
『やれるものならやってみろ』
「ちゃんと捨てますから、今度は帰って来ないで下さいね」
一度、この口煩い万年筆に嫌気がさして、祖父に心の中で詫びながら捨てたことがある。
しかし、翌日。
万年筆は机の上のいつもの定位置に置かれていた。
祖父と違って、この付喪神となり果てた万年筆の方はこの世にまだ未練があるらしい。
『アキラから孫の所に行けと言われた時は、若い女の子に使って貰えると喜んだのだがな。また、男かと……』
「フミコじゃなくて残念だったな」
『まあいい。フミコは容姿も気だてもそれほど良い訳ではないし、若いだけが取り柄の――』
「確かに事実だけど、妙にムカつくな」
『胃薬でも飲め』
「胃薬飲んでどうにかなるくらいなら、とっくに飲んでるよ」
『フミコにはドクダミでも煎じて飲ませろ。そうすれば、毒素が抜けて少しはまともになるかも知れない』
「あのね……」
兄の自分から見ても、少々――いや、かなり化粧が濃かったり、首をかしげるような服装を好む妹ではあるが、毒抜きだの何だの言われると何だか可哀想に思えて来る。
『お前もお前だ。好きな女には、手紙なんて書くものじゃない。こんな証拠を残すなんてことをせず、いきなり――』
「わー! わー! わー!」
僕は慌てて万年筆の言葉を遮った。
「何でそんなに考え方が俗っぽいんだよ!」
『世俗に生きているのに、俗っぽくて何が悪い』
「……」


悪くは、ない。




とにかく、残暑見舞は書き直しだ。
下書きをしたいのは山々だが、何故かこの万年筆、下書きという行為を嫌がる。
曰く。
『手紙等というものは、気持ちを込めて一気に書くべきなのだ。下書きは邪道だ』
字を間違える可能性は考えないのだろうか。
『私が間違える訳がない』
確かに間違えないけれど。
でも、どんな人間――いや万年筆でも、間違えることはあると僕は思う。
思う、のだが。
『下書きをしたところで、間違える時は間違える』
そんな訳で、僕は新しい葉書を手に取った。



『残暑御見舞申し上げます。
お元気ですか。
僕は元気です。
今年の夏は勉強や部活に忙しい日々を送っていま〜〜〜す』


「わー! 何だよこの波線は!」
『夏らしくて良いだろう』
「そんなのいらないよ! 僕は普通の残暑見舞が書きたいんだ!」
『普通とは何だ普通とは。あわよくばその女教師をどうこうしようという下心を持った残暑見舞の何処が普通なんだ』
「下心じゃないっ! もっと当たり障りのないやつがいいんだってば!」



『残暑御見舞申し上げます。
お元気ですか。
僕は元気です。
毎日勉強やアルバイトに励み、充実した夏休みを過ごしています。
暑い日が続いていますが、身体には気をつけて下さい』


『……納得がいかない』
「何だよ? これでいいんだよ」
『面白味がない』
「そんなのいらないよ!」
『インパクトがなければ覚えて貰えないぞ』
「いいんだってば、これで!」
『こんな嘘だらけの内容の葉書に宛名を書きたくない』
「うるさい! そんなワガママ言うな! 他のペンに替えるぞ!」
『宛名と中身が違う筆記具でもいいのか?――葉書で』
「……」


言い返せない。




『残暑御見舞申し上げます。
暑い日が続いていますが、先生は如何お過ごしですか。
僕は自宅のエアコンが壊れてしまったので、アルバイトに行ったり図書館に行ったりして、昼間はなるべく家にいないようにしています。
また学校に遊びに行きたいです。
建物の中と外の気温の差が激しい時期、身体には気をつけて下さい。
お元気で。』


宛名を記入して、ほっと息をついた。
「……あのさ」
『何だ』
「じいちゃんの手紙、何で書いてたんだよ」
自力で書けなかったんだから、別に代筆しなくても良かったのに。
万年筆は言った。
『アキラが書きたいと言ったからだ』
葉書を前に万年筆を握る、老眼鏡をかけた祖父。
柔らかな笑顔を浮かべて、家族への思いを万年筆に託す。
そんな風景が目に浮かんだ。
「……そっか」
スコールの後の涼やかな風に紛れて、僕は小さく呟いた。



また、蝉が鳴き始めた。





(終わり)






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