炎天



――また、夏が来た。


煩い程に蝉が鳴き、太陽は痛い程に照りつける。
風も殆どなく、庭の樹木でさえもこの暑さが堪えるのか枯れかけている。
その中でも僅かに残ったオアシスのような、日の当たらないひんやりとした板の間の縁側。
軒下には、古ぼけた風鈴が所在なげにぶらさがっている。


――また、夏が来た。


縁側で独り、理恵はひっそりと呟いた。




――夏は嫌いだ。


理恵を可愛がってくれた祖母も。
仲の良かった友達も。
丈夫な身体も。
失ったのは、全て夏。
失うのはいつも夏。
理恵は思う。
――わたしが冬生まれなのがいけないのかも知れない。
夏の神様に嫌われているのかも知れない。
いつか、わたしはきっと溶けてしまう。
――氷のように。
氷は溶けて水になり、水は太陽に焼かれて蒸発してしまう。
そして。
わたしという存在は跡形もなく消えてしまうのだろう、と。



夏が楽しみだった頃もある。
学校は休み。
朝から晩まで友達と自転車で走り回ったり、プールで泳いだり。
宿題はいつも8月30日から纏めて片付けて、あとはずっと遊んでいた。
あの頃は夏の全てが好きだった。
よく冷えた西瓜。
大きなアルミのヤカンに入った麦茶。
蝉の声。
照りつける太陽。
甲子園の様子を映すテレビ。
盆踊り。
それが、いつの間にかその全てが嫌になった。
何もしていないのに、何処からともなくじわじわと湧いてくる汗が鬱陶しい。



――夏は嫌いだ。




「……何してんの」
いつの間にか生まれた時から隣に住んでいる人間が理恵の前に立っていた。
いつも勝手に庭から上がり込む幼馴染み。
「……休み?」
「日曜だよ、今日は」
呆れたように言って、無断で縁側から座敷に上がって行く。
台所にある筈の麦茶を飲みに行ったのだ。
いつものことだ。
隣人は、首尾よく冷蔵庫で冷やした麦茶にありつき、コップで1杯あおってから、理恵の隣に戻って来る。
「調子いいじゃん、今日」
理恵は本当に具合が悪い時は布団から出られない。
今日は何もしていないが、一応着替えて縁側に座れているだけマシというものだ。
「……まあね」
こっそり溜息をついて、言葉を返す。
健康面で全く問題がないこの隣人には自分の辛さなど分かる訳はない。
大体、人が近くにいること自体暑苦しいし、不快だ。
しかし、理恵は病んでから表情が乏しくなっているので、周りからは気づかれないことが多い。
「……香澄さんは?」
休みの日ごとにこの幼馴染みが連れ立って出かけている、相手の名前を理恵が口にすると、彼は一瞬だけ顔を曇らせた。
そして、すぐにいつもの図々しい幼馴染みの顔に戻る。
「ああ……別れた」
「え……?」
理恵は思わず隣を見た。
「いつ……?」
「昨日」
「……」
かれこれ10年近く付き合っていた筈なのに。
「長過ぎた春?」
「……そうかも知れない」
幼馴染みは笑った。
なのに。
理恵は視線を膝に落とした。
そして。
「……ごめんなさい。知らなくて」
そう、小さな声で呟いた。
ほんの少し、幼馴染みの笑いに苦味が混じった気がした。



「そおいや、鹿島が結婚したらしいぞ」
「……相手は吉田さん?」
「よく知ってんな。デキ婚らしいけど」
鹿島は理恵が元気だった頃に付き合っていた彼氏だった。
理恵が健康を害すると共に、繋がりもなくなってしまった。
あっさりと。
そして。
気がつくと、鹿島の隣には新しい女がいた。
仕方ない、と理恵は諦めた。
身体を壊した自分が悪いのだ。
だから諦めるしかない、と。
こんな身体では人並みの幸せなど望めない。
「おめでたいことじゃないの」
「……興味ないのか、最早」
「ない訳じゃないけど……そういう運命だったんだろうし」
「お前は仙人か」
「どうして?」
「……もう、いいよ」
恐らく今のは自分に対する嫌がらせとしての話題だったのだろうと理恵は思う。
しかし。
自分にとって、鹿島も吉田も最早遠い世界の人間なのだろう。



――本当に、何とも思わないのだから。




「もう少し涼しくなったら、ドライブでも行くか」
「車酔いするからいい」
「酔い止めを飲め」
「薬はもう嫌」
幼馴染みは大袈裟に溜息をついてみせた。
「もう、ワガママなんだから。おかーさんはそんな子に育てたつもりはありません」
「……性別変更したの?」
「してないから。其処は突っ込む所じゃないから」
ああもう、と幼馴染みは頭をぐしゃぐしゃにしながら言った。
「たまには大人しく他人の車に乗れって言うんだよ」
「……乗らないよ」
親の車ならともかく。
他人の車はすぐに酔う。
この幼馴染みは煙草も吸うから、尚更だ。
「……車、換えたんだよ」
「ふうん」
「換えてから煙草はやめた」
「……いつまで続くことやら」
「もう吸わないよ」
「車、買い換えたのはいつ?」
「先週」
「……大丈夫よ。来週にはまた吸えるようになってるから」
「吸いません」
「……」
せいぜい頑張って、としか理恵には言えない。
しかし、この隣人は。
「また、川に行きたいし」
そう、人懐こい笑みを浮かべて言う。
子供の頃。
夏休みに2人の家族が揃って川に水遊びに出かけたことを言っているのだ。
でも。
もうあの日々は戻らない。
「山の空気は美味しいし、川に吹く風はきっと涼しいよ」
――そんなに行きたいなら、独りで行くなり別の誰かを連れて行くなりすればいい。
理恵はそんな言葉を飲み込んだ。
言っても仕方のないことだ。


蝉の声が響き渡る。




さわさわと庭の樹木が揺れ、軒下の風鈴を鳴らし始めた。
襟足を緩やかに風が吹き抜け、少しずつ汗が引いて行く。
「……じゃあ、帰るわ」
「うん。またね」
幼馴染みは庭に降りて、振り返らずに手を振りながら、理恵の視界から消えた。
理恵は縁側から空を見上げた。
相変わらず溶けてしまいそうな、強烈な陽射しに溜息をつく。
風に揺れる樹木をぼんやりと眺めて。


――早く秋にならないかな。


目を伏せ、そっと呟いた。




(終わり)






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