酸漿


それに思い当たったのは、一昨日のことだった。
――来ない。
しかも、込み上げる吐き気。
思い当たる節は、あった。
自宅での検査は陽性。
まだ病院には行っていないけれど、間違いないと思われた。
……私はそろそろと電話に手を伸ばした。


体調不良が尾を引いて、仕事を辞めたのは2ヶ月前。
暫くは自宅療養に励みながら、通い妻のようなことをしていた。
しかし、彼も仕事で身体を壊して実家に戻ってしまったので、最近は遠距離になっていた。
お互い、非正規雇用の身の上。
いつもお金はなかったけれど、独り身だし、それなりに食べて行けていた。
しかし、今はお金が必要だ。
働かなければならない。
働かなければ。



元の職場に電話をしたら、臨時の仕事が少しあったので、再び職場に通い始めた。
失業してからずっと放ったままだった保険証も作った。
しかし。
身体の変化をまだ誰にも言えてなかった。
……言わなきゃ。
少なくとも、1人には。



病院に行った。
思った通りの結果だった。
「ほら、動いているでしょう」
確かに、其処には命があった。
この身体は私の身体なのに、私でないものが其処にいた。
不思議な感覚だった。
思わず、お腹に手を当てた。
産みたい、と思った。



「……無理、だと思う」
2週間振りに会った彼に打ち明けた。
その答えが、これだった。
多分そうだと思っていた。
彼には2人も養う経済力はなかったし、私にもない。
精神的にも参って実家に戻った人には酷な現実だった。
一応、頑張ってみる、とは言ってくれたけれど。
その後も何度も話し合ったけれど。
やっぱり無理だった。
分かっていた。
愛情だけではどうにもならない。
結局、世の中お金なのだ。
人間、お金がなければ生きて行けない。
子供を産むのも育てるのもお金がかかる。
――そして。
産みも育てもしない私も、手術代を捻出する為に臨時の仕事に行かざるを得なかった。


命を握り潰すにもお金は必要なのだった。



「……馬鹿?」
話を聞いた姉の第一声が、これだった。
続いて、発せられた言葉は。
「何で避妊しなかったのよ」
「何で、って……」
大丈夫だと思ったから、と私が言うと、姉は溜息をついた。
「安全な日なんかある訳ないでしょ、特にあんたは生理不順なんだから」
私が何も言い返せずに黙っていると、姉は更に言った。
「それとも、産んで育てるつもりでいたの?」
――あんたに出来る訳ないでしょ。
言外に、そんな言葉を滲ませて。
男性とは無縁で、仕事一筋の姉には理解不可能かも知れないが、両親よりはマシだと思ったのに。
言うんじゃなかった。
そう思ったし、悔しかった。
そして。
「……馬鹿じゃないの」
姉はそう呟いて背を向けた。




――ゴメンナサイ。


どうしようもなくて、泣いた。
私も、彼も。
私達はこの事実を忘れてはいけないし、きっと忘れられないだろう。


――ゴメンナサイ。


一生背負って生きて行くと思う。
胸の痛みも。
辛さも。
人を殺す罪も。
身体にかかるリスクも。
もう、大事なものを失いたくはない。
失わずに済むように為すべきことは、何か。
考えなければならない。
もう、こんな思いはしたくない。


――だから。




チャイムの音に、私はハッと顔を上げた。
はい、と返事をして、のろのろと荷物を持って立ち上がる。
車で迎えに来てくれたのだ。
次に目が覚めた時、もう私は独り。


「――さあ、行こう」



そして、私はドアを開けた。





(終わり)






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