四十三分。


何でも、いい。
上から降ろしてくれるなら、何でもいい。
ロープでもワイヤーでもいい。
藁でも蜘蛛の糸でもいい。
その端が、別の場所と繋がっているなら。

誰か、助けて。
私を救って。
私を此処から連れ出して。
私を。

――私を。



――今日は最悪。
玲奈(れな)は帰宅するなり、ベッドに倒れ込んだ。
朝から寝坊。
学校は遅刻して、先生から出席はギリギリだと説教され。
密かに狙っていた林君には半同棲の彼女がいるらしいという話を小耳に挟み。
バイトはミス連発で社員に怒られ。
なりふりかまわずに人やらモノやらに当たりたくたるが、そんな日に限って、ハハオヤは夜勤、姉は部屋に籠って猛勉強、学校の友達は誰も捕まらない。
頭は飽和状態だ。
とにかく、布団を被ってやり過ごすことにした。

――けれど。



……眠れない。
頭の中は色んなものが渦を巻く。
玲奈はボソッと呟いた。
「分かってる」
分かっている。
朝寝坊も。
遅刻も。
彼女がいると聞いて落ち込んだのも。
バイトのミスも。
全部。
……私が、悪い。
玲奈は眠ろうと何度も試みるが、頭は冴えるばかりだ。



『電話してよ〜、玲奈ちゃん』

ふと、思い出した。
もしかしたら。
――いや、メイワクかも知れない。
でも。
もしかしたら。
玲奈は起き上がり、携帯のアドレス帳を呼び出した。
時計表示は21時2分。
まだ、大丈夫な気がする。
きっと。
――だから。



オネガイ、タスケテ。




コール、1回。

2回。

3回。

4回。

5回。

6回。

7回。


「はい」



ツナガッタ。



――息を、のんだ。



「てっちゃん?」
「どーしたの、玲奈ちゃん」
「今、平気?」
「大丈夫だよ。――珍しいね、玲奈ちゃんから電話かけて来るなんてさ」
「うん。何となく。てっちゃん元気かなあと思って」
「うん。大丈夫。玲奈ちゃんは?」
「ええと……普通に学校行って、バイト行ってる」
「大変?」
「うーん。大変て言えば大変だけど……」
玲奈は相手の状況を思い浮かべた。
自分は学生で実家暮らしで呑気な身分なのに対して、彼女は同い年で既に結婚し、夫との2人暮らし。
自分よりも気苦労はきっと多い。
一時期、実家に戻っていたこともあるくらいだから。
「……まあ、ぼちぼちやってる」
そんな言葉しか出て来ない。



「てっちゃんは?」
相手の近況を尋ねてみる。
「うーん……ついこの前まで入院してたんだ〜。何かさ〜流産しそうになっちゃって〜」
「ええっ?! 大丈夫なの? 確か前に流産したことがあったよね?」
「そうなのよ〜。最初ちょっと不安定で入院するしないで揉めてね〜。大人しくしてたんだけどやっぱり駄目で、入院になっちゃってさ〜。お金かかっちゃってね〜」
「うわあ……それは」
「退院してからじっとしてたらかなり良くなったから、ちょっとふらふら買い物とか行ったらまた具合悪くなってね〜。もうずっと外に出てないの」
「夕飯の買い出しも?」
「それも時々代わって貰ってる」
「な、何か大変だね……」
「そうなのよ〜。うち、ネットも最近うまく繋がらなくてさ〜、ミクシーとかも全然見てなくて、本当に外の人と話すの久し振り」
「そ、そっかあ……。ストレス、溜まるねえ」
「溜まる溜まる。喋るの旦那だけだもん。うち、営業とかの電話もかかって来ないしさ〜。退屈で退屈で」



「編み物とかすれば?」
玲奈は思いついたままに口にした。
すると。
「あたしそういうの苦手だもん。やったことないしさ〜」
「そうだっけ?」
「そうだよ〜。どっちかって言うと、そういうのはサトちゃんが得意でさ〜」
「ああ、サトちゃんね」
急に、一緒に学生をやっていた頃の記憶が甦る。
鮮やかに。
「あの子、普通にマフラーとか手袋とか自分で編んでたじゃん」
「てっちゃん、教えて貰ってなかったっけ?」
「マフラーをね……」
「編んでたでしょ?」
「編んだよ。編んだけどさ〜、やっぱり向いてないって思って、それっきり。買った方が綺麗だし楽だし安いもん」
「……それは確かに」
「玲奈ちゃんも編んだでしょ、あの時」
「まあ、ねえ」
「彼氏に渡したんだっけ?」
「編み始めた時は渡そうと思ってたけど、やめた。折角自分で編んだのに、何で他人にあげなきゃなんないの、とか思って」
「そんなだから別れたんだよ」
「うるさいな」
思わず、笑みがこぼれた。



「楽しいね〜、話すのって」
一頻り笑って。
しみじみと、彼女は言った。
「ありがとう、電話してくれて」
「いえいえ」
「何かちょっと元気出た」
「それは良かった」
そう言ってはみたけれど。
――違う。
元気を貰ったのは、私の方だ。
玲奈は心の中で思う。
「また、お茶しようね」
「うん。今度はてっちゃんちの近くでね」
「そうだね〜」
「家の方がいいかな」
「うーん。片付けるのやだなあ」
「別にいいよ〜。私の部屋よりは綺麗なんじゃないの?」
「そんなことない。今、凄いから」
「分かった。じゃあ、てっちゃんちの最寄駅の近くにしよう」
「それがいいよ〜」
「でも、子供が生まれてからでしょ? やっぱり外は無理じゃ……」
「子供は旦那に頼む!」
相手の言葉に笑って。
「長々とごめんね〜」
「いいのいいの。うちは旦那が遅いから」
そして、彼女は言った。
「本当に電話ありがとう」
だから、玲奈もこう返す。
「どういたしまして」
そして。
「じゃあ、またね」
「おやすみ〜」


電話を切る。
携帯の時計表示は21時45分。



玲奈はまたベッドに寝転がる。
あれほどぐるぐると渦巻いていた今日の失敗の記憶は、何処かに飛んで行ってしまったようで。
「……『ありがとう』なんて、ずるいよ」
ポツリと呟いて。
「私が、ありがとうって言わなきゃいけなかったのに」
目の前に垂らされた糸。
救われたのは。
助けられたのは。
――私、なのに。
「先に言われちゃったら、言えないじゃない」


ありがとう。


言えなかった言葉を、携帯の画面に向かって言ってみた。
気づくのも。
肝心な言葉を発するのも。
いつだって、遅い。
……今度会える時には、自分から言わなきゃ。
だから。
身体を大事にして欲しい。
今度こそ無事に赤ちゃんを産んで欲しい。
……きっと大丈夫だよね。
玲奈は微笑んだ。



そして。

春が、やって来る。



(終わり)






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