黄色い花


「せんせー、どれがいい?」

差し出されたのはカラフルな手作りのコースター。
「黄色がいいなあ」
手のひらの上の、そのフェルト製の黄色い花は、亜里(あり)の冷え性の手をほんの少し暖めてくれたような気がした。


亜里が多実子(たみこ)にピアノを教えるようになって、5年になる。
初めて来た時はまだ小さかった多実子も、今では亜里が見上げる程に背が伸びた。
練習嫌いなのは相変わらずだが。
それでも此処に来ているのは、多実子が練習は嫌いでも、ピアノが嫌いな訳ではなく、亜里と他愛もない話をすることを何よりも楽しみにしているからだ。


「引っ越すから辞める」
そう聞かされたのは先月のこと。
父親が転勤になり、親の方針で、家族揃って移住することに決まったのだと言う。
「学校、変わりたくない」
多実子はポツリとそう漏らした。
そっか、と亜里は言った。
「でも、多実ちゃんなら、きっと新しい学校でもやって行けるよ」
うん、と多実子は笑って頷いた。
少し無理をしているように見えた。


最後のレッスンの曲は、《エリーゼのために》。
多実子はこの曲が気に入ったのか、珍しくよく練習していた。
教則本はろくに練習しないから、今日も惨憺たる結果だったが、《エリーゼ》はきちんと曲として仕上がっている。
「上手くなったね」
楽譜に花丸を書いてから、亜里は言った。
「これなら人前で弾いても大丈夫だよ」
「超練習したもん」
多実子は鼻息も荒く、得意気に言った。
「そうだね」
亜里は微笑み、そっと楽譜を閉じて、多実子に手渡した。
「今日はこれでおしまい」
「有難うございましたっ」
多実子は立ち上がり、後ろのソファーの上の鞄に楽譜をしまった。そして、振り向いて言ったのだ。

「せんせー、どれがいい?」

多実子の手には、花の形をしたカラフルなコースターが数枚。
どれも色が違っていた。
赤、青、黄色、緑、桃色。
「黄色がいいなあ」
すると、多実子は黄色のコースターをサッと亜里の手に押しつけた。
「あげる」
「いいの?」
「うん。みんなにあげるから」
手先が器用な子なのは知っていたけれど。
まさか、週に1度しか会わない、ただのピアノ教師に手作りの餞別をくれるとは。
「ありがとう」
でも、使うの勿体ないな、と亜里が言うと、多実子は嫌な顔をした。
「使わなきゃ意味ないじゃん」
「そうかなあ」
「ちゃんと使ってよ」
「分かった。カップとか置くから」
亜里の言葉にやっと安心したのか、多実子は笑った。
「じゃあね、先生」
「気をつけて帰ってね」
そして。
「向こうでも頑張ってね」
「うん! じゃあね〜!」
多実子は手をぶんぶん振って、走って帰って行き。
亜里はその姿をいつまでも見送った。


居間のテーブルの上。
亜里の目の前には黄色のコースター。
じっと眺めてから、珈琲をいれたマグカップをコースターの隣に置いた。
「やっぱり上には置けないよ」
あまりにも綺麗な黄色の花。
多実子にとっては、コースターを作ることも、それを他人にあげることも、大したことではないのかも知れない。
それでも。
まるで、自分のことを忘れないで欲しいと叫んでいるような気がするのは何故だろう。

「……ガンバレ」

そう、小さく呟いて。
明日、100円ショップでコースターのカバーになるようなものを買って来よう。
コースターを眺めながら、そんなことを考えつつ。
多実子が何処にいても幸せでいられますように。
亜里は、そう祈った。




(終わり)






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