聴こえる音


「冗談じゃねーよ……」
届いたメールを見て、あたしははーっと溜息をついた。
「……全く。あたしにどうしろと」
鞄の中から楽譜を取り出して。
また、溜息。
「編曲なんか、やったことないし」
大体、楽譜も殆ど書いたことないのだから。
昔、神経質でオニのようなピアノ教師から多少習ったが、それだけだし。
でも。
「やるしかないのかなあ」
そう呟いて、仕方なく五線紙を買いに出かけた。


ことの起こりは、2日前。
サークルでの飲み会でのこと。
あたしは、ボランティア・サークルなるものに入っている。
活動内容は、学校の近くの福祉施設でのボランティア。
其処でおじーちゃん・おばーちゃん達と一緒にお話ししたりお茶飲んだりしている。
で、その飲み会の日も活動はあって、サークルから数名が参加したのだが。
その日、たまたま施設では音楽家の皆さんが演奏会を開いてくれていた。
ドレスを身に纏い、美しいクラシックを演奏してくれた。
あたしは純粋にキレーだなあと思ったのだが。
「何か、違うんだよ」
部長が言った。
「だってさ〜、クラシックって違くない?」
はあ。そうですかねえ。
「あそこにいる人達がクラシック聴いて育ったと思う?」
……多分、違うとは思うけど。
「あの人達に馴染みがある曲をやった方が絶対いいって!」
何故か、部長は力説。
何故か、周りが同調。
よくよく話を聞いてみれば、今日の参加者がブラバン経験者で実は以前に別の施設慰問の演奏経験があり、更に楽器持ちだということが判明。
確かにあたしもブラバンやってたけどさ。
入部の際に希望楽器の欄を空欄にしたら打楽器に行かされて、あのブラバン独特な体育会系のノリについて行けずにドロップアウトしたクチだから。
無理だから、絶対。
「え〜、有紗(ありさ)ピアノ弾けるじゃん」
……まあ、多少は。
「伴奏やってよ」
……はああああっ?!
やる気ないから、他の人に頼んでくれという願いは聞き届けられることはなく。
更に。
楽器の編成は、フルート2人にクラリネット1人。
当然、言い出しっぺの部長が楽譜を用意するということになり、数日後に人づてに渡されたのだが。


……コード譜かよ。
(注:メロディと、和音を知らせるアルファベットのみの楽譜。伴奏は書かれていない)
伴奏、自分で作れってか。
しかも。
「何かさ〜、合奏したいよね」
……すればいいじゃん。
「部長が言ってたんだけど、楽譜、探してもないんだって」
……じゃあ、駄目じゃん。
「有紗、作って」
……やだよ。あたし出来ないし。やりたい人がやればいいじゃん。
「何で有紗ってそんなにやる気ないの?」
……これ以上負担が増えるのやだし。
だからさあ、合奏だろーが編曲だろーがやりたい人がやればいいんだよ。
――と、言った数時間後に部長から来たメールが。
『施設の職員さんにやるって言っちゃったから、やって』
……ナニソレ。
つーか、フルートとクラリネットでしょ?
編曲なんて面倒なことやんなくても、メロディをユニゾンで吹きゃあいいんじゃないの?
『伊藤さんクラシックの声楽習ってるんだって。歌聴かせて貰ったら超ウマイの。あの歌にはぴったりだし歌って貰うから、それ用にお願い』
だからそれを何故あたしがやらなきゃなんないの。
『みんな楽器やるの久し振りで、音出るかわかんないから練習しなきゃなんないし、忙しいから』
あたしは最後の言葉にキレた。
確かにあたしはみんなよりは少しはヒマだ。
彼氏いないから。
部長が言外に言ってるのは、そういうことだ。
『だから、よろしく』
ふざけんな。
ムカついてしょーがなかったけど、その時、頭に浮かんだのは施設のおじーちゃん・おばーちゃん達や、いつも親切な職員さん達の顔。
期待を裏切っちゃいけない。
これを最後に、あんな自己チューな人間だらけのサークル辞めよう。
そう、決めた。


久し振りに埃だらけのピアノの蓋を開けた。
ちょっと鍵盤の上を拭いてから、合奏の曲を楽譜を見ながら弾いてみた。
メロディはそんなに難しくない。
コードは勉強したことないけど、それでも何となく分かる程度のものだから、一応、両手で弾ける。
でも。
……ピアノ、何か微妙に音が狂ってる気がする。
調律、ずっとやってないから仕方ない。
真新しい、五線紙のルーズリーフを合奏の曲の隣に置いてみたけど。
……なーんも思いつかない。


『違うでしょ! よく聴きなさい!』
ピアノ教室なんだから、ただ弾けばいいのかと思いきや。
あたしが習った所は違った。
聴音といって、先生が弾いた音を楽譜に書き取るのをよくやらされた。
単音のメロディを聞き取るのは何とか出来たが、問題は和音。
音が幾つか重なると分からなくなる。
『一番下と一番上は必ずとりなさい!』
『何で真ん中が分からないの!』
『全く耳が悪いんだから! 和声の規則考えて中を埋めなさい!』
ピアノ教師はヒステリックに怒鳴り散らし。
あたしはよく家に泣いて帰り。
ピアノ教室に行く時間になるとお腹が痛くなることが増え。
堪りかねて親に泣きつき、辞めた。
鉛筆で、ト音記号とヘ音記号を書いて、大譜表(注:一般的なピアノの楽譜)を作る。
小節の線を書き、コードの音を実際に楽譜に書いてみる。
……成程。こんな進行なのか。
頭の中がすっきりする。
何か、見えて来そうな気がした。
あのオニ教師の下で泣きながらやってたことも、あながち無駄じゃなかったかな。
そう思った。
そして。
書き込んだ和音の一番上の音を順番に弾いてみた。


その時。
頭の中に、フルートの音が鳴り響いた。


いける。
書けるかも。
あたしは、頭の中で聴こえた音を頼りに鉛筆を走らせた。
頼むから、消えないで。
もう少し。あともう少しだから。
そう願いながら、消えつつある音を必死で書き取ってゆく。
殴り書きのような音符の列。
その下に、コードを参考にまた音を綴っていき。
何度となく弾いては響きを確認し、音を変えて書き直した。
真っ白な五線紙はあっという間に真っ黒になった。
その間に来たメールは無視。
あたしは夢中になって音符を書きなぐった。自己チューな連中のことを忘れて。
怒りも忘れて。
作業に没頭した。


日が落ちて。
部屋が真っ暗なのに気づく頃。
走り書きの楽譜は全て音が埋まった。
灯りをつけて、新しい五線紙に清書しながら。
あたしは思った。
……あたし天才かも。
編曲なんかやったことなくて、パソコンとかその手の音楽ソフトもないのに。
音の狂ったピアノ1つだけで。
何か、凄い達成感だった。
あのオニ教師に感謝しなきゃね。
あたしは着信ランプがチカチカうるさい携帯を手に取った。


泣いたことも、怒ったことも。
忘れたいくらい嫌な記憶も。
生きてきた中で、無駄なことなんて1つもない。
今やってることだって、これからどっかで役に立つことがあるかも知れないし。

……ま、今作ったコレは駄目出しされるかもだけど。

「あ、部長っ、すみません。えっと〜作ったんで、明日ちょっと見てもらえないでしょうか……は? デート? あの〜、日にちも迫ってるんで、そんなんキャンセルして下さい。……オッケー出たら、パート譜作んなきゃいけないんで。楽譜書くの時間かかりますし、合わせる時間もとらなきゃでしょ? ……何だったら部長、パート譜書きます? あたし、バイトとかあるんで。……はい、明日。宜しくお願いしますっ」
この期に及んでオトコと会うのを優先してどーすんだよ。
言い出しっぺがちゃんと責任とらないとね。
あたしはニッコリ笑って電話を切った。


窓の外は綺麗な星空。
何処までも続く、雲1つない空。

早く明日にならないかな。

あたしは作ったばかりのクラリネットのメロディを口ずさみながら、ピアノの前に戻った。
「たまには何か弾こうかな」
埃だらけの昔の楽譜を開いて。
何だか物凄いワクワク感と、その片隅にある不安を抑える為に。
そして、微妙に音の狂った、何処かあたし自身に似ているピアノを奏で始めた。



(終わり)






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