茶碗は2つ


無理矢理休みをもぎとったその日の朝。
基子(もとこ)は人波に逆らって、駅とは反対の方角に向かって歩いていた。
厚手の藍木綿の縞のきものに黒っぽい男物の羽織を纏い、首にはマフラーを巻いて、ニット帽を被り、二枚歯の下駄で大股に歩く。
月に1度、自宅から電車で15分ほど行った所の駅の近くの神社に市が立つ。
――骨董市。
古いきものや陶磁器、家具やアクセサリーなど、ゴミかガラクタにしか見えないものから万札が何枚も吹き飛ぶ高価なものまで、ズラリと並んでいる。
行くなら朝に限る。
日が高くなると混み合うし、午後は2時を過ぎると店じまいするところが出て来て、4時には殆ど撤収してしまうからだ。
朝8時。
基子が神社の入口に辿り着くと、既に買い物を終えて帰宅する人がちらほら出て来ている。
両手に大きなビニール袋を提げて、颯爽と駅の方へと歩いて行く。
神社の入口から立ち並ぶ小さな露店。
その店先を、基子はじっくりと眺め始めた。
大概、買うのは好きなきものや、きもの周りの小物だ。
今日の出で立ちは少年のような感じだが、女性らしく柔らかい感じのものも着る。
呉服屋で誂えるとサイズはぴったりに仕上がるのだが、柄に面白味がなかったり目玉が飛び出るような値段ばかりで、面倒くさい。
しかも、昔のものの方が絹も木綿も品質がいい。
だから基子は大概こういった骨董市や古着屋できものを購入している。
今日もちらちらとお店を回ってみていたのだが。
ふと、ある店の前で足を止めた。
陶磁器ばかりが置いてある店。
いつもは殆ど見ることがない類の店。
店番は50代とおぼしき女性が1人、裏の店のストーブにあたりに行っている。
商品は急須と茶碗。
セットで売っているようだ。
その中の、1つ。
手の中にすっぽり入る小さな急須と、猪口のように小さな茶碗2つのセット。
基子はきものの袖をつまんで、そっと急須を持ち上げてみた。
薄いオレンジのような、ベージュのような、淡いピンクのような、綺麗な色合い。
あまり使われなかったのか、状態もかなりいい。
「1500円でいいわよ」
店の人の声に、基子は即決した。
「下さいっ」
新聞紙でくるまれた茶器は小さなビニール袋に入れられて、1500円と引き替えに、それは基子のものになった。



――急須は1つ、茶碗は2つ。
帰宅して、羽織やマフラーや帽子をとり、炬燵の上に戦利品を並べてみる。
……1つは予備だな。
家で一緒にお茶を飲む人などいる訳もない。
数年前にベストセラーになった本に、和物好きな女は負け犬になる、と書いてあった気がするが、私に関しては大当たりだ、と基子は思う。
若い頃。
まだ夢を見ていた頃。
食器は必ず同じものを2つ買っていた。
手作り硝子のコップも2つ。
欧州輸出用の磁器の珈琲カップも2つ。
小鹿田焼の茶碗も2つ。
容姿が人より劣っていても。
要領が悪くても。
友達付き合いが下手でも。
日々、懸命に生きていれば。
人並みに結婚して子育てして――。
そんな普通の幸せな人生が送れると思っていた。

しかし。
今となっては。
最早2つの食器のうち1つは、1つが割れた時の予備としか意味をなさない。



急須と茶碗を流しに浸けると、基子は再び炬燵に潜り込んだ。
あの手作り硝子も。
珈琲カップも。
茶碗も。
クローゼットの奥深くにしまったまま、目につく所には置いていない。
夢は夢でしかないと気づいた時から、食器は1つずつしか買わなくなった。
身内に言わせれば、基子のこの身分は普通ではないらしい。
でも。
仕事はあるし。
ローンを組んで家も買った。
家事も苦ではないし。
好きなきものを着たり。
ふらっと1人で出かけてみたり。
数少ない友達とお茶したり。
だから。
いいのだ、これで。
自分が少子化の原因の一端を担っているとしても。
生まれた時も1人なら、死ぬ時だって1人なのだから。

「寂しいけどさ」

基子は丸くなって呟く。
すると。
仕事用の着信音が鳴り響いた。
「はい。……あ、どうも。……はい。……はい。……分かった、すぐ行きます」
休みは休みではなくなり。
基子は炬燵のコンセントを抜き、急いで洋服に着替えた。
鞄をひっつかんで。
走って家を飛び出した。



普通ではないかも知れないけれど。
退屈とは無縁な生活であるらしい。
「全くもう! だから休めないのよ!」
部下への不満を口にしつつ。
基子は息を切らして駅まで走り続けた。




(終わり)







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