朝は来る(或る朝・拡大版)


「じゃあね」

後ろを向いて、歩きながら手を振って。
お互い背を向けて歩いて行く。
泣き顔なんか見せたくなかった。
今に限ったことじゃないけど。
どんな時でも、あの人の前では泣かなかった。
だから、最後まで涙は見せない。
歩き出した途端。
その、張りつめていた糸が切れて、私は泣いた。
涙はずっと止まらなかった。




あの人の心の中に、別の女がいる。
そう気がついたのは、2ヶ月くらい前のこと。
1年くらい前から、私達はと或るブログサービスでブログを開設した。
コイビトだと公言して、幸せな日常を互いに綴った。
私は1日に1回しか更新しなかったけれど、あの人は1日に何度も記事を上げ、あちこちのブロガーさんとやりとりをするようになった。
私もその輪に加わり、オフ会が開かれると物凄く盛り上がった。
ネット上でしか知らない人達。
その人達と実際に会うのは何とも楽しかった。
携帯のメルアドを交換したりして。
――3ヶ月くらい前。
ネット上での人間関係の輪の中に女性が1人加わった。
私はまた仲間が増えたと単に喜んでいた。
そして、2ヶ月くらい前のオフ会の時。
彼女も姿を現したのだが、何かの話の最中に、あの人はこう言った。
「酒、強いからね。ナナさんは」
……私の記憶にその情報はなかった。
彼女のブログにも、あの人とのやりとりの中にも、仲間とのやりとりにも、それはなかった。

急に心の中に冷たいものが入って来た気がした。




お互い仕事が忙しくてなかなか会えなかったのは確かだった。
それでも、電話とメールで何とか繋がっていたけれど。
そう思っていたのは私だけだった。
あの人は違った。
私の知らないところで、女と飲みに行ったのだ。
オフ会の最中、あの人と彼女が何度となく視線を絡ませるのを見た。
私は賑やかにふるまいながらも、気分が悪くなるのを何度も堪えた。
帰り道、仲間と別れて、あの人とも別れて1人になって。
私は吐き気が抑えられなくなった。
苦しんだ挙句、道端に吐いた。
食べたものも。
飲んだものも。
みんな吐いた。
私は独りだと思った。
「死のうかな」
自分の吐いた物や息にまた吐き気をもよおしながら。
そう、呟いた。




あの人は段々、彼女とのやりとりを隠さなくなった。
否。
隠せなくなったのかも知れない。
私は段々ブログを見なくなった。
見られなくなった。
あの人と彼女とのやりとりを見るのも辛かったし、彼女とブログの仲間とのやりとりを見るのも辛かった。
私の更新はなくなっていき。
あの人の更新ばかりが増えた。
ネット上でも、私は独りだと思った。
それでも時々、見たい気持ちを抑えられずにそれを見ては、また吐いた。
あの人との電話は出来なくなり。
連絡はメールだけになった。
あの人に気持ちをぶつけることは出来なかった。
怖くて。
その結末は、予想出来るものだった。
それでも、時間が経てば元に戻れると信じた。

そう、信じたかった。




そして、今日。
赤い糸は完全に切れた。




私は泣きながら、歩きながら、携帯のお気に入りからブログを消した。
アドレス帳からあの人を消した。
メールも、履歴も、あの人にまつわるものは全て、消した。
出来ることなら。

携帯ごと、捨てたかった。

家に帰ってすぐ、お風呂に入って布団を被った。
涙は止まらなかった。



どんなに悲しくても。
どんなに辛くても。
朝はやって来る。
会社には行かねばならない。
ウサギの目は花粉症だとかアレルギーとか言い訳出来ても。
仕事はしなければならない。
ミスは許されない。
それでも、一心に仕事に取り組んでいれば嫌なことは忘れられる。
残業大歓迎。
その代わり、休み時間は地獄だった。
ぼうっとしていると泣きたくなった。
職場で泣く訳にはいかず、膨張していく気持ちは無理矢理押さえつけた。




数日後。
私は好奇心に負けて、検索して仲間のブログを見た。
最新記事のコメントに、見覚えのある名前を見つけた。
最後に会った日にブログを消滅させたから、また新しく始めたのだろう。
無意識にその名前をクリックした。
――其処には。
彼女とのラブラブなブログがあった。
『ディズニーランドに行きました』
『温泉に行きました』
『入浴剤を2人で選んでみました』
『3日振りに家に帰って来ました』
そして。
そういった記事に寄せられている仲間のコメントは。
『羨まし〜。もっとノロケ書いてください』
『いいなあ。今度は料理作ってもらえば?』
私は耐えられなくなって、携帯の電源を切った。
そして、また吐いた。
何故、見てしまったのだろう。
検索したことを後悔した。
ブログ仲間にとって、私はあの人の付録でしかなかったのだ。
いてもいなくても同じ。
普段しているアクセサリーが変わった程度のこと。
悔しかった。
泣きながら吐いた。




泣き疲れていつの間にか眠っていた。
気がついたら、朝だった。
溜息をついて、私は立ち上がる。
タオルを濡らして、目元に当てた。
雨が降っても、風が強くても、会社には行かねばならないけれど。
……イキタクナイ。
手探りでテレビのリモコンを取って、電源を入れる。
天気予報は、台風が来ているなどとは一言も言わず。
鉄道運行情報は、普段通りだとしか言わず。
会社を休む大義名分は何処にもなかった。
イキタクナイ、なんて子供みたいだ。
……馬鹿だ、私。
おかしくて、少し笑った。




会社に行くからには、倒れる訳にはいかない。
迷惑をかける訳にはいかない。
残り物で朝御飯を食べた。
雑炊だったが、食べると少し元気になった気がした。
それから、会社へ行く支度をする。
シャワーを浴びて、着替えて、化粧して、髪を整えて。
出掛けに水を1杯飲んで、鞄を掴み、家を出る。
電車の時間が迫っていた。
私は駅まで走った。
改札のところで時間を見ると、電車が来る2分前だった。
……まだ、大丈夫。
息を整えて、歩いて改札を通り、ホームに向かった。
男に振られても。
仲間にハブにされても。
泣いていても。
あまり食欲がなくても。
吐いてばかりでも。
それでも、1日が過ぎていく。
通勤時間の駅のホームは人で溢れている。
ホームに滑り込んで来た電車も満員。
仕事も戦いだが、通勤も戦いだ。
電車は静かに止まり、扉が開くと、ほんの少しだけ人が吐き出され。
その3倍の人間が詰め込まれる。
私は深呼吸をした。
社会人の仮面を被り。

そして。
人の波に乗って、電車に乗り込んだ。





(終わり)








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