話をしよう──かけられぬ言葉2


会社で使う言葉。
オツカレサマ。
アリガトウ。
ソレトッテ。
ダイジョウブ。
――スミマセン。
例え上司や同僚と目を合わせられなくなっても。
話が出来なくなっても。
これだけは言う必要があった。
――そして。
最早、それ以外言えなくなってしまった自分がいる。




何で来てしまったんだろう。
公香(きみか)は同僚達の後ろで溜息をついていた。
会社の飲み会。
飲み会は嫌いだ。
いつの間にか自分の周りから人がいなくなり、独りになるから。
仕事が終わった時点でさっさと帰れば良かったのに。
職場の飲み会なんて、もう随分出ていない。
飲み会の雰囲気を感じ取ると、問答無用で帰宅していたから。
それなのに。
どうして此処まで来てしまったのだろう。
嫌な思いをするのは分かっているのに。
列の最後で、公香はうつ向いたまま、居酒屋の暖簾をくぐった。
そのまま、上司の名前で予約していた座敷に通される。
細長いテーブル。
奥から順に座って行く。
最後尾の公香は自然に一番手前になる筈だったのだが。
席が1つ、余っている。
「あ、久地(くじ)さん、一番手前の席は開けておいて」
向かい側に座った先輩が言った。
……誰だろう?
首をかしげていると、誰かが公香の隣に立った。
「すみません、遅れました」
心地良いバリトンの声。
心拍数が上がる。
振り返る必要もなかった。
水島、だった。


テーブルに並べられた料理を前に、まず飲み物の注文。
ビールやワイン、サワー、等という言葉が飛び交う中、公香は烏龍茶を注文した。
ここまでは、誰もが予測出来たことだったのだが。
最後に水島がこう言った。
「コーラ下さい」
公香は目を見開き、前に座った先輩達が笑った。
「水島君、メニューにコーラはないみたいよ」
「えっ……じゃあ烏龍茶下さい」
店員が下がると、先輩は言った。
「うーん。飲めない2人が揃ったわね〜」
公香は申し訳なさそうな顔になり、水島は照れたように笑った。
「でも、そっちは飲ん兵衛2人組じゃないですか」
職場で最強の2人組。
大ベテランであり、大の飲ん兵衛でもある。
家に帰れば2人共いいお母さんに変わる人達だ。
「まあね〜アルコールなら何でもいいんだけど」
飲み物が来て、すぐに乾杯、歓談となる。
公香は先輩達と水島の会話に耳を傾けつつ、料理に片っ端から手をつける。
去年病気で倒れて以来、公香の勤務は変わった。
それまでは誰よりも長い時間働いていたのだが、今では誰よりも短い。
公香が第一線から離れてから、他のスタッフ達が公香の位置に取って代わった。
後輩の水島もその1人だ。
今はバリバリ働いている。
そんな同僚達に激しく嫉妬し。
自分の至らなさに情けなくなる。
身体は元に戻ったものの、一旦メインを外れたのはそのままで。
それ以来、公香は萎縮して上司や同僚達と話が出来なくなってしまった。
今では目を合わせることもない。


「水島君、どんな人がタイプなの?」
先輩のジョッキは既に半分くらい中身がなくなっている。
水島は仕事は出来るのだが、周りの誰からも恋愛対象として見られず、
『いいパパになれるわね〜』
と言われてばかりの気の毒な人間である。
親になっているところは想像出来ても、それまでの過程が全く思い浮かばないタイプらしい。
だから、だろう。
彼がこう言ったのは。
「いやもう、貰ってくれれば誰でも……」
……嘘をつけ。
公香は反射的にそう思った。
誰でもいい、なんてある訳がない。
「久地さん、どう? 水島君は家事一切出来るし、お買い得よ?」
いきなり話を振られて、公香は箸が止まった。
……あの、人はモノじゃないんで。
公香は先輩方に対して笑顔で応じる。
「こんな年寄りでは水島君が可哀想ですから」
「久地さん、まだまだ若いわよ〜」
そう言われても、にっこり笑ってやり過ごす。
2人共、子供は巣立ちの直前で手がかからない為、会社の独身者をからかうことだけが楽しみなのだ。
それに。
水島が気の毒だと思ったのは本心だった。
水島は公香より5つも下だ。
彼だって、同年代の方がいいだろう。
先輩には辛うじて目を合わせて話せたが、こうしている間も、水島の姿を視界に入れられない。
それでも勇気を出してちらっと横を見た。
水島はただ笑っていた。


奥の席が盛り上がっている。
二十歳そこそこの若い女の子ばかりが集まっていて、其処だけが妙に華やかだ。
「水島君! 向こう行って女の子達と喋って来なさい!」
「そうよ〜、数打ちゃ当たるわよ〜」
先輩達が水島をけしかける。
水島が困った顔をして公香を見た。
……何で私を見るの?
そう思ったものの、すぐに自己嫌悪に陥る。
自分を見てる訳じゃない。
自分の向こうの女の子達を見ているのだ、と思い直す。
自意識過剰は良くない。
公香は振り返って奥の席を見てから、目の前の料理に視線を戻した。
「……行って来れば? 若い者同士、話が合うかもよ」
そう言って、小さなピザに手を伸ばす。
「……じゃあ、行って来ます」
隣が立ち上がる気配がした。
公香は食べる手を休めない。
水島が後ろを通り過ぎ、奥に行ってしまっても、2枚目のピザを頬張っていた。
烏龍茶を飲む時にちらっと奥の席を見た。
水島は女の子達と話しながら笑っていた。
公香はよく煮えた鍋に手を伸ばした。
独りになった、と思った。


公香の席の周りは賑やかだ。
目の前の先輩達は家庭についての愚痴。
隣は恋愛話で盛り上がっている。
しかし。
公香は独り、料理を口に運ぶばかりだ。
病気になる以前は、公香も話の輪に入っていた。
先輩、後輩問わず同僚達ともよく話した。
水島とも何やかんやと喋っていた記憶がある。
それが何故、こうなってしまったのだろう。
どんな話を、どんなタイミングでしていたのだろう。
もう、思い出せない。
コミュニケーションの技術というものは、些細なことで失われてしまうのだろうか。
この前だってそうだ。
控室で水島と2人きりになったのに、何も言えず、ただ鞄の中をかき回して。
その空気に耐えられなくなって逃げ出したのは公香自身だ。
帰り道、あまりに情けなくて涙が溢れた。
以前の自分にはもう戻れないのかも知れない。
それとも。
無理にでも酒を飲めば、水島と話をする度胸がつくのだろうか。
飲んだら次の日に響くのに。
――やはり、無理だ。
公香はグイッと烏龍茶をあおった。



後ろを誰かが通る気配を感じる。
「あら、おかえり〜」
「戻って来るのが早いんじゃない?」
水島は飲み物をテーブルの上に置き、腰を下ろした。
「いや〜、やっぱりこっちの方が落ち着くんで」
「盛り上がってたじゃないの」
「それはまあ、みんな酔っ払ってるんで」
素面なのは公香と水島だけだ。
「水島君、それ何?」
先輩が水島のコップを指さした。
濃い、不透明な黄色。
「マンゴージュースです」
「は?!」
そんなのあったっけ?と先輩がメニューを引っ張り出す。
公香も眉をひそめてその液体を見つめた。
マンゴージュースがメニューにあることを確認するなり、先輩は言った。
「水島君。せめて、中に焼酎入れようよ〜」
「遠慮します」
「私の冷酒を少し入れる?」
「やめて下さい。弱いんですから」
「帰れなくなったらウチに泊まればいいじゃない」
「旦那さん単身赴任中じゃなかったんですか?」
「だから添い寝ならしてあげるわよ?」
「結構です」
水島は先輩達にとってはいい玩具だ。
すぐに顔に出るので、いじりがいがあるらしい。
公香も以前はそれに乗っかって後輩イジメに加担していたが、今では聞くだけで精一杯だ。
何しろ、水島の姿を見ることも出来ないのだから。


先輩達がまた2人で話を始めると、水島も公香に負けじと料理に手をつけ始めた。
公香がかなり食べてしまったので、それほど残ってはいないのだが。
「……かなりこっちは消費されてるなあ」
水島が呟いた。
その瞬間、公香の箸が止まった。
済まなさそうな公香の顔を見て、水島は笑った。
「いや、食べるのは全然いいんです」
それでも身体を強ばらせている公香に、水島は言った。
「向こうが余り過ぎなんですよ」
奥の席を見ると、確かに料理がかなり余っている。
「女の子ばかりだし、飲んでばかりであまり食べてないですからね」
彼女達は話に夢中で、食べる暇がないらしかった。
「こっちは俺も久地さんも飲めない分、食べますからね」
フォローしてくれているのは分かる。
分かる、のだが。
改めて自分が食べた量を思い起こさせてしまい、公香は尚更固まってしまった。
水島はまた困った顔をして、頭に手をやった。


ラストオーダーだと店員が言ったので、最後の飲み物を頼むことになった。
「久地さん、烏龍茶でいいですよね」
水島に言われて、公香は頷いた。
店員が下がると、水島がまた口を開いた。
「久地さん、残り物、持って帰ります?」
公香は首を横に振った。
病気になってから公香は実家に戻っている。
公香は静かに言った。
「……水島君、独り暮らしなんだから持って帰れば?」
その瞬間、水島は公香が独り暮らしをやめたことを思い出したようで、すみません、と言った。
公香は笑って首を振った。
「いいじゃない。独り占め出来て。お刺身も残ってるし」
「ナマモノは駄目ですよ」
「夏じゃないし」
「いやいや」
「加熱して食べればいいじゃない」
「家に着くまでに傷んだらどうするんですか」
「醤油に浸けておけば大丈夫でしょ」
「何言ってるんですかっ」
「遠慮しなくていいのよ」
「してませんっ」
公香は笑い、水島は顔が少し赤くなった。
飲み物を持って来た店員に持ち帰り用の容器を頼むと、水島はほっと息をついて、公香に言った。
「でも、久し振りに久地さんと話せて良かったです」
そうだっけ、と公香は呟く。
「仕事の時も殆ど話さなくなったし、久地さん飲み会にも来ないし、何だか寂しいなあって」
公香は初めてまじまじと水島の顔を見た。
不思議と、緊張はなかった。
その代わり。
水島の方が照れたように笑った。


飲み会はつつがなく終わり、店の前で解散となった。
同僚達がぞろぞろと駅に向かって歩いて行く一方、公香だけが店の前から路線バスに乗る。
水島も酔っ払い集団の後ろを、少し離れて歩いて行く。
公香はじっとその姿を見送った。
声をかけることもなく。
追いかけることもなく。
ただ、じっと見つめていた。
週明け、また水島に会ったら、今度は少しだけ違う言葉を言ってみよう。
まだ、ちゃんと顔を見られる自信はないけれど。
でも、何を言えばいいだろう。
公香は少し考える。
居酒屋で貰った残飯はいつまで食べられたのか。
週末はそれで賄えたのか。
それを聞いてみよう。
公香は自然と笑顔になった。
居酒屋の雰囲気にのまれて、少し気が大きくなっているのかも知れない。
それでも。
この状態が週明けまで続きますように。
公香は祈るように目を閉じた。




(終わり)







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