かけられぬ言葉


お疲れ様です、の一言と共に、公香(きみか)は会社に出勤した。
今日もまた、公香だけが遅く来て早く帰る勤務。
それが何だか後ろめたくて、挨拶の声も小さくなる。
そっと隅に紛れ込み、ふと視線を上げると水島の姿が目に入った。
生き生きと動き回る水島。
眩しくて、公香は慌てて目を逸らした。


公香は職場の人間と、殆ど目を合わせることはない。
以前、誰よりも長く懸命に働いていた頃はそんなことは決してなかった。
身体を壊し、今の勤務体制になってから、明らかに窓際だと意識するようになってから、公香は変わった。
自分の至らなさに腹を立て。
以前の自分の位置に他の人間がいることに腹を立て。
疎外感は同僚とのコミュニケーションがなくなることに繋がった。
よって今では同僚と目を合わせることが出来ない。
――密かに想いを寄せていた筈の水島とも。
否。
キラキラと輝く水島の姿こそ、公香は視界に入れられなくなっているのかも知れない。


公香が職場にいる僅かな時間。
水島とは何度となくすれ違う。
手を伸ばせば腕を掴めるところにいる。
なのに。
オツカレサマ。
アリガトウ。
ソレトッテ。
ダイジョウブ。
それしか、言葉は交わせない。


今日も公香は独り、先に上がる。
控室で帰る準備をしていると、水島がやって来た。
背後で、自分の荷物からペットボトルを取り出して水分補給をしている気配を公香は感じ取る。
控室は、公香と水島の二人きり。
何か、言わなきゃ。
何か、言わなきゃ。
心拍数は上がり、意味もなく鞄の中をあさった。
後ろを振り返ることも出来ない。
どうしよう。
どうしよう。
かける言葉は見つからない。
こういう時に限って、控室には誰も来ない。
……駄目だ、耐えられない。
公香はうつむいたまま、無言で控室をあとにした。
水島を残して。


逃げるように会社を出て。
会社が遠ざかると、トボトボと下を向いて歩く。
水島にはつまらない奴だと思われているに違いない。
公香の目には涙が浮かんだ。
苦しくて。
辛くて。
あとからあとから涙が頬をつたって流れた。
日が沈んだ空は暗く。
流した涙は誰にも知られることはない。
繰り返される日常に、公香はまた打ちのめされていく。
そして。
少しずつ、心を病んでゆく。

罠にはまって動けぬままに。




(終わり)






[ 7/26 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -