ギムレットが待つ路地


外が暗くなった頃、美咲(みさき)はホテルを抜けて街に繰り出した。
土地勘のない、初めての街。
でも、夕食を調達する為には仕方ない。
美咲はふらふらと路地に吸い込まれて行く。
その、路地の奥。
フードメニューが書かれた看板。
其処から伸びる螺旋階段。
階段を上ると其処にはガラス張りのドアがあった。
……何だか薄暗いなあ。やってるのかしら。
勇気を出してドアを開けると、店員が奥から出て来た。
「あの……もしかしてもう閉店ですか?」
美咲の言葉に、店員は変な顔をした。
「いや、開店したばかりですよ」
「……???」
カウンターでいいですか、と言われて頷き、そのカウンターを見た時。
美咲は店員の言葉の意味に気がついた。
カウンターの後ろは洋酒の山だった。
……カフェじゃなくて飲み屋だったの?! 此処は!
美咲は殆ど酒が飲めない。
しかも、此処は、もしかしなくってもバーって言うんじゃないだろうか。
バー等という高級な所には入ったことは一度もない。
座っただけで幾ら取られるんだろう?
美咲の財布の中には5千円札が1枚だけ。
……どうしよう。
美咲は内心ビクビクしながらカウンターに座った。
お客は美咲1人。
逃げるに逃げられない。
「お飲み物は何になさいますか?」
……そう言われても。
いきなりソフトドリンクを頼んで、カウンターに案内してくれたバーテンダーの機嫌を悪くしたくはない。
かといって、お酒ばかりのメニューを見ても何が何だかさっぱり分からない。
困り果てた美咲は、言った。
「すみません、私、お酒弱いんで、1杯しか飲めないんです。しかもカクテルって、ギムレットしか知らないんです」
ギムレット。
ラジオでその存在を知り。
海外のホテルのロビーラウンジで飲んだ、美咲が知っている唯一のカクテル。
「ギムレットは……あれはかなり強いカクテルですよ? しかもなかなか弱く作りにくいんです」
……?
「あれは、ジンっていう40度くらいのお酒とライムしか入っていないので……出来上がったカクテルは、それでも15度くらいあるんじゃないかと」
ビールのアルコール度数は5度くらい。
つまり、ビールの3倍強いお酒ということになる。
……どおりであの時ヘロヘロになった訳だわ。
美咲は自分の無知さ加減に呆れた。
「甘いお酒がお好みですか?」
美咲は頷いた。
バーテンダーは更に美咲の好みを調べていく。
フルーツはグレープフルーツが好き。
炭酸は苦手。
「ではまず、甘いけれどさっぱりしたものをお作りしましょう」
「それと……お腹が空いているので、パスタを下さい」
バーテンダーは頷き、奥の厨房にオーダーを出してから、カクテルの準備を始めた。
美咲の目の前に数種類の瓶が並んだ。
彼は材料を計りながら金属製の容器に入れていく。
グレープフルーツジュースも氷も入れて。
容器に蓋をしてシェイク。
……初めて生で見た。
美咲は少し感動していた。
出来上がったカクテルは、水割りを入れるようなグラスに注がれ、中の氷も一緒に提供された。
……ピンク色。
「美味しいっ」
美咲の言葉に、彼はにっこりと笑った。
それはフルーティーで、甘くて、さっぱりしたカクテルだった。
お通しをつまみながら飲みながら、バーテンダーと他愛もないお喋りをしているうちに、お酒と一緒に頼んでいたパスタをシェフが運んで来た。
トマトソースのピリリと辛いパスタ。
これも美味しく頂きながら、バーテンダーとのお喋りは続いた。
そのうち、
「もう1杯、如何ですか」
……飲んでみようかな。
「大丈夫かなあ。私、今、5千円しか持ってないんですけど」
美咲がそう言うと、彼は笑った。
「5千円もあればかなり酔っ払えますよ。ちゃんとこちらで計算しますから、大丈夫です」
そう言って、また瓶をカウンターに並べた。
そして、出て来たのは。
オレンジジュースとライムの入った甘いカクテル。
さっきのカクテルがさっぱりだったのに比べ、こちらはベタに甘いお酒だった。
少しずつ飲みながら、またバーテンダーとのお喋りに興じ。
そして。
アルコールを分解するのが苦手な美咲の身体はそろそろ酔いが回り始めた。
其処に、今晩2人目のお客が来た。
それを期に、美咲は飲み切れなかった1/4程のカクテルを残して、お店を出た。
財布にはしっかり千円札とコインが残った。
ドアまで送ってくれたシェフが、美咲に言った。
「次にこの街に来ることがあったら、また来て下さいね」
「また来ます」
そう言うと、シェフはとても嬉しそうな顔をした。
美咲は、此処に迷い込んだ幸運に感謝しながら、夜の街を歩いて行った。


人口に対してバーの数が妙に多い、と或る街での話。




(終わり)






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