益代さんとお兄ちゃん


「ね〜、透子(とうこ)〜」
……また始まった。
透子は思った。
海外在住の長男の所に、お目付け役の長女を伴って遊びに来た益代(ますよ)さん。
普段は無駄に働き者な益代さんだが、息子のアパートにいる時は、ぐうたら人間に大変身する。
透子の兄、達也さんのアパートは、所謂サービスアパートである。
長期滞在者用の高級アパート。
ホテルのように、掃除も洗濯も他人がやってくれる。
御飯はレストランに行ったり、お惣菜をスーパーに買いに行けばいい。
台所には一通りのものが揃っているけれど、材料を買って来て料理するよりも外食の方が安上がりな御国柄。
と、なると、益代さんのやることといったら、目の前のマッサージ屋に行くことと、部屋のソファに寝そべりながらテレビを見て昼寝することくらいしかない。
益代さんは何よりも退屈が嫌いだ。
透子は溜息をついた。
……仕方がない。
そんな訳で、透子は益代さんを連れて、今日も出かけることになった。



その日の夕方。
「夕飯、食べに行こう」
会社から帰って来るなり達也さんが言い、益代さんはウキウキと可愛い息子の後をついて行き。
兄が奢ってくれることを期待して、透子も同行を決めた。
アパートの前から、3人揃って三輪タクシーに乗る。
タクシーで3分。
着いた所は、買い物でも食事でもよく利用する大型ショッピングセンター。
「あれ? 此処って前にも来なかったっけ?」
車から降りるなり、益代さんは言った。
「そりゃあそうだろ。今日も透子と来たんじゃないの?」
三輪タクシーの支払いを、小銭がないという理由で透子に任せた達也さんが、少々うんざりした顔で益代さんの疑問に答えている。
益代さんと一緒にいると疲れが生じるのは、透子も父親も達也さんも同じである。
「そうだっけ?」
「だって今日、お昼は何処で食べたの」
「フードコート」
「じゃあ、此処まで来たんだろ」
「……?」
いまいち納得出来ない益代さん。
……無理もない。
透子は思う。
実は、昼間とは微妙に車を降りる場所が違ったからである。
しかし、一々説明するのも面倒なので、黙っていることにした。
……兄貴もたまには苦労すればいいのよ。
内心、そんなことを思っていたからである。
水面下で、自分が原因で兄妹の戦いが行われているとも露知らず、益代さんは達也さんについて歩いて行く。
レストランが集まった一角に辿り着いた途端、益代さんの顔が輝いた。
「ラーメンがある!」
益代さんは、外国語に混じった、日本語の看板に目をとめた。
「じゃあラーメンにする?」
達也さんが尋ねると、
「ラーメンは嫌」
益代さん、日本語には目敏く反応するが、基本的に脂っこいものは嫌いである。
「あ! お寿司がある!」
日本食の写真にもよく気がつく。
「じゃあ、寿司……」
「不味いから嫌」
益代さん、海外のお寿司は不味いものだと思っている。
「あ! お蕎麦!」
益代さんはお蕎麦やうどんが好きである。
「じゃあ、蕎麦……」
「折角海外に来たのに、日本食はちょっとね〜」
達也さん、そろそろ苛々が頂点に達しつつあるのだが、透子は知らん顔である。
普段はいないのだから、こんな時ぐらい益代さんのお守りをしてくれなければ困るのだ。
――そして、結局。
この日の夕食は鍋となった。



透子は首をかしげていた。
……おかしいなあ。
確か、夕食に誘ったのは達也さんである。
なのに。
何故、支払いが自分なのか。
何故、店員が自分の所に明細を持って来るのか。
分からない。
「いや〜、やっぱり鍋は旨いなあ!」
達也さんは上機嫌。
「美味しかったわね〜」
益代さんも御機嫌。
透子だけが、財布の中身を思い浮かべて、溜息。
「やっぱり透子と一緒だといいよな〜」
「何で」
「間違いなくお前が支払いだもん」
「何でいつもお兄ちゃん払わないの?!」
「店員がお前んとこ行くからだろ」
「どうして?!」
「お前の方が年上に見えるんだよ」
この国には割り勘という習慣がない。
常に、グループの中で一番年上か地位が上の人が独りで支払う。
……私が老けてるって言いたいの?!
透子は爆発寸前。
兄はケラケラ笑うばかり。
更に、益代さん。
「あら。おかーさんが一番年上なのに、店員さんには透子が一番上に見えたのね〜」
……アンタが払うようには到底見えなかったんだよ。
透子はそんな言葉を飲み込んだ。
そして。
……兄貴、絶対婚期逃すから。
自身のことは棚に上げて、お腹の中で思ったのだった。



帰りもまた、ショッピングセンターの前で屯している三輪タクシーを拾い、アパートに帰還。
またしても、支払いは透子。
「How much?」
運転手に尋ねると、彼は指を3本出した。
――30バーツ。
ショッピングセンターに行く際、アパートから乗る時は規定料金なのか常に同じだが、帰りは何故か運転手によって変則的である。
透子が支払いを済ませて運転手と別れると、達也さんが憮然とした顔をした。
「何で透子は30なんだよ?!」
「何でって?」
「俺はいつも50だぞ?!」
「は?」
達也さんが三輪タクシーでショッピングセンターから帰って来る時は、いつも50バーツなのだと言う。
「あら〜、何でかしらね〜?」
呑気に益代さんが言う横で。
「ボラれているよね、確実に」
透子の言葉に達也さんは怒り。
「何でだよ?!」
「お金持ちに見えるのよ、きっと」
「レストランではいつもお前がそう見られるだろ?!」
「ああ、そうね〜」
透子はちょっと考えてから、言った。
「運転手さん、女性には弱いんじゃないの?」
「男女差別だっ!!」
達也さんが喚いているのを尻目に、透子はアパートの中に入って行く。
それを見ていた益代さん。
何とか可愛い息子を慰めようとした。


「おにーちゃん、きっと透子は現地の人に見えるのよ」


「何処が?!」
達也さんと透子は、同時に益代さんに突っ込んだ。
「英語話す奴の何処が現地の人に見えるんだよ?! どう見たって外人だろ?!」
達也さんのボルテージは急上昇。
「俺がこっちに溶け込もうと苦労してるってのに!」
「あら、そーお?」
益代さんは、何故自分の言葉が息子を怒らせたのか分からない。
しかも。
滅多に会えない達也さんと話せることが何より嬉しい。
だから。
達也さんが散々怒りをぶつけているにも関わらず、益代さんはずっと笑顔のままなのだった。
透子はそれに気づいていたのだが。
面白いので黙っていることにした。
……兄貴も『益代熱』にかかればいいんだ。
そのくらいでなければ割に合わない。
……兄貴、任せた。
透子はにんまり笑いながら、そんな言葉を心の中で呟いたのだった。




(終わり)






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