益代さんと一緒


「ただいま〜」
帰宅するなり、つかつかと歩み寄って来る足音が聞こえて来た。
……益代(ますよ)さんだ……。
透子(とうこ)は溜息をついた。
栗原益代。
旧姓、里田益代。
透子の母親、である。
「透子っ、ちょっと電話してくれる?」
おかえり、の一言もない。
自分の用事が最優先。
「電話?」
透子が聞き返すと、益代さんは言った。
「航空会社に電話したんだけど、繋がらないのよ〜」
「あ〜そうか」
透子はすぐに状況を把握した。
家の電話は昔懐かし黒電話。
最近、電話をするとまず用件によって数字を入力させる所があるけれど、勿論これは世間一般の電話がプッシュホン回線だとかデジタルだとかであることを前提にしているのであって、ダイヤル式の旧式黒電話だと受け付けて貰えない。
益代さんは携帯を持っていない。
だから益代さんは携帯を持ってる娘の帰宅を待っていた訳なのだ。



先日。
透子は単独行動が苦手な益代さんに付き合って、有給を取って旅行に出かけた。
航空会社の窓口まで来たところで、自分のマイレージのカードを忘れたことに気づいた益代さん。
「ねえ、透子。マイレージのカード、忘れちゃった……どうしよう」
「パスポートじゃないんだからいいんじゃない?」
透子も容赦がない。
別にマイレージのカードを忘れたからといって、旅行を中止しなければならない訳ではないし。
「ちょっと透子、聞いてみてくれる?」
「自分で言って下さい」
透子にあっさり断られた益代さん。
仕方がないので自分から窓口のお姉さんに尋ねてみた。
「あの〜、マイレージのカード忘れちゃったんですけど……」
すかさず、窓口のお姉さんはパンフレットを手渡して、こう言った。
「こちらに電話を頂ければ、すぐに積算致します」
「まあ、電話一本でいいのね!」



――で。
飛行機のマイルの事後登録をすべく。
マイルを貯めてナニガシかの特典を狙うべく。
益代さんはきっと家から電話をかけたのだ。
パンフレットの字は小さくて、老眼鏡なしでは見られないから、苦労してダイヤルを回したのだ。
ところが。
『コチラはサービスセンターです。国内線は《1》、国際線は《2》、マイレージについてのお問い合わせは《3》――』
音声ガイダンスに従って、益代さんは《3》をダイヤルし。
見事に振られたのである。



「はい、どうぞ」
透子は、困惑する益代さんを無視して携帯を押しつけた。
自分のことは自分でやりましょう。
言外にそんな言葉を滲ませて。
基本的な操作だけを教えて、とっとと自室に引っ込む。
益代さんは新しいことを覚えるのが苦手だ。
機械は特に弱い。
そもそも覚える気もさらさらない。
隙あらば透子に全て押しつけようとする。
透子が着替えて茶の間に戻ると、益代さんは炬燵に入って目の前にパンフレットを置き、老眼鏡で小さな数字を読みながら左手に携帯を持ち、右手の人差し指でおっかなびっくりボタンを押していた。
やがて、携帯を耳にあて、またボタンを操作し、再度耳にあてたのだが。
「……暗証番号ってナニ?」
……頭痛がしてきた。
透子はこめかみを押しながら言った。
「カード作る時に番号書くなり航空会社が勝手に寄越すなりしたでしょう?」
「そんなの知らない」
益代さん即答。
……そんな筈はない。
しかし。
益代さんはキャッシュカードすら持っていないし、知り合いに頼まれてクレジットカードを作った際には郵送されて来たカードに即ハサミを入れたようなヒトである。
益代さんにとって、カードは日常生活であまり縁がないし、カードの種類によっては嫌悪感さえわくものなのだ。
そんな人間に暗証番号なるものを求める方が無理なのかも知れない。
「テープじゃなくて人に繋いで欲しいわよね〜」
そう言いながら。
それでも益代さんは頑張った。
透子の携帯を操作し続けた。



――30分経過。
益代さんは一向にオペレーターに繋げられない。
……仕方ない。
透子が代わって携帯をいじり出した。
音声に従って、あれこれやってみたのだが、透子さえもオペレーターに繋げるルートが分からない。
何回も操作していると、当然、苛々して来る。
ようやくオペレーターに繋がった時には、透子の苛々はピークに達していた。
思わず言った一言。
「母がマイレージの事後登録をしようとして電話をかけたのですが、黒電話なので繋がらなかったものですから、私が代わりにかけてるんですけど!」
電話の向こうのお姉さんがひたすら低姿勢だったのは、透子が、怒りを抑えていても声が怖かったからだろう。
つつがなくマイルの事後登録は終わり。
ついでに益代さんに電話をかわり、暗証番号の問い合わせをさせた。
暗証番号は個人情報なので、家族であっても本人からの問い合わせでないと答えられないらしい。
暗証番号は数日後に郵送されるとのこと。

「その手紙、なくさないでよ?!」
「う、うん……」
念の為に釘を刺したのは、放っておくと、益代さんはダイレクトメールと勘違いして多分ゴミ箱に捨てるのが目に見えているからである。
しかし、敵もさるもの。
「あ、そうそう、おとーさんのマイレージを引き落として航空券に換えたいんだけど」
益代さんの言葉に、透子はまた溜息をつく。
「暗証番号は?」
「知らない」
益代さん、またしても即答。
「あのさ〜、この手のことには暗証番号は必須だと思うよ」
「ええっ?」
益代さんは慌てて『おとーさん』に電話をかけたものの。
「――知らないって」
『おとーさん』に代わって益代さん即答。
……この似たもの夫婦!
透子は叫びたいのをぐっと堪え、またもや携帯をとりあげて、父親のマイレージのカードの会社にかけてみる。
こちらはわりとすんなりオペレーターに繋がった。
おそらく、先程の電話でかなり学習したからだろうが。
暗証番号はこちらも後日郵送されるとのことだった。
透子は電話を切ってから呟いた。
「疲れた……」
……アナログ色が強い世界で生きている人には、段々生き辛くなっているのかも知れないなあ。
透子はそう思った。
「ああそうそう、透子、犬の散歩――」
「コレステロール高いんだから益代さん行って」
「だって寒いし」
「五月蝿いっ!! 私は疲れたっ!!」
「膝がね〜」


「拾って来たのは誰ですか?!」



世界は自分を中心に回っている。
そう信じて疑わない益代さんだが。

娘の一喝に、すごすごと犬の散歩に出かけて行ったのだった。




(終わり)





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