人形


何もかも思い通りになんていく訳がない。
それは、生きていれば何となく分かる。
――けれど。
塵1つない部屋。
美しく収納された本棚。
整理整頓が行き届いた文机。
座布団は決して潰れたりしておらず、布団はいつだって暖かくてシーツと掛布団のカバーは糊がきいている。
家で着るきものは箪笥の虫干しとばかりにいつも違うものを指定される。
食べるものは粗食ではあっても、出されるものに非の打ち所はない。
身体も少し丈夫になったようだと医師に言われる。
――「私」は何処にいるのだろう。
木蓮や三葉躑躅(ミツバツツジ)が葉を繁らせているのを眺めながら思う。
最早逃げ場は庭にしかなかった。
私の家の筈が彼の家に変わっていた。
不満を言う権利はあっても、それを行使する気力は私にはなかった。
私に出来ることは、家の主人と化した彼に従うことだけだった。
彼の作り出す空間に住まい、彼の料理を身体に収め、彼の計画した日課の通りに行動し、彼の言うことに逆らわない。

私は、彼の人形になった。



人形は添い寝もする。
いつからか、私は彼の腕の中で眠るようになった。
あの風邪をひいた日のように。
後ろから抱き締められて、布団の中に横たわる。
けれど私は眠れない。
彼は眠れても、私はなかなか眠れない。
寝息が当たる度に身体が震え、不意に触れられた場所から全身が硬直した。
だから、医師から頓服として渡されていた睡眠薬を毎夜服用するようになった。
もし「何か」あっても私自身に苦痛がないように。
知らなければ、まだ辛くないだろう。
そう思って。
その代わり、毎朝怖かった。
まだ後ろにいるかも知れない。
身体に異変があるかも知れない。
私が目覚める頃には彼はいつも台所にいるし、身体は薬のせいでだるいことはあってもそれ以上のことは決してなかった。



睡眠薬はいつも彼が部屋に入る前に飲んでいたのだが、その日の夜、たまたま薬を前にした所に彼がやって来てしまった。
私の薬は全て処方箋なのだし、何か悪いことをしているのでもない。
眠れないから服用するだけなのだが。
何故か、彼の顔が僅かに歪んだように思った。
そして、薬の置かれた文机の前に座り、頓服と書かれている薬の袋を見て彼は呟いた。
「これは、確か眠剤……」
病院には彼がいつも付き添っていて、薬の管理は彼の役目である。
――頓服以外は。
「まさか、貴方はこれを毎晩――」
どうして、という彼の言葉は喉の奥で掠れて消えた。
私があの状況にあっても眠れる理由。
あの風邪の日よりも数段大人しく、静かで深い眠りが出来る理由。
それに思い当たったに違いない。
「……何故、言葉にしないのですか」
彼の声が掠れた。
「私がいることが苦痛だと、何故言わないのですか」
どうして彼が辛そうな顔をするのだろう。
「御実家の皆様が言っておられました。貴方は誰にも歯向かわぬと」
……そう。
家のお荷物となっている私に出来ることは、家族の望む通りに生きること。
だから。
「御実家のお部屋の壁には、見えない所に穴がある、と」
私の、私自身の叶わぬ思いは別の所に向かう。
「身体にも傷がある、と……」
口に出せぬ言葉は別の表現として外に溢れる。
――子供の頃。
胸部は常に腫れていた。
自分自身の拳や爪による傷が絶えなかった。
思い通りにならないことや、納得出来ないこと。
そういった思いは全て自分自身と自分の領域の中に抑えつけた。
だから、私の部屋には決して刃物が置かれることはなかった。
手首を切るようになってはいけない、と。
「貴方の周りにいる人全てが貴方を愛しているのに」
彼は人形をそっと抱き寄せる。
「それなのに、貴方は貴方自身を傷つける」
目を閉じて、彼は呟いた。

「――何故ですか」

……何故?
何故、そんなことを聞く?


この夜、彼も私もこの状態で一睡も出来ずに朝を迎えた。
互いが互いに疑問を抱え、その疑問は解決出来ぬままに。






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