発熱


その日も、彼は出かけた。
私はいつものように庭に出て、草木を眺めていたのだが。
……おかしい。
食欲があまりないことに、昼の時点で自分で分かっていたけれど。
身体の不調に気づいた私は、すぐに部屋に引き上げ、浴衣に着替えて布団の中で横になった。
日が暮れるにつれ、寒気まで出て来た。
……いつもの風邪。
彼が帰宅した音が聞こえ、続いて戸を閉める音がした。
更に、縁側から私の部屋の様子を窺っている気配がする。
私は息を殺して、布団の中に隠れていた。
しかし。
私の部屋の灯りがついていないことを彼は不審に思ったらしい。
「……望(のぞみ)さん?」
身体が布団の中でガタガタ震えた。
「寝ていらっしゃるのですか?」
震えは止まらない。
返事をしなければ、きっと寝ているものだと思うだろう。
そう思った、のだが。
「失礼致します」
襖を開けて、部屋に入る音がした。
恐怖でカタカタと歯が鳴る。
畳を踏みしめる音が続き、灯りをつける音が聞こえ、暗かった部屋は一気に明るくなった。
私は布団の中で身体を震わせたままだった。
震えは一向に治まらない。
「望さん、失礼致します」
何が失礼致しますなのか、考えた瞬間。
勢いよく布団を剥ぎ取られた。
反射的に枕を抱えて身体を丸めたが、容赦なく彼は私の額に手を当てる。
「熱が出ているじゃないですか」
「だ、大丈夫……」
「何が大丈夫ですか! 震えてるじゃないですか!」
それは布団を剥ぎ取られたから寒いのだし、怖いからだと言おうとして、喉の奥に言葉がひっかかる。
彼は布団を丁寧にかけ直して、薬を取って来ると言い、部屋を出て行った。
まもなく戻って来るなり、薬を飲むよう言われ、私は身体を起こして震える手で用意された薬を飲んだ。
その後、額に冷却シートを貼られ、また布団の中に戻された。
彼は慌ただしく部屋を出て行き、私は目だけ布団から出してほっと息をついた。
数分後にまた廊下を歩く音が聞こえ、襖が開き、足の方の布団が捲られる。
寒さに身体を縮めると、足の辺りに湯たんぽが置かれ、また布団がかけられた。



……寒い。
夜が更けるにつれ、寒気は増した。
薬を飲んだのだから、大丈夫。
大丈夫だから。
そう自分に言い聞かせても、身体の震えは止まらない。
彼がまた廊下を渡って来た。
私は布団を額まで被った。
カチカチと歯が鳴るのは熱のせいなのか彼に対する恐怖なのか、最早よく分からない。
体温を測るから、と彼は私に耳を出すように言い、私は大人しく従った。
――38度5分。
明日の病院行きは決定である。
……寒い。
何か欲しいものはあるかと問われ、私はハンガーにかかっている綿入れを取るよう頼んだ。
震える手で身に纏い、また布団を被る。
「寒いのですか」
そう問われ、寒い、と答えた。
すると。
彼は、少しお待ち下さい、と言うなり部屋を出て行く。
上掛けを取りに行ったのだと思ったのだが、違った。
戻って来た彼は何も持っていないようだった。
「失礼致します」
だから、何が失礼なのか。
そう思った途端。
横向きで縮込ませている身体の、背中側の布団が捲れた。
寒い、と思わず口にしようとして、息が止まりかけた。
彼が布団の中に入って来たのだ。
「其処までしなくていい……!」
私が震える声で言うのもお構いなく、背中に密着され、腕が回って来た。
「寒いのでしょう?」
耳元で囁かれ、あっさり抱き込まれた。
抵抗しようにも身体が動かない。
いや、自分の意思とは関係なく震えてはいるのだが。
震えているにも関わらず、手足は金縛りかと思えるほどに固まったまま動かない。
それでいて、心臓がばくばくと暴れているのが分かる。
「上掛けが1枚増えたと思って下さい」
……こんな上掛けがある訳はない。
生きてる肉襦絆だろうかとも思ったが、言葉は喉の奥から出て来ない。
その内、後ろから規則正しい寝息が聞こえて来た。
……何でこんなにあっさり眠れるんだ。
私は金縛りにあっているというのに。
心臓の音が死ぬ程煩いというのに。
それとも。
私の方がおかしいのだろうか。
何にせよ、暫くすると、確かに温かさを感じるようになった。
そして、不思議なことに。
眠れる筈もない態勢で、いつの間にか眠ってしまっていたのである。



翌朝。
目を覚ますと、布団には私1人しかいなかった。
東側の窓から朝日が差し込み、部屋の中は明るい。
昨日着ていた筈の綿入れは、何故か布団の上に広げられている。
寒気も身体の震えもなくなり、薬が効いたのか熱も下がったような気がした。
昨夜のことは、夢だろうかと思った。
布団から手を出して、体温計を掴み、耳に当てる。
電子音の後、表示を見れば。
――36度8分。
ほっとして、息をついた。
体温計を枕元に戻し、私はまた布団の中に潜り込んだ。
頭まで潜ると、別の人間の匂いがする。
彼の匂い。
あれは、やはり夢ではなかったのだ。
恥ずかしいやら何やらで、私は顔を布団の外に出した。
廊下側に背を向けて、目を閉じる。
起きてしまったことは仕方ない。
忘れるしかない。
昨夜のことを思い出して暴れ始めた心臓を鎮める為に、私は何度も深呼吸をした。
しかし、ひたひたと廊下を渡って来る音にまたもや身体は凍りついてしまった。
失礼致します、と言う言葉と共に襖が開く。
「望さん」
私は必死で眠った振りをした。
彼は私の耳に体温計を入れ、体温を測り、更に額に手を当てた。
何かが触れる度に身体が反応しそうになるのを懸命に堪える。
彼は何も言わずに綿入れだけをかけなおして部屋を出て行った。
私はほっと胸を撫で下ろした。
それから、トイレに行こうと思い、ゆっくりと起き上がって綿入れを羽織り、立ち上がろうと思った瞬間。
スッと襖が開き、彼が顔を出した。
「おはようございます。気分はどうですか」
吃りながら大丈夫だと言うと、彼はにっこり笑った。
「御飯、召し上がりますか。それともお粥かヨーグルトがいいですか」
食欲はなかったので、ヨーグルトを頼むと、彼は笑顔のまま引き下がる。
このやり取りだけで疲れ果ててしまい、私は掛布団の上に突っ伏した。
それでも何とか立ち上がり、ふらふらと廊下に出た。
トイレと洗面所と風呂場は私の部屋の前に並んでいる。
部屋に戻ろうとトイレから出て来ると、部屋の前に彼が立っていた。
恐怖と羞恥で私はその場から動けなくなった。
顔も見られず、下を向く。
「食事は茶の間に御用意しました」
柔らかいバリトンの声が、耳に響く。
普段と変わらぬ優しい言い回しだが、自室での食事は認めない、そんな強制を感じる声。
分かった、と喉から必死で言葉を出すと、彼はまたひたひたと台所へ戻って行った。
私はその場に座り込みそうになったが、壁伝いにゆっくりと茶の間へ歩を進める。
6畳の茶の間にも向かいの台所にも彼は何故かいなかった。
私はほっとして、茶の間の炬燵に潜り込み、用意されたヨーグルトや果物に手をつけた。
最後に焙じ茶をすすってから、立ち上がる。
部屋に戻ると、布団が違っていることに気がついた。
彼が私のいない間に部屋に入ったのだ。
縁側の障子が開いている。
私は怒りを覚えた。
かあっと身体に熱がこもり、怒りに任せて縁側に出た。
彼は縁側で布団からシーツを剥ぎ取っていたが、私の顔を見るなり、穏やかに言った。
「申し訳ありません。布団だけ換えさせて頂きました」
「……」
怒りは全身に回っているのだが、いかんせん言葉が出て来ない。
「大丈夫です。布団しか触っていませんから」
宥めるように言われれば、罵詈雑言は喉の奥に引っ込んだ。
代わりに出て来た言葉は。

「あ、ありがとう……」

彼がキョトンとしたのを見たら、途端に恥ずかしくなった。
私はうつ向いて、慌てて部屋の障子を閉めた。
耳まで真っ赤になったのが分かる。
急いで布団に潜り込んだ。



付き添われて、病院に行った。
薬を貰ってすぐに帰宅し、きものを衣紋掛けにかけて浴衣を纏い、また横になる。
暫くすると、昼食を茶の間に用意した、と彼が言うので、綿入れを羽織って茶の間に行った。
最早、この部屋に食事を運ぶ気はないらしい。
茶の間には彼はおらず、私は安心して食事に手をつけた。
しかし。
また彼が勝手に自室に入っているのではないか。
私は不安になった。
急いで昼食を済ませて、用意された薬を飲み、部屋に戻った。
今度は特に異常はなく、ほっとして布団をかぶって横になる。
新しい布団はふわふわと暖かく、洗濯したばかりのシーツはまるで日向にいるようないい心持ちではあるけれど。
自分の領域が侵食されている。
そんな気がした。



数日経って、身体の状態がかなり良くなったので、綿入れを羽織り下駄をつっかけて庭に出てみた。
雑草が殆ど生えていない筈の庭の一角。
白詰草が咲いていた。
三つ葉のぎっしり生えた中、ぽつぽつと白い花が伸びている。
私は四つ葉を探した。
幸運を運ぶ四つ葉のクローバー。
子供の頃、夢中で探したことを思い出す。
あの白詰草の群生の中に沢山あった、四つ葉。
でも、此処には。
この庭には、なかった。
幸運はそんなに沢山転がってはいない。
諦めて立ち上がり、部屋に戻ろうと振り向くと、縁側からこちらを眺めている彼の姿が目に入った。
「……四つ葉は見つかりましたか」
静かにそう尋ねられた。
私は首を振り、また足元に目を落とすと、そうですか、という声が聞こえた。
庭に降りる音の後に足音が近づいて来る。
「でも、いつかきっと見つかりますよ」
背後からの優しい声。
でも、近過ぎて怖くて振り返ることは出来ない。
それに。
いつかきっと、なんて言葉は現実的ではない。
願っても、叶わぬことはある。
……下手な慰めだ。
そう思っていても口に出せない、弱い私がいる。
私が何も言えずに黙っていると、彼は言った。
「お茶にしましょう」
足元を見たまま頷いた。
彼が母屋に戻って行く。
……まだ庭にいたかったのに。
私はのろのろと下を向いたまま、彼の後に続いた。





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