季節は巡る。
冬が過ぎれば、春が来る。
どんなに辛くても必ず何処かに望みはある、と。

「それは貴方そのものなのですから」

空だと思っていた箱の中にたった1つ残っていた、小さな光。

「だから、御身を大切にして下さい」

無理をすることはないのだと。
自分の想いに応えなくてもいいのだと。

「俺はただ、貴方に幸せに生きて欲しいんです」

苦しそうな声。


――その途端。
彼の腕の中にいる人形の目から涙が溢れ落ちた。





実家を出て独り暮らしをする。
そう家族に言うと、猛反対された。
私は昔から身体が弱く、病院が身近な存在だった。
子供の頃は学校も休みがちで、成人してからも働けずにずっと家にいた。
けれど。
そんな家を出て暮らしてみたい、と年を重ねるごとに思うようになった。
結局、私の頑固さが勝ったのだが、独り暮らしには条件がつけられた。
実家の持ち家である、小さな古い庭付きの家に暮らすこと。
そして。
家のことをやってくれる人間を1人、中に入れること。
家事と、病弱な私の体調管理。
その人間は、家族が何処かから探して来た。
平たく言えば、お目付け役。
定期的に実家に私の様子を報告する役。
そうして、彼は、やって来たのだった。
「ごめんください」
荷物はバッグ1つだけ。
黒いコートを着た長身の男が、玄関に立っていた。



彼の仕事は完璧だった。
洗濯、掃除、料理、庭や私のきものの手入れ。
更に、私の薬の管理や通院への付き添いに至るまで、完璧にこなした。
よって、実家の家族には非常に評判が良かった。
それに反比例して、私は、鬱屈した思いを抱えるようになった。
……こんな筈ではなかった。
独りで生活するようになったら、少しずつ、自分に出来ることを増やそう。
家事はやったことがなかったけれど、本を見ながらやってみよう。
病院も独りで行って、帰りに珈琲なんか飲んでみたい。
実家を出たばかりの頃に抱いていたそんな思いはすぐに萎んだ。
これでは、実家にいるのと大差ないではないか。
私は、次第に通院以外では4畳半の自室から殆ど外に出なくなった。
自室でずっと本を読んで暮らした。
食事も部屋の外に置かれたものを、中に入れて食べるようになった。
殆ど言葉を発せず、人とも交わることのない生活に、自嘲した。
何処にいても、私はこうなのか、と。
一方、彼の生活エリアは相変わらず台所と茶の間と庭だった。
廊下には埃1つ落ちていなかったし、庭もいつも綺麗に掃き清められていた。
けれど。
自室の掃除だけは、どんなに彼が望んでも拒絶した。
この部屋は立ち入らせない。
これ以上、自分の居場所を失いたくはなかった。
窓も開けないのが気になったのか、せめて換気を、と言う彼にはこう返した。
「花粉症だから」
全くの嘘だったが、彼は信じたのか、次の日には空気清浄機が部屋に届けられた。
有難う、と礼は言ったが、スイッチは入れずに、部屋の隅に放置した。



彼には週に一度の休みがあり、その日は私もノビノビと過ごすことが出来た。
私は自室の畳の上に寝転がり、天井を見上げた。
木目は歪んだ人の顔に見える。
まるで自分を見ているようだ、と自嘲した。
最早、私にはこの4畳半しか残されてはいない。
それだって、用もないのに廊下や縁側から襖越しに中を窺う気配を度々感じる。
だから気が休まらない。
私は、持っている本でささやかなバリケードを築き、その中でじっと音を立てずに過ごすようになっていた。
実家に帰るよう、仕向けられているように思えてならなかったが、此処にいるのは意地だった。
そっと起き上がり、久し振りに襖を開け、縁側に出る。
硝子戸の向こうで、木蓮の白い花が咲き始めていた。
花に誘われるように、硝子戸を開け、春の風を吸い込む。
それだけでは物足りなくなって、足袋を脱いで裸足で外に出てみた。
日の光で温められた地面の上を歩いて、木蓮の木の根元から上を見上げる。
花や枝の隙間から差す光が眩しい。
太陽はこんなに眩しいものだったのか。
そして、小さい頃のように、木の幹に手をついて耳をぴったりとくっつけて、目を閉じた。
……生きてる。
そう思った。
風が吹いて、枝を揺らす。
そっと目を開けると、庭の隅に人がいるのが目に入った。
何処に行って来たのか、彼は紙袋を下げて、呆然とこちらを見ていた。
……あ!
私は羞恥で頬を染め、急いで縁側から部屋に上がり、ぴったりと襖を閉めた。
へなへなとその場に座り込む。
殆ど動かなかったせいで、庭から此処まで走っただけで息が切れ、座ったまま動けなくなってしまった。
頭もくらくらする。
呼吸を整えていると、廊下をひたひたと歩いて来る音がした。
……こっちに来る!
私は目を見開き、息を飲んだ。
心臓が破裂すると思う程、高鳴った。
……怒られる!
今度は恐怖で身動き出来ない。
襖越しに彼が立ち止まる気配を感じた。
じっと息を殺して様子を窺っていると、コトン、と何かを置く音が聞こえ、また廊下を戻って行く音がした。
私はほっと胸を撫で下ろした。
暫く座り込んでいたが、そろそろと這って行き、廊下側の襖を少し開けると。
目の前には、お盆に載せられたおしぼりが3つ置いてあった。
……温かい。
何故怒られなかったのか、不思議だった。
――それからというもの。
彼は頻繁に出かけるようになった。
毎日、午前中には仕事を片付け、午後は夕方まで家を空けた。
私の部屋の前の縁側の下には下駄が置かれるようになっていた。
私は彼が出かけると、その下駄を履いて庭に出ることが増え、時には縁側に座って青い空を見上げ、雲の流れを目で追った。
それだけで、モヤモヤとした気持ちが少し楽になるのを感じた。





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