冷たい雨の降る日々


静かな住宅地の中に、その家はある。
時代に取り残されたかのような、木の塀で囲まれた、庭付き木造平屋建ての小さな家。
其処で、私は住み込みの下男として暮らしている。



この家の主と猫の世話をしながら――。




もうすぐ夏になるというのに、冷たい雨がしとしとと降り続いていた。
「まるで冬に逆戻りしたみたいだね」
縁側から庭を見ながら、この家の主は言った。
あまりの寒さに、仕舞った炬燵をまた茶の間に出したのは一昨日のこと。
「あまり風にあたると身体にさわります」
……身体が弱いのに。
硝子戸を開けて雨の降る庭を眺めている人にそう言うと、主は悪戯が見つかった子供のように身体を竦めて、そっと硝子戸を閉めた。


独りになると、勝手に頭の中を色んな思いが駆け巡る。
決して、あの人には言えぬ、心の内。

愚痴を言ってもいいですか。
弱音を吐いてもいいですか。
それってやっぱり迷惑ですか。
聞きたくなんかないでしょう。
いつまでも止まぬ、貴方を責める言葉など。
見たくなんかないでしょう。
私の胸の内にある、泥々としたヘドロなど。
うまく言葉に出来ぬこと。
感情ばかりが先行する思い。
自分でもどうしようもなく、いつも持て余しています。
コップから溢れる気持ちを必死に抑えています。
私も嫌われたくはありません。
独りになりたくありません。
――否。
独りであることを、再認識したくありません。
私は強くあらねばならぬのです。
だから泣きません。
叫びません。
いつも静かに淡々と、大人しくしています。
守らねばならぬものなど、もうありはしないのです。
私も貴方を取り囲む環境の歯車の1つに過ぎません。
きっと代えのきく存在なのです。
使えなくなれば捨てられる。
それが嫌なのです。
耐えられないのです。
だから私は動き続けます。
いらない、と言われるその日まで。
朽ち果て、ゴミとして捨てられるその日まで。

真っ黒な自分を、抑えながら。



硝子戸を閉めた人が、振り返って、言った。
「そんなに心配する程私は弱くはないから」
「何を言うんです。油断するとすぐに熱が出るじゃないですか」
「熱が出たら薬を飲んで寝ていればいいし」
「そういう問題じゃありません」
……全く。
危機感というものがないのか、この人には。
「……前よりは強くなったよ、私は」
柔らかな、それでいて芯のある声。
「だから、大丈夫」
力のある言葉。
相変わらず思い出したように熱を出しているだろう、とか。
まだ定期的に通院してるだろう、とか。
言い返そうとしたけれど。
気押されて、言い返せなかった。
この人が強くなったのは、本当だったから。
「友藤(ともふじ)」
主は私の目の前まで歩み寄って来て、私の顔を見上げた。
「辛い時は泣いていいんだよ」
私は目を見開いた。
「そう言ったのは友藤だった気がするけど」
そう言って。
穏やかに微笑んだ。
「……そんなに酷い顔をしてますか」
「酷いね」
私は頭に手を当てた。
主は私に構わず、足元を通りかかった猫を抱き上げて、いとおしそうに頭を撫で、頬擦りをした。
「まるで、出て行った時の直前の顔だと思って」
息苦しさに耐えられなくなり、家を出て行った時。
あの時と同じ顔だと。
そして。
主は私に猫を手渡した。
「さくらと一緒に夕方まで一眠りするといい」
そう言って、柔らかな笑顔を向ける。
「眠ればきっと、少し楽になる。それに、さくらが一緒なら寂しくないよ」
……身代わりにしろ、という訳ですか。
私の望みを知っていて、それを叶えられぬ貴方の身代わりにしろ、と。
この猫を。
「……分かりました」
私は一礼して、猫と共に部屋に戻った。
誰も貴方の身代わりになどなれる訳はないのに。



布団を敷くと、猫は自分から中に入って行って、丸くなった。
確かに、主は犬か猫かと言われたら猫に近いと思う。
そんなことを前に言った気がした。
「……だから、かな」
生殺しには違いないが、いないよりはずっとマシだ。
きっと、夕方目覚めた時には元の私に戻るだろう。
自分も布団に入って横になると、丁度猫の姿が目に入って来た。
「おやすみ、さくら」
猫を撫でながら、私はもう1つの名前を呼びかけた。
おやすみなさい、と。



「雨が上がったよ、友藤」
夕刻。
起き上がって夕食の支度を始めようと台所に行くと、あの人は縁側で硝子戸越しに庭を眺めながら茶をすすっていた。
「雲間から陽がさしてる」
その言葉に誘われて、私は主の隣に歩み寄り、外を眺めた。
灰色の雲が白くなり、心なしか薄くなっているように見えた。
雲の合間から陽がさして、外は先程よりも明るい。
「きっと、明日はまた暖かくなるよ。さっき天気予報もそう言ってた」
そうですか、と私は言って、主の傍らに腰を下ろした。
「……良かった」
主はそう呟いた。
「元の顔に、少し戻った」
確かに、少しすっきりはしたけれど。
「……また、いなくなってしまうと思った」
消えそうな声で、呟いて。
だから。
私は、言った。
もう、あの時のように泣かせたくはなかったから。
それに。
独りになりたくなかったから。

「私は此処にいます」

辛くても、此処から――。
貴方から、逃げない、と。




(終わり)





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