春の優しい雨の日々


静かな住宅地の中に、その家はある。
時代に取り残されたかのような、木の塀で囲まれた、庭付き木造平屋建ての小さな家。
其処で、私は住み込みの下男と猫と暮らしている。



庭を眺め、本を読みながら――。




白い空から静かに雨が落ちて来る。
……桜が散ってしまうかも知れない。
襖を開けて庭を眺めながら、私は思った。
「入学式の日なのに、雨では皆さん残念でしょうね」
友藤(ともふじ)の言葉に、そうだね、と言いはしたものの、学校とはあまり縁のなかった私にはピンと来なかった。
自室の柱に身体を預けて、縁側に足を投げ出し、本の頁をめくる。
猫が側にやって来て、声を出さずに鳴いた。
友藤が外に出てしまったので、寂しくなったのかも知れない。
頭を撫でると目を細めて喉を鳴らし、隣で丸くなる。
その時、子供の泣き声が聞こえて来た。
親に怒られたのだろうか。
泣き声は苦手だ。
子供はもっと苦手だ。
私は本に目を戻して、泣き声を頭から追いやろうとした。
しかし、聞きたくないと思えば思う程、泣き声は耳に入って来る。
立ち上がって部屋に入り、猫も部屋に入ったのを確認して、襖を閉めた。
……まだ、聞こえる。
私は頭を抱えた。
どうしたらいいのだろう。
こうしている間も、泣き声は止むことはない。
にゃあ、と猫が鳴いた。
「……分かったよ」
友藤がいない以上、私が塀の外を見て来るしかない。
私は廊下に出て、玄関に向かった。
二枚歯の下駄をつっかけて、外に出る為に戸を開ける。
すると、丁度帰宅して門をくぐったところだった彼と、目が合った。
「只今戻りました」
「……おかえり」
出迎えたことなど、一度もない。
どうしていいのか分からない。
視線を落とすと、彼の後ろに人がいるようだった。
――子供だ。
「其処で泣いていたんです。家の鍵を持っているお姉さんがまだ帰っていないようで家に入れない上に、この雨で心細くなったのでしょう。お姉さんが帰って来るまで、家で預かろうと思いまして」
いいですか、と尋ねられたら、駄目とは言えない。
私は頷いた。
そして。
「――どうぞ」
彼の後ろで固まっている子供に声をかけた。
子供はそっと顔を出した。
髪の長い、小さな女の子だった。


珍しくテレビのスイッチが入り。
客用のお茶が出ている。
この家に来る客など、実家の人間以外で初めてではなかろうか。
自室に引き返そうとした私は、友藤に引き留められて、この小さな客人と向かい合う羽目になっていた。
……子供が苦手なのを知っているくせに。
友藤の思惑は今一つ分からない。
客人はお茶には一切口をつけず、テレビに夢中だ。
「3年生だそうです」
友藤が言った。
「其処のの新しい住宅地に住んでる子です」
彼は僅かな時間で客人から情報を引き出し、テレビをつけてお茶を出し、彼女の家に行って留守を確認し、念の為に電話までかけていた。
「お姉さんは5年生だそうです」
……2歳違いか。
其処で、ふと思ったのは。
「誘拐と間違えられたりしないかな」
「大丈夫です。近所の栗原さんがその場に居合わせていて知ってますから」
預かるなら、同じくらいの子供がいる、そのお宅の方が適しているような気がしたのだが、黙っていた。
子供は相変わらず教育番組に夢中だった。
本当に夢中なのか。
或いは、夢中な振りをしているのか。
私にはよく分からない。
細く、柔らかな黒髪。
ふっくらとした頬。
誰しも、こんな時代があった筈なのだろうが、自分がそうだったとはどうも信じられない。
「御両親共に働いていらっしゃいますから、きっといつもお姉さんと留守番なのでしょうね」
友藤が彼女を見る目は優しい。
いつも優しい目をしているが、今は特に。
「……友藤は末っ子だったね」
そうです、と彼は微笑んだ。
「だから、弟や妹が欲しかったんですよ」
そう言って、小さな客人を眺めた。
……年齢的に、彼女は妹というよりも娘ではないだろうか。
そう思ったが、これも黙っていることにした。
電話が鳴った。
彼は相手と少し話した後、受話器を置いた。
「栗原さんのお宅はもう息子さんが帰って来ているそうです」
え?と私が聞き返すと、彼は悪戯っぽく笑って言った。
「彼女と一緒にお宅に行ったら、もしかするとお姉さんが出迎えてくれるかも知れません」


まもなく、友藤は小さな客人をお宅に送り届けに家を出た。
客人のお茶は全く口をつけられることはなく。
テレビは彼女が見ていた番組がそのまま流れていた。
「……緊張、していたのかな」
私は呟いた。
知らない人の、知らない家。
知らない人について行ってはいけない、と親からきっと言われていただろうし、不安だったのかも知れない。
それでも友藤について来る程に、彼女は心細かったのだ。
「只今戻りました」
帰宅を知らせる声がした。
玄関まで迎えに出た猫と一緒に、彼は茶の間に戻って来た。
「お姉さん、家にいましたよ。すれ違いだったらしいです」
帰りが遅い!と妹さんが怒られてました、と彼は言った。
「責められるべきは姉の方じゃないか?」
私が顔をしかめると、彼は笑った。
「妹さんにも鍵が貰えるよう、言っておきましたよ」
そう言って、彼は台所に向かう。
時計は11時をさしていた。
私は、必要のなくなったテレビを消して、縁側に出た。
「……明日には散ってしまうかな」
庭を眺めてそう呟くと、茶の間を片付けに来たらしい友藤が言った。
「うちの桜は、そう簡単に散りませんよ」
その言葉に、思わず後ろを振り向いた。
「ねえ、さくら?」
友藤に同意するかのように、猫はにゃあと鳴いた。




(終わり)






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