また始まる日々


 
「待っているから」


穏やかな冬の晴れ渡った青い空。
時折吹く風は冷たいけれど。
私は縁側に座って、そっと呟く。



友藤(ともふじ)が私の前から消えて、4ヶ月。
ある日突然、置き手紙1つを残して。

「申し訳ありません」

たった、一言。
他には何も言わずに。
ついに彼も耐えられなくなったか。
私は笑った。
この小さな家で、ずっと2人で暮らして来たけれど。
狂おしい想いをぶつけても。
熱のこもった視線を向けても。
のらりくらりとかわされて。
使われるだけ使われて。
耐えられなくなったのは当然なこと。
――一方。
想いを、視線を向けられた相手の方も。
その熱は、突き刺さる程に痛いもので。
それはほんの少し甘美な、針の筵。
しかし、甘美であっても、血が流れることには変わりなく。
だから、この家から逃げられぬ相手の代わりに。
友藤は、逃げたのだ。

――私から。


「申し訳ありません」
たった一言だけの、その手紙。
開いて、私は笑った。
そして。
手紙の字は涙で滲んだ。



捨てられぬ手紙。
捨てられぬ想い。
晴れの日も。
曇りの日も。
雨の日も。
雪の日も。
私はいつも此処にいて、此処でお前を待っている。
こうして、縁側で、庭の四季のうつろいを眺めて。
空を見上げて。
綿入れを羽織らずに、茶色の結城の紬1枚で此処にいれば。
風邪をひきますよ、という声が聞こえる気がして。
「今年も、梅が咲いたね」
隣で丸くなっていた猫が、むくっと首を上げた。



紅梅は三分咲き。
白梅は一分咲き。
そのうち、桜も躑躅(つつじ)も咲いて、庭は賑やかになるだろう。
猫と私だけの静かな暮らし。
彼以外の人間を、家の中には入れたくなかった。
だから、一通りの家事や庭仕事もするようになった。
――滑らかな、綺麗な手ですね。
そう褒めてくれた手もガサガサになった。
きものを纏えば、手が生地に引っかかるようになってしまった。
彼はこの手を見たら悲しむだろうか。



帰って来ないだろうとは思う。
それでも。
私は此処で待っている。
この家で、ずっと待っている。
背が高くて。
器用で何でも出来て。
きものも洋服も良く似合って。
2つの透明なプラスチック・レンズの奥の優しい瞳。
聞き惚れてしまう程のバリトンの声。
目を閉じれば、其処にはいつも、友藤がいる。
けれど。
この、空洞はなんだろう。
塞がらない、この穴はなんだろう。
私は此処で、こうして生きているのに。
1人でも普通に暮らしているのに。
下を向けばきものに焦茶の染みが点々と浮かぶ。
固く目を瞑り、上を向く。

――だから。




「風邪をひきますよ」


はっとして目を開けた。
空耳かも知れない。
幻聴かも知れない。
けれど。
もしかしたら。
私はゆっくりと振り向いた。
其処にいたのは。
記憶の中よりもほんの少しやつれた、彼。
「とも、ふじ……?」
「はい」
その声も。
その瞳も。
以前のままで。
迎えに行こうとしたのに、身体は動かない。
魅入られたように。
その代わりに、友藤がスポーツバッグを置いて、コートを脱いで歩み寄り、私の前でひざまずいた。
私の肩にコートをかけて。
手袋を取り、その大きな手を私の顔に伸ばした。
「……泣いていたのですか」
「花粉症だよ」
「今年は酷いと言いますね」
見透かしているくせに。
帰って来て早々、私の嘘にも付き合ってくれる。
コートから彼の温もりが、匂いが伝わる。
「……また、此処にいてもいいですか」
私の涙をぬぐいながら、そんなことを言う。
「そんな言い方をされたら、断れないよ」
そう言い返せば、そうですね、と笑う。
私はそっと彼の手の上に自分の手を置いた。
「……ありがとう」
そう、呟く。
彼は私の頬から手を離し、私の荒れた手を両手で包み込んだ。
「こんなに、荒れて……」
泣き笑いのような顔をして。
「お前がいないから私がやるしかない。猫の手を借りる訳にはいかないから」
そうですね、と彼は微笑んだ。



「お茶をいれますね」
そう言って、彼は奥に引っ込み、手際良くお茶とお菓子を持って来た。
ついでに私の綿入れを持って来て、コートの代わりに着せかけてくれる。
「チョコレート?」
「今日はバレンタインですよ」
「そうだったかな」
私はそっと小さなチョコレートをつまみ上げた。
ほろ苦く。
でも、甘い。
そんな日々がまた始まるのだろうか。
そしてまた、逃げられてしまうのだろうか。
――否。
逃げられぬように、絡み取ってしまえばいい。
もう、手放したくはない。
此処に縛りつける為の、第一歩。


「おかえり、友藤」

私は、とっておきの笑顔で微笑んだ。




(終わり)






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