落ち葉が降り積もる日々


静かな住宅地の中に、その家はある。
時代に取り残されたかのような、木の塀で囲まれた、庭付き木造平屋建ての小さな家。
其処で、私は住み込みの下男と猫と暮らしている。



庭を眺め、本を読みながら――。




柿の木からはらり、と葉が1枚落ち、黒い土に朱がさした。
日の当たる縁側。
先程まで家の中をうろうろしていた筈の猫は隣で丸くなって眠っている。
ぼんやりと庭を眺めていると、下男が先日収穫した柿の実を切り分けた皿をそっと置いて行った。
この家の主人は私だが、近所の人間には彼の方が家主に見えているかも知れない。
同年代の人間と比べて色々と経験が乏しいせいか、私の外見はかなり幼いらしい。
彼と一緒に外に出ると間違いなく歳の離れた兄弟に見られる。
「今日は暖かいですね」
お茶を茶碗に注ぎながら、彼は言った。
「そうだね」
最近、朝夕は綿入れを羽織らねば寒さを凌げないが、昼間は日向であればきものだけで過ごせる暖かさだ。
今日に至っては袷(あわせ)では少々暑いと感じるくらいで。
「体温調節が難しいね」
「裸足にはならないで下さい」
差し出された茶碗を有難うと言って受け取り、両手で包む。
「まさか」
思わず笑ったが、彼は尚も言葉を続けた。
「足から冷えますから」
「信用ないんだね、私は」
「足袋が嫌いなことは知っていますので」
「寒ければ履くよ」
真冬になれば家の中では室内履きまで履くのだから、と言いながら、柿に楊枝を刺して口に持って行ったのだが。
「今日は暖かいからと素足に下駄で風邪をひいたのは一度や二度ではありませんから」
「……」
私は柿を口に含んで誤魔化した。



素足に下駄。
本当は裸足で土の上を歩くのが好きなのだが、他人に見られるのは恥ずかしいので彼が留守の時だけにして、普段は下駄で庭に出る。
庭仕事をする時は流石に長靴を履くけれど。
「裸足は春になってからにして下さい」
私の心を見透かしたように彼は言う。
「分かってるよ」
お茶をすする私に尚も言い聞かせる。
「実家に戻る羽目になりますから」
「人間、未来の不安よりも現在の快楽に弱いものだと思うけどね」
「いい加減学習して下さい」
「友藤(ともふじ)はまるで母親だね」
「小言を言われたくないのでしたら行動を改めた方がいいと思います」
「気をつけるよ」
私が自分の不注意で風邪をひいて寝込んだとしても、実家の家族が彼を責めることはない。
彼は私などよりもずっと実家の人間の覚えはいい。
「明日はお休みを頂いております。いいですか、くれぐれも――」
「本当に信用ないんだなあ」
私はつい笑ってしまった。
「大丈夫だよ。1日足袋は履いているし、炬燵で寝たりしないし、明日は朝から自分で作って食べるから心配いらない」
彼は顔に不信感を全面に出し、溜息をついた。



季節を勘違いしたのか、皐月(さつき)が2つ3つ花をつけている。
少し茶色味がかった小さな葉の集まりの中に、初夏と同じくらい鮮やかなピンクの花が咲いている。
――狂い咲きだ。
「……辛いなあ」
誰もいない縁側で独り呟く。
去年も今年も庭の皐月や歩道の躑躅(つつじ)は仲秋から花が咲き続けている。

小春日和にも困りものだ。
予定通り、我が家の下男は朝から出かけている。
そして私は約束を守って足袋を履いて過ごしている。
今日も日の当たる縁側は暖かい。
側に電気ポットと急須と湯飲みを置いて、日向ぼっこも長期戦である。
掃除も洗濯も済ませてしまったし、庭仕事も昨日友藤が念入りにしていたお陰で殆どやることがない。
昼食は朝の残りで済ませてしまったし、本を読むのも晴天の日が続く最近はいつも夜だ。
そんな訳で、今日もぼんやりと庭と空の移ろいを眺めている。
雲が少しずつ流れて行き、日の当たる場所も時と共に移動する。
猫も何処かに出かけてしまった。
私も散歩に行こうと思ったのだが、縁側があまりにも暖かいので、此処から動けずにいる。
冷蔵庫にはまだ多少食料があるから買い物の必要はない。
通院の日でもない。
外に出なければならない用もなく、他に留守番をする人間もいない。
すっかり根が生えてしまったようだ。
まあいいか、と思うことにしてお茶をすする。



ずっと昔。
私は本ばかりを貪るように読んでいた。
手持ちの本を、繰り返し繰り返し。
それしかすることがなかったから。
家の仕事は何も出来なかったし、やろうとしなかったから。
彼は一から教えてくれた。
その点においては親のようなものだろうと思う。
つまり、私は彼にとって、いつまで経っても心配の種という訳だ。
それは鬱陶しくもあり、嬉しくもある。
休暇をとる時は本当に申し訳なさそうな顔をする。
「休みたいなら休めばいいんだよ」
ただでさえ住み込みでプライバシーは皆無に近いのに。
それなのに、彼は滅多に休みをとろうとはしないのだ。
年末年始もお盆も。
私が実家に帰ればいいのだろうと考えて、帰る振りをしたことはあったのだが、あっさり見破られた挙句、そこまで主人が気を遣うなと叱られた。
『貴方が実家にいるのが苦手なことは知っています』
……小言を言う人間は少なければ少ない方がいい。



日が傾き始め、私は縁側から引き揚げるべく腰を上げた。
今日の夕飯は何にしようか、とぼんやり考える。
台所には幾つかの野菜と、少量の肉と魚。
「……鍋かな」
出汁に何でもかんでも投入してしまえばいい。
野菜スープになってしまう可能性大だったりするが。
食べるのは私1人だし、手間はかけない方がいい。
そんなことをつらつらと考えていると、玄関の引き戸が開く音がした。
遠くで、只今戻りました、という声が聞こえた。
……まだ日は落ちていないのに。
続いて廊下を歩く音が聞こえ、彼が茶の間に顔を出した。
「只今戻りました」
「おかえり」
滅多にお目にかかれない、ジーンズ姿。
「早いね」
もっと遅くまで遊んで来ればいいのに、と言うと、彼は笑った。
「家にいる方が落ち着くんですよ」
――家。
「夕飯は鍋だからね」
「何の鍋です?」
「野菜鍋」
「すき焼きがいいです」
「だったらしゃぶしゃぶの方がいいな」
「買い物に行かないと……」
「いいよ、薄切りあるから」
「あれは明日使うんです」
……ってことは、明日はすき焼きなのか。
私は溜息をついた。
「分かった。行ってくる」
「私も行きます」
「今日は休みなんだから、いいよ」
「私も個人的な買い物があるんです」
何が何でもついて来るつもりらしい。
言い出したらきかないのが困る。
しょうがないなあ、と私は呟いた。



戸締まりをして電気やガスの元栓を閉めてから一旦自室に戻る。
羽織を引っ掛け、マフラーと買い物袋を手に玄関へ行くと、彼は既に靴を履いて待っていた。
下駄をつっかけてマフラーを巻き、揃って玄関を出る。
すると。
にゃあ、と足元から猫の鳴き声がした。
「ああ、さくら。おかえり」
猫は甘えるようにきものの裾に身体を擦りつけ、するりと家の中へ入って行った。
留守番をしてくれるつもりらしい。
「さくら、行って来るよ」
私は家の奥に向かって声をかけ、戸を閉めた。
鍵をかけ、振り返る。
「じゃあ、行こうか」
私の言葉に友藤は頷いた。



小さな門をくぐり抜けた途端、冷たい風が頬を叩いた。
あまりの冷たさに私は言った。
「やっぱりやめようよ」
「肉が足りません」
「どうして貴方は、肉、肉、言うかな」
「しゃぶしゃぶに肉がなくてどうします」
「……分かったよ」
魚だっていいのに。
そんな言葉を飲み込んで、ムスッとして歩き出すと、彼が笑いながら隣に並ぶ。


いつか別れは訪れる。
蔦を絡め、その場から逃れられないようにしても。
彼と私が同じ人間でない以上。
いつか別れは訪れる。
だから、隣にいてくれる今。
独りではないと認識出来る今が、愛おしく感じられるのかも知れない。
一度離れたから尚更。
「全く、どうして肉だけの為に買い物に行くかな」
私の呟きに隣で笑みを浮かべるのを感じながら。
そして。
私達は肩を並べ、住宅街の中の小径を幾分小走りに進んで行くのだった。




(終わり)






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