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その晩、イングリットはビルの日記帳を開くことはなかった。
気にはなりつつも、他人の日記を読むと言う事に感じる罪悪感は大きく、それが自分の傷付けたビルのものなのだと思うと、なおさら申し訳ない気がして読めなかったのだ。
だが、そんな想いも日が経つごとに少しずつ違うものへと変わって行った。
あのマーチンが読めというのなら、それはきっと読むべきものなのだ…そう感じながらも、日記帳に手をかけてはその手は止まる…
何度もそんなことを繰り返し…ある日、ようやくイングリットは日記帳のページをめくった。
初めて目にしたビルの字は、うまくはないが誠実さを感じさせるものだった。
一文字一文字丁寧に時間をかけて書き連ねたことが伝わって来る文字だ。
義父の体調のこと…庭に咲いた花々のこと、季節の移り変わり…
そんなありふれた日常が、飾らない文章で綴られており、ページをめくる度にイングリットの心は春の日差しのように温かくなっていった。
(あ…これは……)
イングリットは不意に口を開き、鼓動は突然速まった。
そこに書かれていたのは、イングリットがビルと初めて出会った時のことだった。
久し振りに買い物に来たついでにマーチンの家を訪ねるとあいにくマーチンは不在で、帰ろうとしていた所でイングリットのことを見かけたようなことが書いてあった。
読み進めるうちに、イングリットは溢れ出た涙を指で拭う。
『その女性は俺が怪我したことに気付き、そのことを気遣ってくれた。
なんて優しい人なんだろう。
この町にあんな素晴らしい女性が越して来てくれたなんて、とても嬉しい。』
(あんなことを…
私はあの時、ビルを見てびっくりして、助けてもらったお礼さえ言わなかったのに…)
当時の様子がイングリットの頭の中にまざまざと思い出される。
初めて見たあの黒い痣に驚いて声をあげてしまった記憶が、イングリットの胸をちくりと刺した。
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