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することは山のようにあった。
いや、簡単に済ませようと思えばそうすることも出来たのだが、イングリットは、屋敷を居心地の良い空間にすることにこだわり、掃除をした後もカーテンやクロスを変えたり、可愛らしい小物を買って来ては部屋の中を飾りたてた。
朝早くから暗くなるまでイングリットはひたすらに働いた。
身体を動かしていると、辛い事も思い出さずに済む事が彼女には嬉しく感じられた。
何日もかけ、ようやく家の中にある程度の満足が出来た彼女は、今度は庭の手入れに移った。
広く開放的な庭は、雑草を刈るだけでも相当の労力を必要とした。
そればかりではない。
奔放に伸びた枝を切りたくても、イングリットの身長では届かない。
ある日、玄関先の木に梯子を立てかけて必死に手を伸ばしていた時、イングリットの身体は不意にバランスを崩した。
「あぁっ!」
「危ないっっ!」
梯子から落ちたイングリットは頑丈な腕に受け止められ、そのまま後ろ向きに倒れ込んだ。
イングリットはまだ状況が理解出来ず、次に来るであろう痛みに供えて固く目を閉じた。
だが、予想していた痛みは何も感じられなかった。
「大丈夫ですか?」
恐る恐る目を開いたイングリットは、短い叫び声を上げて身を引いた。
「す…すみません…」
イングリットの目の前にいた男は小さな声で謝り、そのまま俯いた。
「い…いえ、私の方こそごめんなさい。
びっくりしたものですから…」
そう言った後で、イングリットは自分が不用意なことを言ってしまったことに気付き、男と同じように俯いた。
男の顔は、その造りが良くないだけではなく、顔の半分に黒く大きな痣があったのだ。
それを見てイングリットは、反射的に驚きの声をあげてしまったのだった。
「いえ…俺が悪いんです。
では、俺はこれで……」
立ち上がった男の二の腕から肘にかけてはすりきれ、血が滲んでいた。
「あ…血が……
手当てしなければ…!」
「あぁ、こんなもん、大丈夫ですよ。
気にかけて下さって、本当にありがとうございます。」
「あ…あの……」
男は頭を下げると、その場を後にした。
男のおかげで、イングリットはどこも怪我をすることはなかった。
服に着いた土埃を払いながら、イングリットはハッと顔を上げる。
(……あ、私ったら、助けていただいたお礼も言わずに…)
あの男に失礼な発言をしたばかりか、礼を述べることさえ忘れていたことにイングリットの胸は痛んだ。
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