039 : ケダモノ1








(ここがお祖父様の屋敷…)

イングリットは、これから暮らすことになる屋敷を見上げた。
彼女が肖像画でしか見た事のない祖父はもうとっくに亡くなっており、この屋敷は住む者もなく、長く捨て置かれた場所だった。
それは、錆びついた門扉や庭の荒れ様を見てもすぐにわかる。



(私はここで新しい生活を始めるのよ…
今までのイングリットはもうどこにもいない。
もう絶対に過去を振り返ったりなんてしない…)

屋敷に向かい、イングリットは決意を新たに深く頷く。



心から愛した人…結婚を約束した相手からの突然の裏切りに、若く純粋なイングリットの心は砕け散った。
元には戻せないほど粉々に心が壊れたイングリットは、自ら、その辛い人生に終止符を打つ事を決めた。
そんな彼女を寸での所で救ってくれたのは両親だった。
両親の深い愛情に気付いたイングリットは、自らの過ちを後悔し、これからの人生をしっかりと生きていくことを決意した。
しかし、そうするにはこの地は辛過ぎる。
彼との思い出のいっぱい詰まったこの場所から離れることが、イングリットの新しい人生の第一歩だった。
両親は、大切な娘を一人で遠い場所に旅立たせることには反対だったが、イングリットの決心は固かった。
ならば、せめて住む場所だけは準備させてほしいと懇願し、母方の祖父が住んでいた屋敷へ向かわせたのだった。
子供達が結婚して家を離れ、その後、妻が亡くなった時に、環境を変えて暮らしたいと言って建てたこじんまりした屋敷だ。
イングリットの母親もそこへは数回しか訪ねたことはなかったが、静かで治安も良い割には便利で暮らしやすい事からそこを彼女に勧めたのだ。



(それにしても酷い有様だわ。
中はどうなってるのかしら?)

庭の草をかきわけながら玄関の鍵を開け、扉を開くと少し黴臭い湿った空気が鼻をつく。
両手に持った荷物を玄関先に降ろすと、つかつかと窓際に歩み寄り、イングリットはカーテンを引き大きな窓を開け放った。
その途端、明るい陽の光と爽やかな風が部屋の中に注ぎこみ、澱んだ空気を一気に昇華させる。

室内は、埃は積もっていたが、きちんと片付いていた。
据え置かれた家具は、イングリットには少し素っ気無く感じられたが、いやな印象は受けなかった。



(さぁ、頑張ってお掃除しなくっちゃ!)

イングリットは、心の中で気合いを込めた。


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