「……ありがとう」

少女が6年間の短い人生で、初めてなんじゃ無いかという位の、「ありがとう」を述べた。

ルナには、そんな事は分からないが、今まで言われた「ありがとう」の中で、ずば抜けて心に響いた。

そう思えば、思わず体は動いて、ルナは少女に抱き付いていた。

「なっ……!?」
「どういたしまして……っ!」

ルナの目の端からは、真珠のような雫が溢れていた。

「……重いんだけど」
「ええ!? ご、ごめん!」

6歳には思えない位に淡々と言えば、ルナはわたわたとしながら離れた。

そんなルナを微笑ましく思いながら、少女が体を起こす。

さっきまで全く動かなかったのが不思議な位だった。彼女のお陰なのだろうか。

「まだ寝てなきゃ  !」
「私」
「え?」
「リナ」
「リナ?」
「私の名前」

ルナはリナの名前を覚えようと、何度も繰り返した。

リナ、リナ、リナリナリナ!

思わず「えへへ」と笑みが溢れてしまう。

誰かの名前が、こんなに特別に感じるなんて思わなかった。

「ねぇ?」
「何」
「その、あの、お、お、お……」
「何よ」
「お、お、おおおおおお」
「おしっこ? いってらっしゃい」
「あーん、違うよー!」

あまりにも「お」を連呼するものだから、トイレを我慢していると思ったのだが、違ったようだ。


「お姉ちゃんって呼んでくださいっ!」


「は?」
「だーかーらー、お姉ちゃ」
「それはわかったわよ。なんで私が」
「だって、さっき……」
「え?」

真っ赤な顔でむごむごとするだけで、何も言わないルナ。

なんでそんなにハッキリしないのだ、と少し苛々してくる。

先程感じた気持ちは、勘違いだったのだろうか。

「さっき、お姉ちゃんって言ってくれたよね」
「しらない」
「えええ!?」

衝撃を受ける。

いや、まさか。だってさっき、確かに……。

「じいしきかじょう」
(この子一体何歳なんだろう……)

6歳で四字熟語を知っているなんて、脳の作りが違い過ぎる。

さすがに呂律は回っていないが。

「とにかく気のせい」
「そんなあああああ」

うえーん、と泣いてしまうルナ。

おいおい嘘泣きじゃなくて馬路泣きか、と呆気に取られた。

しかも、泣き声を聞いてか、メイド達がバタバタとやってくる。

「ルナ様!?」
「どうなさいました!!」
「ルナ様!!」

メイド達はルナの頭をよしよしとする。

普通の6歳らしく無いリナには、普通の9歳らしいルナが羨ましかった。

悩みとか、なさそうだなぁ。

「あら、貴方は……」
「起きていて大丈夫なんですか?」
「ええ。きずはまだ痛むけどね。おきれるくらいにはなったわ」

呂律の回らない声とは裏腹の言葉に、メイド達は冷や汗を垂らす。

隣で泣きじゃくっている御嬢様よりも御嬢様らしかった。子供らしくは無いが。

「ルナ御嬢様、あちらで昼食にしましょう?」
「ヤマトさんが待ってますよ?」
「えー!? 私、ここで食べる!」
「ヤマトさんに叱られますよ?」
「……あっちで食べる」

ヤマト、という人はそんなに怖いんだろうか。

駄々をこねていたルナが一気に黙る。

「じゃあリナちゃん! 後でいっぱい遊ぼうね!」

なんだか最初より子供のようになった彼女は、メイドと共に、食堂に行ってしまった。

残ったのは、向日葵の笑顔の残像だった。


# # #



ご飯は美味しかったが、おざなりに食べて、リナはベットに横になった。

これからについて、だ。

頭の片隅では、ここにいても良いかな、なんて思ってしまっていた。

さっきの少女の言葉、トキワの森で自分は倒れていたと言った。

トキワの森なんて名前、聞いた事が無い。

だから、もしかしたらカントーに来てしまったのかも知れない。

さすがの追っ手も、カントーには来ないだろう。

それに、さっきからあのルナという少女の向日葵のような笑顔と、寂しそうな顔がちらついて仕方が無いのだ。

(おかしい、よね)

ふぅ、と一息吐いた時、パタパタという元気な音が聞こえてきた。

絶対ルナだ。

「リナちゃ  ん!」

  ほらね。

「外で遊ぼう!」

まてまて、怪我人って事忘れてないか?

そんな事思ったって、ルナは止まらない。

いつのまにか家の中からウインディが出てきて、リナをひょいっと背中に乗せた。

「えへへ、家のポケモンなんだ! 可愛いでしょ?」

自分より何倍もあるポケモンを、よく可愛いだなんて言えるな、と感心してしまう。

「ルナ様!?」
「怪我人を連れて行くんですか!?」
「うん! 家の中に引き込もってたら病気になっちゃうもんね」

なぜか、何気無いルナの一言に、メイドはうっ……と黙ってしまった。

誰か家の中に引き込もって病気にでもなったんだろうか。

「いってきます!」

しかし、意外と御出掛け先はこの家の花畑だった。

今は春だからか、色とりどりの花達が春風に舞い散る。

白、黄色、赤、紫、桃色。

正直、綺麗だと思った。

自分が知っていたのは、白と黒の世界な気がしたから。

男の道具となり、利用され、仮面を付けられた。

明るい色なんて見る事は無くて、あるのは憎しみと恐怖。

だから、色とりどりの花達が、向日葵のような彼女が、眩しくて、思わず目を逸らした。

「チュカ、リナちゃん、おいで! 楽しいよ!」

チュカ、と呼ばれた真っ白なリボンをつけたピカチュウは、ルナに駆け寄った。

リナが近付かずに突っ立っていると、腰のボールから、マリルが飛び出す。

多分、ボールから様子を窺っていて、我慢が出来なくなったんだろう。

マリルはやんちゃな性格だから。

「マリル……!」

マリルがルナの元へと跳ねていく。

「わっ、見たことないポケモン! 貴方も一緒に遊ぼうか!
 ほら、リナちゃんもおいでよ!」

ルナも、マリルも、楽しそうに笑顔ではしゃいでいる。

自分も、あそこに行ったら、あんなに楽しそうな笑顔になれるんだろうか。

ああ、そういえば、


最後に笑ったのは、いつだっけ  


6年間という月日しか生きていないのに、遠い昔だった気がした。

そんな事を思っていると、目の前に花弁が舞い落ちる。

「はい、プレゼント!」

いつのまにか頭には、花の冠が乗っていた。

……眩しいや。

彼女の向日葵のような穢れの無い笑顔を見て、目を細めた。

花の冠を取って、眺めていると、ルナが隣にちょこんと座る。

「私ね、今までメイドさん以外は誰もいなかったの」

花の冠から、ルナへと視線を移すと、彼女は空を仰ぎながら、春風に向日葵の髪と真っ白なリボンを揺らしていた。

「ママとパパは………」

突然、顔に影が射したように暗くなり、うつむく。

それは先程から疑問に思っていた。

メイドと執事はいるのに、両親は跡形も無かった。

ルナはパッと明るくなって、また空を仰いだ。


「だからね、妹が出来たみたいで凄く嬉しかった!」


その言葉に、リナは今までに無い感覚が沸き上がってきた。


暖かくて、


切なくて、


愛しくて、


まるで、心の中の凍てついた氷が溶けていくような  


「私も、うれしいよ。
 ………お姉ちゃん」


ぶっきらぼうに吐き出された言葉は、雪のように儚くて、消えてしまいそうだった。

そんなリナに、ルナはまた、思わず抱き付いていた。

今度は、重い、だなんて言われずに、むしろ抱き締め返される。

互いの一番欲しかった物。

両親を亡くしたルナは、支えてくれる人が必要だった。

仮面の男に囚われていたリナは、傍にいてくれる人が必要だった。

意識して望んでいた訳では無く、無意識に望んでいた。


妹みたいなルナと、姉みたいなリナ。

日溜まりのようなルナと、氷のようなリナ。

真っ白なルナと、真っ黒なリナ。

不釣り合いのようで釣り合っている二人。


二人は、存在を確かめ合うように、しばらくずっと抱き締め合っていた。



それが、兄弟≠フ大事な記憶だった。




逃げ出した先に見えた希望
(眩しくて)
(愛しくて)


20140120

[ back ]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -