とても、温かい……。

微睡みの中で、温かさを、いや、ただの温かさではない。聖なる温かさを感じていた。

体に温かさを感じると共に、自然と、心にも温かさを感じた。

ふと、姉の顔を思い出す。

今、彼女は元気でやっているだろうか  

そして少女は泥沼のように、ズブズブと夢の中に入っていく。


# # #



少女はただひたすら走っていた。

先も分からず、進んできた道すら分からない。

右も左も、上も下も、斜めも分からない状態で、彼女は本当にひたすら走っていた。

空を翔んだり、海も渡ったりした気がするが、正直覚えていない。


ただ、ただ、あの男の元から逃げる為に  


それはもう必死だった。

ずっと走っているから気配も感じなくなり、足はもつれ、喉はひゅーひゅーと鳴らす位に渇いていた。

体は枝や葉っぱで所々切っていて、キズだらけだった。

傷みは感じなくなる位に麻痺していたが、目が霞み、体が上手く動かせなかった。

それなのにまだ走り続けている彼女は、相当な体力を持ち、そして、絶対に逃げ出すという意志が強いから。

だが、そろそろ彼女の体は限界だった。

先刻から幾度となく転び、血と膿(ウミ)が、絶えず足から流れ落ちる。

目の霞みも、絶える事は無かった。

しかし、今はどこかの森の中。

今倒れてしまったら、追っ手は置いておいて、ポケモン達に襲われてしまう。

いくら自分でも、こんな状況で襲われればどうなるか分かった物では無い。

だから、足を止める事は出来なかった。

「ハァッ……ハァッ……!!」

一体今まで、どの位走ってきただろうか。それすらも遠い記憶だ。

たった一時間が、半日に、二時間が、一日に感じる。

つまり少女にとっては永遠に続く地獄のような時間。

しかし、地獄のような時間なんて、追っ手から逃れられれば終わる。

だけど、追っ手に捕まれば、それよりも酷い地獄が待っている。



孤独な空間、

縛られた時間、

罵倒に、怒号に、軽蔑、



あんな目に、二度と遭いたくは無い!

だから、走る、どこまでも。

  けれど、6歳の彼女には、勿論無慈悲にも限界を迎えてしまう訳で。

ドサッ、という何度目かの音。

もはや顔が地面に当たってジャリジャリとした感覚も、慣れてしまった。

起き上がらない。体が動かない。

しかし、だからだろうか。周りにはポケモン以外何も無い事が分かった。

そうか。気が付けば、追っ手から逃げ切れていたんだ、と。

やっと、気が付いた。

でも、誰かに見つかったらヤバい。なぜなら、自分には今、居場所が無い。

帰るべき場所は、ここから恐らく遠い。

だがその帰るべき場所も、男に嗅ぎ付けられたらいけない。

帰るべき場所には、いけない。

誰かに見つかって居場所が無い事を知られれば、警察に届けられて保護されてしまうのか。

どうしよう、どうすれば良い、

でも、もう、考えられ、ない、

意識、が、遠退く  





その時、ひょい、と抱えられる体。

目が霞んで、よく見えない。

何か言ってるようだが耳にノイズがかかったように聞き取れない。

体が揺れる。ああ、運ばれているんだ。

でも、なぜか、構わないと思った。

抱えられた手の、久々の温もりが、少女を安心させたのかもしれない。

無意識の内に、呟いていた。





「お、姉……ちゃ、ん」





目が閉じられる直前、向日葵の髪の少女の可愛らしい顔が目に焼き付いた。


# # #



ふと、目を開けると見えたものは、天蓋(テンガイ)だった。

そして身を包む物は、羽毛、か。

ここはどこなんだと体を起こそうとするが、思っただけで終わった。

体が言う事を聞かないらしい。

そりゃあ、そうよね。と心の中で嘲笑してしまう。

あんなに体に無理をさせたら、いくら天才≠ニいえ  

天才=c…その言葉に歯噛みした。

あの氷のような目で自分を見下す、あの男の言葉を思い出し、憎くて憎くて堪らずに、拳を握る。



『自分の能力を無駄無く使う奴が天才≠セ。お前は  屑≠セ』



ギリィッ!

頭の中に音が響く位に、歯噛みをして、歯の間からは血が滴った。

滴った血を舐めたら鉄の味がした。それと同時に、ガーゼやら包帯やらで応急措置された全身の傷が痛んできた。

ああ、馬鹿馬鹿しい。あんな奴の言葉を真に受けるなんて。

だが、嫌いな奴というのは、いつまでも記憶に残る物だ。

なかなかリフレインが止まない。




『天才≠カゃない』




『屑≠セ』




『お前に能力≠ェ無ければただの役立たずだ』




『お前は特別枠≠ネんだ』




『お前にパートナーはいない』




『お前は……一人だ』




『能力≠使え』




『ポケモンを好き勝手出来る』




『ポケモンを道具にする能力≠』




うるさぁぁぁい!!!!

手にも包帯がされているのにも関わらず、手で思いきりベットを殴る。

だが、ベットは柔らかくて、なんの音も出ずに、手も全く痛くなかった。

こんなのでは気は収まらない。

少女は気が荒れていた。

そんな時、パタパタと廊下から足音が聞こえてくる。

そしてバァン、と開かれた扉を視線だけ投げ掛ければ、メイド達が焦ったようにこちらへ向かっていた。

天蓋付きのベットなんて、金持ち位しか持っていないだろうから、大体想像はついていた。

だから少女は驚かない。

「め、目が覚めましたか?」
「……」
「どうかなさいましたか?」
「……」
「お食事をお持ちしましょうか?」
「……」
「傷の具合は……?」
「……」

少女は、何を聞かれても、何を言っても、一言も口を開かなかった。

無視している訳でも、口が訊けない訳でも無く、まるで聞いていないかのように

困った、と思ったが、メイド達にはどうしようも無かった。

とにかく、家の主に知らせるしか無かった。





メイド達が出ていけば、少女は、はぁっ、という息だけを吐いた。

これだけ何も反応を示さなければ、相手をしなくなるだろう。

少女は、この傷が治り次第すぐに出ていくつもりだった。

行き先なんて無いし、目指す場所も無い。

だが、自分なら、なんかの手伝いをしながら放浪かなんかでも出来るだろう、と思った。

今すぐじゃなくて良い。むしろ、今はここにいた方が良いだろう。

まさか、こんな金持ちの所に匿ってもらっているなんて思いもしないだろう。

大丈夫。追っ手はしばらくすれば居なくなる。

あの男は、人を簡単に捨てるだろうから。




  と、その時、カチャリと音がして扉が開く。

なんだ、またきたのか、と思った時、優しい香りが漂った。

この匂い  知っている。

確か、あの時の  




「怪我、大丈夫?」




凄く優しい声だった。

暖かくて、日溜まりみたいで、

向日葵みたいな  



「何も反応が無い、って言われて……心配になっちゃったの」


ベットの傍の椅子に、ことりと座り込む。

「私の名前はルナ。9歳よ」

先程と同じく、聞いていないようなフリをする。

すると、ルナは「あ……」と寂しそうな顔をした。

きゅっ、と唇を軽く噛んだのは、自分だった。

あれ?

なんで  

「ご飯、食べてね。元気出るよ」

ふわり、とした向日葵のような笑顔に、一瞬目を見開く。

どうしてそこまで優しくしてくれるの?

「なんでトキワの森で倒れてたのかは分からないけど……、
   よく頑張ったね」

向日葵のような微笑みを浮かべながら、驚きの言葉を発した。

自然と、ポロリと一粒だけ、涙を流した。

ルナは驚いたような顔で、少女を見つめていた。

「ど、どうしたの? どこか痛いの? 私、何か気に障る事でも  
「ちがうの」

たった6歳の、可愛らしい声が二人しかいない広い部屋に響いた。

初めて聞いた少女の声に、ルナは思わず感動してしまう。


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