#25
「オレも、なんとなくここに来たいと思ってた」
隣を歩く楽が、ふとそんな事を呟いた。
顔を上げると見た事のない位に弱々しい顔をする幼馴染みがいた。恐らく自分では気付いていないのだろう。
「えいっ」
「!?」
そんな幼馴染みに喝を入れるように両側の頬っぺたをつねる。すると、驚いたように目を丸くした。まさかこのタイミングで、こんな悪戯をするとは思ってもみなかったようだ。
「ひゃ、めろ!!」
「あはは、阿呆みたいな顔!」
「……」
「ほわっ!?」
抱かれたい男No.1に対して阿呆みたいな顔とはなんだと、無言で頬っぺたをつねり返す。
彼女の頬っぺたは柔らかくて、マシュマロみたいだった。試しに上下に引っ張ってみると、本当に阿呆みたいな顔で笑ってしまった。
「あっ、わらっひゃねー!」
「……なんで嬉しそうなんだよ」
そんなに嬉しかったのか、自分の頬をつねっていた手もいつの間にか離れていた。思わず、自分まで手を離してしまう。
「…………嬉しいよ」
ふと、いつもは子供みたいにはしゃいだ顔をするのに、珍しく大人しく微笑まれた。
それだけで楽の心拍数は密やかに速く鳴る。
ダメなのに。彼女にとって楽という人物は幼馴染みでしかないのだから。むしろ幼馴染みという関係を変えてはいけないのだから。変えてしまったら、彼女はきっと困ってしまうだろう。
それは、側にいるからこそ分かる事だ。
「私、楽には笑ってて欲しいよ」
──なのに、彼女はそんな自分の心に易々と侵入してくるから困ったものだ。
久しぶりの呼び方に、らしくもなく照れ臭くなった。
そういう事ばかり察しが良い奏が「照れた?」と顔を覗き込んできてきたので、とりあえず頭を下側に押し込んでおいた。
「ちょぉっ!?ふんぬぅぅ!
……って、あれって」
無理矢理上へと頭を上げようと懸命に奮闘していると、前方に見える二つの影に気が付いた。
「……天」「陸、君」
苗字の違う、双子の二人だった。
「天にぃみたいに歌いたかった。
天にぃの真似をする訳じゃなくて……」
陸の声が、風に乗って運ばれてくる。
その声色だけで、如何に彼が兄である天の事が好きか、伝わってくるようだった。
「外を走り回れないオレの為に、天にぃは歌って、飛び跳ねて、いつもオレを楽しませてくれたから。笑ってる天にぃを見て、オレはいつも笑ってたから……。天にぃにも、笑って欲しかったんだ」
「……陸……」
他人には見せないような、天の切なそうで、そして愛しそうな表情が月明かりに照らされている。
(そうか……)
彼と同じ感情を持った事がある。とうの昔に忘れていたけれど、今その感情が蘇ってきた。
憎しみや劣等感などの負の感情ばかりに気を取られていた。自分だって、そういうキラキラ光る願いを秘めていたのに。いつからだろう、まるで無かった事みたいに消えていた。
(……お母さん……)
彼女の笑った顔が脳裏に過ぎり、思わず俯く。
すると、楽が優しく頭を撫でてくれた。いつも彼はこうやって自分が辛い時は側にいて慰めてくれる。本当に幼馴染みである彼には感謝しなければいけない。
泣きそうになっていると、パタパタと足音が近付いてくる。
「はあっ、はぁ……っ、
……みんな……」
──小鳥遊紡だった。
紡は全速力で走ってきたのか、可愛らしい私服も髪も乱れていた。辺りにいる人物を一瞥してから、こちらに気付いたようだ。
「楽さん、奏さん……」
パッ、と頭を撫でていた手が離れる。
そういえば楽は紡が好きだったのだと思い出す。もし勘違いされたら困るものね、と頭の中だけで呟いた。
「……知らないうちに、あいつらも、ここに集まってきた。みんな、憧れるものは同じだな」
そう。
ここはゼロアリーナの前。過去に伝説のアイドル「ゼロ」がライブをした場所だ。
IDOLiSH7もTRIGGERも、色々な壁にぶち当たり、そして憧れの境地へと足を運んだ。
奏は、恐らくIDOLiSH7の皆もそう考えるであろうと思い、楽に連れてきてもらったのだ。まさか天や龍之介がいるとは思わなかったけれど。
「あんた、俺たちのステージ、見た事あるか?」
唐突に楽がそう問うと、紡は静かに頷いた。
「はい……。ファンでしたから」
「どこが好きだった?」
一瞬、どうしてそんな事を聞くのか分からないという顔をするけれど、すぐに思案する仕草を見せた。
「……TRIGGERのみなさんが、格好良くて、完璧で、圧倒的なオーラを見せてくれるところです」
「…………」
「すごいものを、素晴らしいものを見てるんだって、純粋に尊敬して、感動して……。
こんな素敵なものを見れた自分は幸運だったって、誇りを持って言えるところです」
にこりと微笑み、空を仰ぐ。
「虹を見上げた時みたいに」
「…………」楽は驚いたように目を見開いた。そんな風に自分達を見ているなんて思わなかった。
隣にいる奏の方が寧ろ、その言葉を聞いてピンときてるようだった。そういう風に例えられるなんて夢にも思わなかったけれど、言われてみればその通りだと思った。
「私の夢は……、私のアイドルが、IDOLiSH7が……。
その虹を越えていく事です」
自分のアイドルをさぞ愛しく思っているのだろう。優しい瞳で四方にいるみんなを見る。
楽の前なので、とてもじゃないけれど言えないのだが、自分もそう思っていると瞳で語りかけると、今の彼女には伝わったらしい。嬉しそうに微笑み返してくれる。
「……おまえ……」
「善戦しましょう、楽さん。私のIDOLiSH7は、あなたたちに負けません。必ず、あなたたちを越えて見せます。だから、そこにずっといてください。私達の目指す場所に」
先程電話の向こうで泣いていた少女とは思えない位に、強い意志を宿す紡に奏は安心したように笑う。
それに、紡にとってはただの宣戦布告のつもりだったのだろうが、その言葉は楽を奮い起こす力になっていた事を知らないだろうと思ったらなんだか可笑しかった。
「…………。はは……」
今まで眉根を寄せていた楽が、力無く笑った。
「言ってくれんじゃん。俺達だって負けない……。俺達はTRIGGERだ。
──迎え撃つ準備は出来てる」
奏の方をちらりと見ながら不敵に笑う。
迎え撃つ準備とはもしかしなくても自分の事も含まれているのか。というか紡にバレたくないのでこっち見んな。
微塵も気付かない様子で紡が笑い返していたので、とりあえず安心する。
「……良かった。紡ちゃんもがっくんもいつも通りだ」
思わず嬉しくなって笑顔が溢れる。
「いやぁ、ここで二人会えたのが良かったのかな!」
「何言ってるんですか!奏さんのおかげですよ?」
「え?」
さり気なく紡に楽の存在をアピールしようとするけれど、返されたのは意外な言葉で、思わずハトが豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう。今自分の顔がどれほどのアホ面か分かるようだった。
「奏さんが言ったんですよ?
私が信じていれば大丈夫だ、って」
そう言って、とても可愛い顔で笑う紡に、自分も女だというのにドキッとしてしまった。ときめく、というのはこういう事を言うのか。
予想外の事につい照れてしまい、口元が引き攣る。
そうだ、楽はどんな顔をしているだろうか。この可愛い顔の前には赤面も同然だろう。
「あれっ、なんで私見てんの!?」
「なんでって……なんでだよ」
「だって……」
紡ちゃんがこんなに可愛い顔をしてるのに、
そう言おうとしたけれど、喉の奥で止まった。なんとなく言う雰囲気では無かったからだ。しかもその楽はなんでか優しく笑っている。
全く意味が分からないけれど、とりあえず恥ずかしい事だけ分かった。
「あれ、そういえば『がっくん』って?」
「ぎくっ」
「声に出すか?普通」
「や、やかましいわ」
まずい、このままでは紡にバレてしまうと思ったら自然と口からオノマトペが出ていた。
「幼馴染みなんだよ、こいつ」
ポンポンと頭を軽く叩かれる。
あっさりとバラすものだから肩透かしだった。先程から幼馴染みには驚かされてきる気がする。なんだかんだ幼馴染みの事はなんでも分かっていると思っていたが、どうやらまだまだ知らない事が沢山あるらしい。
さてはヤキモチを妬かせたいんだな。可愛い奴め。
そう思ってちらりと紡の表情を伺う。なんだかこちらがドキドキしてしまう。夢にまで見た「楽×紡」が、ついに目の前で見れる日が来るとは……!
そんな理想を頭の中で思い描いたけれど、今正に見た現実は紡が自分と楽をキラキラした目で見ているのだった。
「仲良いんですね!」
おっと、想像以上になにか勘違いしているようだ。
絶対にこの瞳は自分と楽が付き合っていると思ってる瞳だ。
(完全に脈無しじゃないか……。
がっくん、可哀想に……)
本当に可哀想なのはお前自身だと、
誰か教えてやって欲しいものだ。
雨が降ればその後は、
(楽さんと奏さん……!)
(凄くお似合い……!)