#23
「…………何、この人」
目の前の人物を、本気でドン引きしたように見る天。隣の龍之介はドン引きはしてないけれど目を丸くして驚いていた。
深い溜め息を吐いた楽が彼女の頭を優しく撫でてやった。さらさらとした栗色の髪がふわりと揺れる。
「……なんで泣いてんだよ」
「うぅ……おぎになざらず……っ」
「気にするっつの……」
マネージャーが退出して(強制)、その場が静まったかと思えば、奏が突然泣き出したのだ。
案外感情豊かな彼女は、感動映画を見ただけで泣くので、幼馴染みの自分は泣き顔なんて見慣れているけれど、それでも泣き顔は見たくなかった。
確かに久々に見る彼女の泣き顔は、綺麗とも言えた。顔を真っ赤にして、真珠のような涙をぽろぽろ零していて、その弱々しい所に惹かれたりもするけれど。
それでも、彼女を泣かせない為に今まで幼馴染みをやってきた楽にとっては見たくないものだった。
「……仕方ねぇ奴」
「うわっ!?」
バサリと重たいものが自分の頭に落ちてくる。
引っ張って見てみれば、それは楽のステージ衣装の上着だった。どうりで重いと思った。
「その汚ぇ顔隠しとけよ」
「ぐ……否定出来ん……」
嘘。綺麗だから見せたくない。
そう言ったらどんな顔をするだろうか。いつもの顔の裏に隠してそんな事を思う。
いつだって感情のままに行動する奏は楽にとって憧れで、そして大切で、失いたくないものだった。本当は楽も自分に素直になって彼女に言いたい事があるし、側にいる龍之介にでさえ嫉妬している事を伝えたい。
(……無理だけどな)
ズボンのポケットに手を突っ込み、彼女から顔を逸らした。
逸らした時、龍之介と目が合った。
その顔がなんとなく赤いのは、何故だろう。鈍感な楽が例えその顔を見つめた所で何も感づかなかった。龍之介も感情豊かだから泣きそうなんだろうか。
「ぐずっ……」
なるべく声をあげないように泣いていた奏の嗚咽がとうとう漏れる。
泣き止めない彼女の頭でももう一度撫でてやろうかとそちらを向き直る。歩み寄ろうとした、その瞬間に横から影が伸びてきた。
「えっ」
奏から驚いたような声を出す。
そりゃそうだ。楽だって、天でさえも驚いている。
彼が──龍之介が、
奏を抱き締めるなんて誰が想像したものか。
「あの、あのあのっ……!」
泣き過ぎてがらがらになった声で、奏が狼狽えたように龍之介に何か訴えようとするけれど、動揺し過ぎて言葉になっていない。
「──奏ちゃん」
「はっ、はいぃ!?」
びくりと体を震わせて返事をする。彼女の顔は真っ赤で、今にも火を噴きそうだ。
「どうか俺を頼って。
一人で泣いたりなんか、しないで」
奏とは、会って本当に間も無い。
けれどその短い時間で彼女が如何に他人を見ていて、頑張り屋で、ひた向きで、明るくて、そして……弱いかが分かった。
彼女は一人で何でもこなしてしまうから、誰かを頼る事を知らないのだと思う。幼馴染みが側にいるのに知ったような事を勝手に思って申し訳ないけれど、確かにそう思った。
龍之介には妹がいる。彼女も少し不器用な子で、一人で根を詰めたりしてしまう真面目な所があるけれど、それでも少しは甘える事を覚えている。
けれど彼女は少しも誰かに助けを請わなかった。突然泣いてしまった時も、声を出さないように我慢していた。まるで周囲の人間に迷惑をかけないようにしているかのように。
「ううう……私っ、守られてっ……ぐず、ばがりでぇ……」
「そんなの気にする事無いよ。守りたいのは君が、」
我慢していた嗚咽が、喋ったことによって溢れ出始める。
ふと、喋っていた龍之介の言葉が止まる。龍之介の肩に顔を擦り付けていた奏は、彼を見ようとするけれど、後頭部しか見えない。
あ、うなじ綺麗。
「わたし、っひぐ、がぁ……?何です、ぐず、かぁ……?」
「…………、うん、そういう、事だよね」
「……?ぐずっ」
どういう事だろうか。意味が分からず、小さく首を傾げる。
「す……いや、大切、だからだよ」
言ってしまおうかとも思ったけれど、言葉を咄嗟に差し替えてしまう。
息が苦しい。不規則に暴れている心臓が、いつまでも収まらない。自覚してしまった瞬間、納得もしたし、それになんだか嬉しかった。
「……いつまで抱き合ってんだよ」
『…………!!!!』
ドキィッ!!
慌てて光の速さで二人が同時に離れる。その顔は見事に林檎の綺麗な色をしていた。
(……まさか、な)
龍之介は妹と弟がいるお兄さんだから、なんとなくほっとけ無くなったんだよな、と自分に言い聞かせる。
そんな様子が丸わかりの楽に、黙って傍観していた天が深い溜め息を吐いた。なんて可哀想な脳味噌だろうか。
「なに溜め息吐いてんだよ」
「別に。それよりもうすぐ出番だからね」
「……分かってるっつの」
「ふ、二人共頑張ろうね!」
奏が最初見た時よりも、更に強固な絆で結ばれたように見える。そんなTRIGGERに淡い笑みが溢れる。
(私、TRIGGERの事もっと好きになれたな)
もちろん今までだって、その完璧な隙の無い仕事に憧れを抱いていたけれど、それ以外にも個々の人間の優しさにとても惹かれた。それはこうして近い所にいるからこそ分かる真実だろうと嬉しくなる。
一般のファンの方が知り得ない、本当の3人の顔。
いつか世界中の人間にもこの優しさを知って欲しいけれど、今だけは自分が独占していたい気もする。
「……私、TRIGGERも箱推しみたい」
こっそりと楽に耳打ちすると、一瞬微妙な顔をされてしまうけれど、一拍置いていつものように髪をぐしゃぐしゃと掻き回すように頭を撫でながら「そうか」と嬉しそうに笑った。
酸いも甘いも傷も痛みも
(そういえばマネージャーさんに)
(電話して何があったか聞かなきゃ)