ホウエン地方108番水道。

定期船も通らない寂しげな海路の途中に、一隻の古びた船が捨てられていた。

すでにここに捨てられて数十年……。

船体の半分は海中に沈み、所々腐りかけている。

誰も近付かない海の墓場……。

人呼んで、



「すてられ船」!



† † †



ユキは今、生命の神秘を感慨深く感じでいた。

いきなりなぜそのような事を感じているかと言えば、リュックに入っていたタマゴからポケモンが生まれそうなのだ。

サファイアから半ば強引に、そして乱暴にホエルオーに乗らされた訳で、リュックの中にあるタマゴは大丈夫だろうか、と何気無く見た時に発覚したのだ。

ミ≠髞\力があるユキで無くとも、目に見えて分かる位に孵化は近づいていた。

じっとしばらく見ていると、時々、ことりと揺れる。これはもう確信出来る。

だからユキは、今生命の神秘について悶々と頭の中に巡らせていた、のだが。

それに水を差す存在が、二つ。



「なんて美しい毛ヅヤだ」

ルビーは進化したてであるエネコロロをブラッシングしては、目をキラキラと輝かせ、うっとりとしていた。

それを横目で見て、サファイアは眉を潜める。

「男のくせにま〜た化粧ばしとう」

サファイアはルビーのようにポケモンを飾り立てる事に対して嫌悪感を持っていた。

特にコンテストは、見た目ばかり競い合うお気楽大会だと言って嫌っている。

戦う力も無いポケモンは嫌い。

そう思っているから。やたらと飾り立てずに、自然のものは自然なままが良いというポリシーがあった。

ルビーから服を貰うまでは、科学製品を身に付けているとポケモンが寄って来ないという事で洋服も着ずに葉っぱで作った服で生活をしていた。

そんなサファイアだから、ルビーとは相容れなかった。

「ジムリーダーの息子のくせに、そんなことするヒマがあったら、技の練習のひとつでもしたほうがよか」

その言葉に、ルビーはこめかみに血管を浮き立たせた。

ユキも、微かだがピクリと反応し、遠い目をしていた。

「いっちょやるか! ちゃも!」

アチャモからワカシャモとなった「ちゃも」は、コクンと頷いて構えた。

「せあ! せ! せい!!
 それ、ちゃもにどげり=I」
「わ! ちょっとあぶな…!」

確かにそれは流石に危ない。

ルビーは技の練習を始めた二匹、もとい一人と一匹(決してサファイアを間違ってポケモンとして判断した訳では無い)からブラッシングをしていたエネコロロを守る。

「あのねー、ボクはポケモンコンテストの全部門優勝をめざしてるんだ。
 キミみたいなヤバン人とはいっしょにしないでくれ」
「ヤバン人とはなんね!!」
「山奥で服も着ないで洞窟ぐらしをしてたんだから、ヤバンじゃないか!
 ヤバン人じゃないとしたら原始人かい?」
「なしてそげんこつ言われんとならんとや!?
 あたしは父ちゃんのフィールドワークの手伝いばしてただけったい!
 大体海を渡る方法のないあんたばこうして一緒に乗せてやってるとにちっとは感謝しいよ!!」
「キミが無理矢理乗せたんだろ」
「せからしかっ!!
 だったら泳いで行けばよか!!」
「わわわわ!!」



静かにしてもらえませんかねェ!!?



今まで傍観者であったユキが、不思議な位に満面の笑顔を浮かべながら、怒気を含んだ声を張り上げた。

ユキのその笑顔は、端正な顔立ちを引き立たせ、きっと芸能人として通用するだろう。

だが、そんな笑顔が真っ黒だった。お腹の中では酷く気性を荒くしているに違いない。

ルビーとサファイアは組体操のような状態  サファイアが両手でルビーの体を持ち上げている  のまま固まって、顔だけをそちらに向けた。

両者、額には凄まじい量の汗。

ヤバい。これは、ヤバい。何がヤバいって殺気が。

きっと数値にしたらスーパー野菜人の物を遥かに凌ぐ事だろう。

海王拳とか使われたらどうしよう。最早ポケモンでは太刀打ち出来ない。

それを理解出来る察しの良い子供であるルビーとサファイアは、すぐにユキの前で土下座をした。

「……すまんち」
「……ゴメン」

年上に土下座をさせる位の威圧を放てる、齢たった9歳のユキは一体何者だろうか。

満足したのか、ユキは今度は潔白の笑顔を浮かべ「わかってくれたなら問題無いです」と言ってみせた。

サファイアはルビーに対して本当に小さな声で問いかける。

(こんな怖い子なん……?)
(怒るとね……その代わり、なかなか怒らないんだけどね……)

喧嘩以外の会話をさせる位に、今の状況はただならぬ物だった。

「しばらく静かにしていて下さい。
 タマゴに響くので」

黄色と黒のギザギザ模様のタマゴを撫でながら、ユキはしれっと言った。

我が妹ながら末恐ろしい子だ、と思いつつルビーはエネコロロの方に顔を向ける。

サファイアの方は、博士の娘だからか、タマゴに目がいった。

「それタマゴったい!?」
「ええ。そうですよ」
「触ってもよか!?」
「はい。構いません」
「うはぁ! 初めて見たったい!!」
「ええ? 初めて?」

確か博士の娘では無かっただろうか、という思いでサファイアを見る。

すると、タマゴは本当に初めて見たのだと言う。

もしかしたらホウエンではまだあまりタマゴが見つかるというのが無いのかも知れない。

なぜならタマゴを見つけて有名にしたのはジョウトなのだから。

ホウエンにはそこまで定着していないらしい。

「そろそろ生まれるの?」
「うん。ほら、たまに動くだろう?」
「本当ったい!! 楽しみったいー!」
「キミが楽しみになってどうするんだい?」
「初めてやけん。楽しみになるんは当たり前ったい!」

べーっ、と舌を出しながらルビーに言うが、二人共そこまで喧嘩をしないのはユキパワーだろうか。

「何が生まれると?」
「分かりませんね、聞き忘れていたので」
「それならもっと楽しみったい!」
「この模様に関係あるんじゃ無いかい?」
「黄色と黒のギザギザ模様かァ……」

馴染み深い気もするが、いざ思い浮かべようとすると、なかなか出てこない物だ。

「ミロカロスだったりしないかな!?」
「いや、多分ジョウトにいるポケモンだし……」
「じゃあガーディじゃなか!?」
「ガーディ……黄色要素、無くないですか?」
「う〜ん……」

三人は考え込んでしまった。

果たしてタマゴからは何のポケモンが出てくるのだろうか、と。

その時だった。



ピシッ。



明らかにタマゴから聞こえてきた音に、三人はタマゴに注目した。

それと同時に、三人は自分の鼓動が高鳴るのを感じていた。



ピシピシッ。



徐々にカラが皹(ヒビ)が入っていき、三人の期待の眼差しも輝きが増す。



ピシピシピシッ。



ピョコタンッ。



非常に可愛らしい効果音で、カラからユキの頭に飛び乗る。

「……ッ」

これでは姿が見えないので、すぐに頭から胸の前へ下ろす。

その姿を見たユキは、ピシッ、とカラが割れる音を同じ音を立てて固まった。

黄色い姿に黒いギザギザ。

今考えてみれば、タマゴの模様を見た時に気付くべきだったかもしれない。



『ピチュー!!!!』



その名を呼べば、ピチューは三人の声に、キュルンッという瞳をしてこてんっと首を傾げた。

ユキの鼻から迸(ホトバシ)る真っ赤な血。

サファイアとワカシャモ、アゲハント、ピチューはギョッとしてユキを見た。

だが、兄であるルビーとそのポケモン、彼女の幼い頃からの付き合いであるブースターは「またか」とばかりに呆れている。

「だ、大丈夫ったい?」
「大丈夫だよ。ユキは自分の中で可愛い上限を過ぎた物を見ると、こうなるんだよ。
 はい、ティッシュ」
「Thank You……」
「へ、へぇ……」

ユキの事を、小さくて可愛いだとか、常識人だという認識しか無かった為、少し引いてしまう。

鼻にティッシュを詰めるなんて美しくない事はしないユキであるが、そもそも鼻血を吹くというのは少女としていかなる物か。

「え、えーと、名前を付けなきゃだよね」

鼻を抑えながらピチューを見る。

ピチューは鼻血を出した時こそ吃驚していたが、今はタマゴを孵した当人であるユキを慕っていた。

「じゃあキミの名前はtwinkleだ」
「ティ……?」
「トゥインクルですよ。
 星や遠い光などが光る時に使う英語です」
「英語……? なんか良くわからなか。ばってん、ユキちゃん博識ったい!」
「いえ……英語は昔から好きだったので」

薄く笑って言いながら、喜んでいるピチューをなでなでしてあげる。

英語だけは昔から辞書などで勉強していた。

外人コンプレックス、という感じの物なのか、英語の発音がユキ的には好きだったのだ。

「それでも凄いったい!
 あたしなんか漢字読めなかよ〜」
「え"っ……」
「やっぱりキミは原始人だね……」
「原始人とはなんね!! 読めなか物はしょうがなかでしょ!?」
「普通は誰だって読める物だけどね」
「せからしか!!」

また始まったよ、と横目で二人を見ながら、溜め息を吐く。

すると、ピチューが不思議そうに目をくりくりとさせてこちらを見る為、なんでもないという意味を込めて頭を撫でる。

そんな時、乗っていたホエルオーが「きゅおおおおおん」という細い声を発した為に、三人はビクリと震えた。

「どきゃんしたと? えるる」
「背中の上で騒がしくしないでくれって言ってるんじゃないか?」
「えるるは父ちゃんから借りてるポケモンやけん…、
 う〜ん、何ば伝えたいんやろか?」

確かに静かにした今でも、きゅおおおん、という声を発している。

「前方に何かあるんでしょうか」

ユキの言葉に、三人+ポケモン達は目の前を凝視した。

すると、濃霧の向こうに、何かおどろおどろしい物が微かに見え隠れする。

「何かあるったい!」

ホエルオーが濃霧の中を掻い潜ると、大きな、木々が生えた船が堂々とそこに止まっていた。

見た目からしてかなり昔の物だと分かる。

三人は目の前の物に、目を見開く。

「な、なんだこれは!?」
「『すてられ船』ったい!!」
「『すてられ船』……?
 知ってるんですか、サファイアさん」
「うん、聞いたことがあると。
 この場所に捨てられた大昔の客船らしいったい」

その言葉に、一気に疑念が晴れる。

客船だと言うならこの馬鹿でかさは納得の物だった。

ふと、サファイアは良い事に気が付く。

「決めた!!」
「な、なんだよ?」

サファイアにとっては良い事でも、ルビーにとっては嫌〜な予感がした。

「もう夜ったい。この霧だし…、
 今夜はここで休んだほうがよかと」

それにはユキも頷く。

夜だというのに、まだダイゴを探すだなんてしたくは無かった。

「あたしとユキちゃんはえるるの上で寝るとして、
 まさか男の人と同じところで寝るなんて考えられんと。父ちゃんにしかられるったい。
 だから〜」

ひょいっとまたルビーを片手で持ち上げ、捨てられ船を指差した。

「あんたはあそこで寝るったい!」
「断固、断わる!!
 あんなユーレイ船みたいなところで寝るなんて絶対イヤだ!!!」

まぁ、確かに誰も好き好んであの古びた船の中で寝るなんてしたくないに違いない。

幽霊を信じていないユキだって、あんな薄気味悪い場所なんてゴメンだった。

だが、サファイアは容赦無く、ルビーを向こうの方に放り投げた。

「つべこべ言わんと行くったい!!」
「なにするんだ〜〜〜!!」

向こうの方に放り投げた為に、段々彼の声が遠ざかって小さくなる。

「朝になったら出てきてよかよ〜」

濃霧の上、壁を隔てている為にこちらからは見えないが、きっと頭から地に埋まっているだろうという大体の想像はついた。

ユキは胸中で合掌した。南無阿弥陀仏、と。



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