「う〜ん、やっぱり調子悪いな、ポケモン図鑑」

真夜中。木の上でサファイアが寝ているその下で、紅眼兄弟が大きな木の根に座り、ポケモン図鑑を覗き込んでいた。

ザザザ、と砂嵐が起こって上手く表示してくれないのだ。

これでは特訓の時に使えない。困ってしまった、とルビーは眉を下げた。

「こういう時はお決まりのあれでしょ」

手刀を作り、ニヒッと悪戯っ子のような顔をするユキ。

こういう顔の時の我が妹は大抵良からぬ事を言い出すに違いないと兄は渋い顔をする。

「斜め45°から叩く」
「ちょっ、それはさすがに止めてよ。壊れるから!」

予想通り、否、予想以上に無茶苦茶な言葉に、ルビーはポケモン図鑑をユキから引き離すように持ち上げた。

それに対してユキは本気で残念そうに口を尖らせる。

「と見せかけて、とりゃあ!」
「アッ──!」

諦めたかのように見せかけて、突然「ヒュッ」と手刀を振りかざした。

見事それは図鑑に命中し、ルビーは思わず変な声を出す。

最初こそ全く必要としなかったポケモン図鑑だが、今では大事な物である。

それが妹の鋭い手刀を浴びせられたのだ。もし壊れてしまっていたら……想像もしたくなかった。

「おや?」

ザザ……。

恐る恐るポケモン図鑑を見てみると、また例の砂嵐が起こったかと思えば、文字が浮かび上がった。

「ほら! 僕の言った通りだろう?」
「そんな馬鹿な! ……たまたまだよ」

タマタマもナッシーもない。叩いたら直った。その事実だけはハッキリしてるじゃないか。

そんな事を言っている妹は無視し、改めてポケモン図鑑を確認しようと目を向ける。

「これは!!」

ようやく記録が映し出された、が、

「どう見ても彼女(サファイア)の冒険の記録だ。ボクの図鑑なのにどうして……」

どれどれ、と覗き込んでみると、確かにそこにはルビーが冒険の中で出会わなかったようなポケモンが記録されていたり、見覚えの無い記録が表示されていた。

「…………。考えられる事は、超古代ポケモンとの戦いのショックでぶつかり合った2つの図鑑の記録(レコード)が…」
「混ざった、って事かい……?」

衝撃を受けたように図鑑を見つめるルビーの言葉を引き継ぐユキ。

恐らく、と頷きながら、他の記録も確認する為に図鑑を弄り始める。

「段差をこえた回数…521回、海に出た回数42回、温泉につかった回数…1回……」

ものすごく彼女らしい数値に、二人して彼女が寝ている木の上を仰ぎ見た。

(ボクがマリさんや師匠の車で楽をしている間に…、彼女(サファイア)はこの広大なホウエンを自分の身ひとつで旅してきたんだ)

ルビーは自然と、愛しげに優しく彼女を見上げていた。

そんな兄の初めて見る顔に、ユキは少し目を見張るが、嬉しそうに目を細めた。

彼女のおかげで変われているのだ、兄も、そして自分も。




──と、

いきなりユキの背中に重圧がかかり、それと同時に温もりを感じた。

「……ユキ」

耳元で囁かれた声は、低めの声だが、どこか嬉しそうに弾んでいた。

それを聞いた瞬間、体がカッと熱くなるのを感じた。

けれど、聞いた事のある声に反射的に飛び退き、腰のボールに手を伸ばした。

「キ、キミは!!」

まさか、とは思ったが──マグマ団の赤い衣装を身にまとったユウキだった。

横にいたルビーも訳が分からないというように目を白黒させていたが、しばらくして彼がマグマ団だと理解すると同時にボールを手に取った。

「よう!」

今度は暗い茂みの中から女性の声が飛んできた。

そちらを見てみると、ライターの灯りがポツリと見えるだけだったが、徐々に女性が歩み寄ってきたために顔が垣間見えた。

「悪いね。普通に話しかけるつもりだったんだけど、うちの馬鹿が」

ルビーがよく知る人物──カガリだった。

警戒心が極限に上がったルビーは、手に取ったボールを放ち、ラグラージを出す。

「おまえはマグマ団の…!! なぜ、ここに!?」
「フフッ。あんたの事は地の果てまでも追いかけるって決めたんだ。マボロシ島だろうがどこだろうが関係ないよ」

いつの間にルビーは彼女に口説かれていたんだ、と思ったが心当たりがあった。

恐らくカナシダトンネルで自分がユウキに捕まっていた時、ルビーもまたカガリに捕まっていた。その時に口説かれていたんだろう。

「……オレもユキの事死ぬまで追いかけるって決めた。だからマボロシ島だろうとお風呂だろうと関係ない」
「キミは何も言うな! ってか、黙れこの変態野郎!」

キリッとした顔で変態発言を平然と放つユウキに、素が出るユキ。

脇にいたピカチュウが御主人様のピンチに、カプカプとユウキの頭を噛む(しかし効果は今ひとつだ)。

「フウさんとランさんが、ボク達以外の人(トレーナー)かポケモンの気配を感じると言ってたのは…」
「あたし達の気≠感じ取ったんだろうね。プラスルとマイナンが紛れ込んでいたおかげで上手く誤魔化せた」
「何を企んでいる!?」
「そうとんがるなよ、提案があるんだ」

ザッザッとラグラージに近づけば、ぐいっと顔を押し退ける。その口からマッドショット≠竄辯ハイドロポンプ≠竄迴oされたら堪ったものじゃない。

「この島から出て挑む超古代ポケモンとの再戦、あの小娘(サファイア)とタッグを組むみたいだけど」

カガリはそのスラリとした長い足を大樹の根に上げると、そこ太ももに腕を置き身を乗り出した。

スリットになった服の為、そんな事をしたら見えそうになるに決まっている。

正直、ユキはそこに気を取られてカガリの言葉が頭に入って来なかった。もしやわざとやってるのではなかろうな。



「その戦い(バトル)、あたし達と組まないかい?」



『!?』

突然のその言葉に、もはや見える見えないなんてどうでも良くなり、ルビーと共に目を見開いた。

「バ、バカな! グラードン侵攻を進めてるマグマ団の幹部が、それを食い止めようとする側のボク達と共闘するなんて…信じられるか!!」
「もっともなご意見だな」

カガリはフッと笑いながらにそう言った。

「でも陸地を増やしたいってのは元々あたしらの頭領(リーダー)の考えでさ、あたしは別にどっちでも良かったのさ。大暴れさせてもらえりゃあね。こいつもそうだ。だろ?」
「……うん」

話を振られたユウキはその無表情の顔を少しも動かさずに、そう一言だけ答えた。

そもそもマグマ団に入った事自体成り行きだったユウキにとっては、カガリの言う通り陸地を増やす、なんてのはどうでも良くて、カガリやホムラ、ホカゲと楽しく大暴れすればそれで良かった。

それに、今はそれ以上に彼女──ユキと一緒にいられるだけで充分だった。

「それにこんだけのお祭り騒ぎが見られてもう結構満足してんだ。
 いや、むしろ予想を遥かに上回ってやりすぎちゃったね。あたしらもアクアの連中も……」

太ももに付いていた腕を上げ、上体を起こしながら呟くように言う。

ユウキも隣でコクリ、と頷いた。

まさか陸と海を巡っての戦いに、二匹の伝説のポケモンを呼び出すとは夢にも思わなかった。

ただアクア団と死闘を繰り広げるだけならまだしも、ここまで来てしまえばホウエンの一般人どころか地球全体にも影響が及んでしまう。

「このままの状況を続いて、ホウエンが丸ごと滅んじまったら元も子もない。それはあらしらにとっても同じなのさ。
 だから、あんたらにこう持ちかけてる」

横目で兄妹を見やれば、まだ警戒したようにその鋭い瞳を光らせていた。

「あたしらは少なくともグラードンの事は知り尽くしている。
 それと…、あんたら精神の特訓してるみたいだけど」

腕を組み、こちらを見たかと思えばニヤリと笑ってみせる。

「もし宝珠(タマ)の力に取り込まれちまったらあの娘、どうなんのかね?」

──ルビーとユキの脳裏に、宝珠(タマ)の力に取り込まれてしまったサファイアの姿が浮かび上がった。

ルビーはその硬く握った拳を少しずつ開いていき、



カガリの手を取った。



「交渉成立、だね」



そしてユキもまた、カガリに歩み寄ろうと──


「ユキ。キミはダメだ」
「なっ……!?」

こちらを振り返りながら真剣な顔でそういう兄に、ユキは耳を疑って思わず足を止めた。

ここまで来て、自分とは一緒に戦ってくれないというのか。

(いつも、そうだ)

いつも、いつも、自分ばっかりが危険な目に合って、こちらは守られてばかりなんだ。

信用していないという訳では無いだろうが、ここまで頼ってくれないと不安になる。

思わず俯き、怒りや悲しみから身を震わせた。


──ストン……


かと思えば、いつの間にかユキはユウキに引き寄せられ、彼の肩に頭を預ける形になっていた。

これには流石に驚き、真っ赤な顔で振り返る。

(ち、近っ!?)

振り返れば、そこにはすぐユウキの顔があるのだ。心臓がドクドク鳴っているのは驚きからだ、うん、そうに違いない。そういう事にしておこう。




「ユキはオレが連れていく」




いつになく真剣な顔でルビーを見据えるユウキに、三人(特にカガリとユキ)はかなり驚いた。

しかもいつもみたく、のろのろと喋るのではなく、淡々と喋っている。驚かない訳が無い。

「……キミ、ユキが好きなのかい?」

もちろん、恋愛の意味でね。と付け足す兄の表情は笑顔だったが、それは取り繕った物に過ぎず、嫌悪感が滲み出ていた。

作り笑いが得意な彼が珍しく本性を滲み出しているなんて、かなり妹に馴れ馴れしくするユウキに苛立っているようだ。

「うん。好き。大好き」
「!!??」

なんの躊躇いも無しに頷くユウキ。

更に顔を真っ赤にしたユキは、恥ずかしさで死にそうだった。

自分が天邪鬼で素直になれないような人間だからこそ、なんの偽りもないストレートな言葉に弱いのだ。

そんな顔を真っ赤にした妹を見て余計に腹の立ったらしいルビーは、むっとしたようにユウキを見る。

「……好きな子を、激しい戦いに巻き込むのかい?」

かなりの皮肉を込めて言えば、ユウキはルビーの目をまっすぐ見据えた。



「オレは、お前とは違う」



虚ろな目に、炎が宿るのを見た。

それは、赤い情熱の炎ではなく、青い冷静かつ力強い炎だった。

「好きだからこそ、一緒に戦いたい」

ぐっ、と引き寄せる力が強くなる。それでも、痛くはなくて、むしろ悔しい位に安心してしまう力加減だった。

「一番側にいて、守ってあげたい」

ルビーが眉を寄せる。

彼の言葉が、まるで槍のようになってルビーの心に突き刺さり、痛みを生み出す。

「それにユキは十分強いし、危なくなったら少し身を引くような賢い頭も持ってる。だから信頼できる」

当たり前のようにサラリと紡がれた言葉。本当に悔しいのだが、ものすごく嬉しかった。

『信頼できる』。

……一番聞きたかった言葉だった。

それを知っていて、わざと言っているんじゃないかと思っても、それでも──嬉しかった。

(……嗚呼、悔しいけど)

固くなっていた体から力が抜け、とん、と軽くユウキに寄りかかる。

(今、僕、こいつの言葉に救われてる)

なかなか心の中でさえも素直になれない彼女にしては、珍しく素直にそう思えた。

あまつさえ、行動にもそれが表れているのだから、ユウキの力は絶大だという事だろう。

「……分かった。その代わり、ユキを傷付けたら許さないから」

ボクも、キミみたいに強かったら良かったのに。

過去に見た妹の涙が蘇り、心の中で呟く。

きっとこんな強さが自分にあったら、あの時、誰も泣く事は無かったに違いない。

「……喉、痛い」
「あんたにしては喋ったからね」

ヴヴん、と喉の調子を整えるユウキに、カガリは最早唖然とした様子でその眼を見た。

……初めて見た眼と、同じようで、どこか違っていた。

その事がどうしてか嬉しくて、そして、どうしてか寂しい気もした。

「……ん?」

ユキを掴んでユウキから離すルビー。

その顔はにっこりと綺麗な笑みを描いていたが、やはり邪悪なオーラを放っていた。

「あまりユキにくっつかないでくれるかい? チャラ男電波クン?」
「……邪魔するとオレの炎ポケモン三匹で焼き尽くす」

ユキを挟んで、火花を散らすルビーとユウキ。

片方ずつ二人に掴まれて、それでいて両側からギャーギャーと騒がれユキはしかめっ面になる。

(誰か助けてくれ……)



† † †




「……あの一言で即決だもんね。よっぽどあの娘が大切なんだ……。うらやましいよ」
「? なんですか?」

きょとん、としてカガリを見上げるルビーの問いには答えず、ユキの手にある藍色の宝珠(タマ)に手を伸ばす。

「ここからはあたしと組む記録(レコード)ってことだ。さあ! ユキ、あたしにその宝珠(タマ)を貸しな!」

はい、どうぞ。と宝珠(タマ)をカガリの手のひらに乗せる。

本当は最初から最後まで自分が宝珠(タマ)を持っていたかったが、カガリの心意気を無駄にするのも気が引けた。

「一発命じてみようじゃないか」

カガリのその一言で、四人は一斉に真下で戦っているカイオーガとグラードンを見た。

静止せよ! ってね!!」



こんな気持ちになったのは初めて
(格好良い、なんて)
(言えるわけがない)



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