「……お姉ちゃん。わたし、いっっつも言ってるよね?」
現在絶賛御機嫌ナナメ中のリナに、ルナは小さく「……ハイ」と返事をする。
今、ルナは自分のベッドに横になっている。──風邪を引いたのだ。
元々身体の弱いルナだ。風邪で寝込む事なんて、実はしばしばある。
旅の中で身体を壊さなかったのは、本当に奇跡と言えるだろう。
「お姉ちゃん身体弱いんだから、無理しちゃダメって、何回言わせれば気が済むの?」
「ご、ごめんなさい……」
ケホケホ、と咳き込むルナ。
「ほらほら! 酷くなってるじゃない! 今、薬持ってくるから寝てて!」
ベッドの側に置いておいた椅子から立ち上がると、薬を持ってこようと、背を向けてドアに向かうリナ。
思わず「え!?」という声をあげてしまう。
「お、お薬飲むの……嫌だ、なぁ……」
「ダメ」
「あうぅ……だってあの薬苦いよぉ……」
もはや顔馴染みになってしまった医者から貰った風邪薬は、治るのが早いのだが、もうとにかく苦いのだ。
後味がいつまでも残る不快感は、思い出しただけで顔を顰めたくなる。
「良薬口に苦し、って言うじゃない。我慢してね?」
やれやれ、と呆れたように言うリナ。
──しかし、心の中ではその可愛さに悶えていた。
風邪のせいで火照る頬。そして潤む瞳。布団を目元まで被り、「むぅ」とした顔。
これを可愛いと言わずして何が可愛いというのだ!
極めつけは、
「……はぁい」
この珍しいまでの子供っぽさ!
普段、彼女は無邪気な姿は子供らしいが、我が儘を言ったりはしないイイコである。
しかし風邪を引いた事による効果プラス薬への拒否反応。それが彼女を子供のようにするのだ。
(ありがとう、風邪! グッジョブ、風邪!)
心中、ガッツポーズをしながらルナの部屋を出ていった。
「……さて、邪魔者は誰から来るかしら」
薬を投げてはキャッチする、を繰り返しながら隣にいるサンダースに投げ掛ける。
サンダースは誰かが来ればすぐに反応できる優秀なポケモンだ。
まぁ、リナ自身も、ルナが関わっていれば侵入者など容易く察知出来るが。
(妥当な所であの偽善者野郎かしら。なぜかアイツって情報早いのよね、ホントに)
どこかで監視してるんじゃ無いかと言う位に素早いのだ。
確かに情報屋だから嗅ぎつけるのが早いのだろうが……あれはどこが常軌を逸している。
「お姉ちゃん、薬持ってきたよ」
念のため、そろりと入っていくと、側のテーブルに乗ったピカチュウが気付いたように短く鳴いた。
すると、案の定ルナは眠りに落ちていた。
その顔はあまり良いものでは無く、リナは心配そうに隣の椅子に座り、置いておいたタオルを桶に入れた水につけ、絞った。
そうして出来た濡れタオルを彼女の額の上に置き、汗で張り付いてしまった前髪を横に流してやる。
(あの日……お姉ちゃんはずっと隣にいてくれたのよね)
こうやってベッドの側に座ると、いつも思い出す。
──ルナと初めて会った日の事を。今でも鮮明に覚えている。
初めて「ありがとう」と人に礼を述べ、初めて人の前で涙を流し、そして初めて「お姉ちゃん」と呼んだ日。
忘れない。忘れられる訳が無かった。
「……さて」
ことり、と椅子から立ち上がると、すぐに側のサンダースが臨戦態勢を取り、体毛を鋭くさせていた。
「行きますか。──邪魔者退治に」
蜜柑色の髪を揺らしながら気配のある方向に向かうその姿は、さながらルナの騎士(ナイト)のようだった。
「やっぱりアンタなのね」
玄関に立つ、黒。
それに向かってリナはうんざりとした声を出す。
「よお」
お決まりの挨拶。お決まりのへらりとした表情。
何もかもがリナにとっては不愉快な物であった。
「開けっ放しなんて不用心じゃねぇか」
けれどリナに限ってそんなミステイクをする訳が無いと、様子を窺うように目を向けた。
何も答えず、依然としてリナは仁王立ちで腕を組んでこちらを睨みつけていた。
さすがポーカーフェイスが得意なだけあり、その表情から情報を特定するのは困難であった。
「帰れ」
たった一言、そう言う。
「見舞い位、させてもらいたいもんだけどな」
やれやれ、と肩をすくめながら、そう言い切るリュウ。
やはり何らかの方法でルナが風邪で倒れた情報を手に入れてくるらしい。
「……相変わらず、アンタはどこで嗅ぎつけてくるんだか」
「まぁ、それは情報屋のシークレットって事で、さ」
はぐらかすように笑うリュウに、リナは思わず眉間にサンダースのミサイル針≠ぶっ刺してやろうかと考え込む。
しかしそんな事をしてはルナの大切な家が偽善者野郎なぞの血でまみれてしまう。
結局ルナの事しか考えていない、否、考えられないリナは、静かに腰のボールを手に取った。
「じゃあ、わたしに勝てたら良いわよ」
にやり、と笑うリナ。
逆にリュウはきょとんとして瞼をしぱたかせていた。
「……ホント、お前って勝ち負けにこだわるよな」
「『勝てば官軍、負ければ賊軍』って言うでしょ?」
「ポンッ」と軽い音をたててマリルリをボールから出す彼女の瞳は、まるで獲物を狩る鷹のような鋭い目つきであった。
おー怖い怖い。
若干苦々しく笑いながら、フードに入っていたピカチュウを呼び出す。
したっ、と肩に乗るピカチュウはやる気満々のようで、その赤い頬袋から小さな火花を散らしていた。
最近バトルをめっきりしていなかったので、相棒は久々に好戦的になっているようだ。
「マリルリを出したの、きっと後悔するぜ?」
「あら、わたしのフルートはヤワじゃないわよ?」
お互いの好戦的でいて信頼を寄せるパートナーのポケモンを前に、自信満々にほくそ笑んだ。
10万ボルト≠放つ為に、バチバチと電気を溜めるピカチュウ。
すかさずマリルリが捨て身タックル≠ナ阻止しようと、構えながらピカチュウに向かって駆け出す。
それを予測していたピカチュウが大きく飛び跳ね、マリルリの大きさでは届かないような高さにまで行き着いた。
(へぇ……。四足をバネにすると同時に、尻尾も利用するなんて頭の良いピカチュウね……)
今の一瞬で、リュウのピカチュウは飛び跳ねる際に、四足だけではなく自らの尾を支えにする事で、より一層力強く飛び跳ねたのだ。
さすがリュウのポケモンである。……それを一瞬で見定めるリナもMVP賞物だった。
(……でも、判断見誤ったわね。空中じゃ避けようがないはず!)
遠距離技であるハイドロポンプ≠ノ変更しようと、それを伝える為に指を鳴らそうと構え──
「なんだなんだ!? バトルか!?」
──突如聞こえた声に、構えた手が空振りする。
そして、リナとリュウは二人してその声の主の方へ弾けたように顔を向けた。
「赤ちゃん!」「赤野郎!」
「お前らオレの名前言う気無いのかよ!!」
二人の天敵──そう、レッドである。
その名の通り、赤いジャケットを羽織り、赤い帽子を被る少年。
彼のせいで、二人の最も嫌いな色は赤になってしまった。
「予想以上に早く来やがったわね……まぁいいわ。まとめて相手してやるわ!」
「おっ、ダブルバトルか!」
(こんの、バトル厨……ちょっとは疑えよ……!)
なんでやる気満々な面持ちでボールを握っているんだ。こいつは馬鹿なのか。図鑑所有者の中では希少価値の馬鹿なのか。
「でも家の中でやるのか? オレのポケモンだとほとんど入らねーぞ?」
レッドの手持ちは、ピカチュウ、ニョロボン、フシギバナ、カビゴン、ギャラドス、プテラ。
身長はそれぞれ、0.4m、1.3m、2.0m、2.1m、6.5m、1.8mである。
家の中という狭い空間で自由に戦えるとしたら、1.0m〜1.5m以内。……ニョロボンは横に大きいので、ピカチュウくらいしかいなかった。
「……そういう事か」
レッドの手持ちと自分の手持ちを思い浮かべた所で、リュウが深い溜め息と共に呟くように言い漏らした。
「なんでドアを開けっ放しにしてわざわざ廊下で戦うように仕向けたのか、今やーっと分かったよ」
「あら、遅かったわね」
にぃ、と勝ち誇った笑みを浮かべ、自分のポケモンを全て出した。
マリルリ、サンダース、ランターン、デンリュウ、レディアン、デルビル。
身長はそれぞれ、0.8m、0.8m、1.2m、1.4m、1.4m、0.6m。
全員1.5m以内の範疇(ハンチュウ)に含まれていた。
それに比べ、リュウのポケモンはピカチュウ、ウインディ、ガルーラ、スターミー、ラフレシア、カイリュー。
0.4m、1.9m、2.2m、1.1m、1.2m、2.2mとレッドのポケモン同等の大きさである。
「こうやって見ると、お前のチームってタイプ偏ってる上にパワーに欠けるよな」
「うっさい。そんなのいくらでもカバー出来んだから良いのよ」
リュウの言葉は、確かに最初こそリナがかなり気にしていた事だが、タイプ相性や生まれ持ったステータスよりも大事な物があると分かったから。
だから──大丈夫。
マリルリに向かって微笑めば、マリルリは嬉しそうに尻尾をぴょこぴょこさせた。
「……ってな訳で、覚悟しなさい。邪魔者共」
口元に浮かぶは悪魔の笑み。目に浮かぶは殺人鬼の眼光。
これはもう完全に殺る気満々のようだった。誰か助けてくださいとここが世界の中心で無かろうと叫びたかった。
「手持ち全員でフルボッコって……容赦無さすぎかよ。ってか、こっちピカチュウ二匹だし!!」
「リナの本気モード……強そうだな!」
(このバトル厨が……)
よくこの状況でわくわく出来るのは羨ましい限りだった。
リュウはこの二人に挟まれ、かなり胃が痛かった。
(オレのHPはもうゼロなんですけど……)
☆ ★ ☆
「う、……ん。リナ……ごめん、水……」
まだぼやける視界の中、右手をさ迷わせる。
しかし、その右手はどこにも行き着く事は無かった。
「あれ……?」と呟き、ダルい体を起こす。すると、先程まで座っていたリナはいなかった。
「……お手洗い、かな? ──ああ、大丈夫だよ、チュカ」
手をピカチュウの頭に乗せて安心させようとするが、まだかなり熱っぽい体がより一層ピカチュウを不安にさせた。
(お水……持ってこよ……)
ぼーっ、とする頭でなんとか体を動かし、ベッドから立ち上がる。
ふらふらとパッチールのような足取りでドアに向かう──はずが、段々とドアから離れていく。
むしろドアとは正反対である窓の方に近付いてしまう。もちろん、ルナの意思とは反して、だ。
「っわわ……とと……あっ」
ぐらり。
体が重々しく傾いていくのを感じる。
──倒れる。
──ああ、でも、
──もう、なんでもいいや。
意識を手放しかけた、その時、
──ストンッ……
「…………っ!!」
ルナの体を抱きとめる存在が、そこにいた。
「……っ、間に合った……っ」
荒い息と共に聞こえた声は、優しくルナの耳に届いた。
☆ ★ ☆
「おいコラ! オレに対して技を打つな! 一応味方だぞ!」
バリバリと平然としてレッドのピカチュウがリュウに向かって電撃を放つ。
「悪いな。オレのピカチュウ、男には特に厳しくてさ〜」
「いや、少しは止めようとしろよ、主人! なに楽しそうに笑ってんだよ!」
恋敵であるリュウが攻撃されているのを見て、正直清々しい気持ちであるレッドは笑顔を隠しきれなかった。
それを見ていたリナは、こいつらは何をやってるんだという呆れた表情だったが、明らかに「ざまぁ」というように半分口元がにやついていた。
「お前ら鬼か……」
今度こそリュウのHPが0になりそうだった。
「早くゼロになればいいのに……」
「コラそこ。至極残念そうな顔して毒吐かない」
彼女が女の子でなければ思い切り殴っている所だ。
レッドのピカチュウの電撃を受けながら紳士ぶっても格好つかないが。
リナはリュウにちゃんと女の子扱いされているのに気づかずに、余裕の笑みを浮かべた。
(この調子ならこいつら二人を蹴散らすのは時間の問題ね)
……………二人?
(お姉ちゃんの事を好きな奴って、二人、だっ、け?)
心の中でそう思いながらも、いや、違うと頭の中が否定していた。
嫌な予感で額に汗をかきながら、姉に好意を持つ者を思い返してみる。
まず、レッド。最近フラグが立ってきてぶっ転がしたい。
次、リュウ。こいつの行動がストーカーじみてて通報したい。
そして、もう一人──
「あああああああ!!!!」
『!?』
突然叫ぶものだから、レッドとリュウは驚いたようにそちらを向いた。
けれど、向いた時には彼女は走り出していて、遠く離れてしまっていた。
追いかけるか、否か。二人は珍しく顔を見合わせ、頷き合う。
それから、足も早いリナの後を追った。見失ってしまったら、この家は広い上に複雑な構造になっているから、さ迷う事になってしまう。
故に、なんとか追い付こうと懸命に駆けた。
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