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全部、分かっていると思ってたの。
本当は、何も知らなくて、何もできない役立たずなのに。
ひとりですべて背負えると思っていたの。
でもそれは、ただの幻想。
私には、何もできなかった。
01.朧月夜の君 ウィンドル帝国王都バロニア。朧気な月明かりだけが街をぼんやりと照らしている。それを受けて物憂げな姿を現すのはこの街の名所でもある大聖堂。その下には、一人の少女。
「……やあ、また会ったね」
物陰の向こうから姿を現したのは、一人の少年。月明かりを浴びて金髪を輝かせた、少女の友人。
「こんばんは、リチャード」
少女はにこりと微笑むと、服の裾を軽く持ち上げて会釈する。それは、挨拶の動作。
「また脱走?」
「……まあね。プリムラこそ、ぼくが来るときはいつもいるけど、どうしたんだい?」
「わたしも脱走かな?」
プリムラは、リチャードの質問を茶化すように笑う。
実際のところ、彼女自身にもその行為の理由は分からなかった。ただ、毎晩こうして大聖堂の前にやって来ては月を眺めて星を数えているだけ。
リチャードも毎晩こそは来ないが、しばしば城からの抜け道を通じて大聖堂に来ているようだった。恐らく、理由は少女と同じでよく分からないのだろう。
「リチャードは考えたいことがあると、いつもここに来るの?」
「……プリムラにはお見通しだね」
そう言って聖堂を囲う低い塀にもたれて夜空を見上げるリチャードの顔は、とても深刻そうだった。その表情を見ていると、プリムラも不安になってくるのだった。心配に顔を歪めて少女は問う。
「何かあったの?」
「…うん、まあね」
曖昧に頷くリチャードに、プリムラは首を傾げた。それにリチャードは微笑んで、でも大事じゃないんだ、と告げた。
(……うそ、)
明らかに嘘なのは少女には分かったけれど、追求してもきっと彼は何も話してくれないことも分かっているので、少女は何も言わない――言えない。
「ところでね、プリムラ」
「なに?」
「ぼく、暫くの間、ラントに行くことになったんだ」
「……ラント?」
反芻すると、そう、ラントだ、とリチャードが頷く。
「じゃあ、暫く会えないね」
「…うん。それを伝えようと思って」
申し訳なさそうに告げるリチャードに、プリムラは首を振って、勿体無いお言葉、と呟いた。
会おうだなんて約束したわけじゃないのに、そうやって少しだけ淋しそうに謝る彼の優しさが、少女はすきだった。
「もう夜が更けるみたい」
「…また、月の下で会おう」
「またね。おやすみなさい、リチャード」
「おやすみ、プリムラ」
そう告げて、お互いに反対方向へと歩み出す。
「……いってらっしゃい」
少女は振り返らずにぽつりと呟いた。
地平線の彼方に、微かな光が見えた気がした。
(月下の君はいと美し)
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