『@@はせかいでいちばん誰がすきー?』
『おれ』
『そこはうそでもおれって言ってよ』
『うそでいいのかよ』
『やだ!!』


紫原が幼いときによくする質問はいつもそれだった。
@@も決まってそう返していた。納得しないなら言わなきゃいいのに、たったひとつの欲しい言葉のためにいつでも紫原は繰り返すのだ。


ランドセルを卒業しても、別々の中学の制服に袖を通すようになってもそれはかわらなかった。

質問がされなくなったのはいつからだろう。


『おれでしょーねーねー!!』
『あーもーうっさいなーそれでいいよ!』
『ちゃんとすきって言ってよ!』
『はいはいスキスキ』
『おれもー』


欲しい言葉が手に入れば、紫原は嬉しそうにうなずいた。
その笑顔にほだされて、まあいっかと@@も笑うくだらないやり取り。変わるはずがないと思っていた。大きくなっても、何があっても@@と紫原は一生モノの幼馴染み。


だから、辛かった。苦しかった。
それがもう無いなんて考えたくなかった。


(俺のおさななじみを返してくれ)







「ふざけんな…!ふざけんなよ!」



急ぐあまり何度も足を縺れさせながら、幾度も転びそうになりながら@@はひたすら走った。バカみたいに早鐘を打ち鳴らす胸を服の上からぎゅうと握って込み上げてくる不安をやり過ごす。
痛みに意識を持っていかないと泣いてしまいそうだった。


紫原の中の貘は紫原の悪夢と負の感情を吸って今も大きく育っていることだろう。彼の精神力が底をつけばその時点で何もかも終わる。
よくて廃人、悪くて、死ぬ。
訳もわからないまま突き放されて、これで死に別れなんて真っ平だった。



「敦!!いるんだろ!おい!!誰か!!」



ようやくたどり着いた紫原の家の扉のノブをがちゃがちゃ回すが鍵がかかっていて開かない。インターホンを連打しても返ってくるのは無音ばかり。
共働きである紫原の両親はまだ仕事をしている時間帯だ。
だが保険医に帰されたと聞いている。家の中に紫原だけはいるはずなのだ。どうしようどうしよう、と@@は玄関の前で右往左往する。


がしゃん!


「!」


家の中から確かに物音がして@@はさ迷う足を止める。
もう形振り構っていられない。



「うぐううう…!!紫原家の皆さんごめんなっ、さい!!!」


ぱん、と一度手を合わせて@@は少し助走をつけつつ玄関を 蹴破った。

力みすぎたか、扉の蝶番が勢いよく弾けとび扉がバターーーン!!と室内にすっ飛んでいく。
砂ぼこりを踏み越え、@@はわたわた靴を投げ出して家に侵入した。
通いなれているはずなのに、よそよそしく感じるほの暗い紫原の家。
バタバタ廊下を走り抜け、リビングを通りそれらしい影を探す。
キッチンに差し掛かったときその周辺から甘ったるいにおいが漂ってくることに気付いた@@は必死に辺りを見渡して、菓子類が無造作に散らばる床に力なく投げ出されている体をようやく発見する。


「敦!お、おい!敦!」



一番悪い予想がまさか当たってしまったのか。雪崩れ込むような形で倒れている紫原に駆け寄った@@は慌てて上半身を抱き起こし紫原の口許に手をあてる。
冷えきった掌に伝わってくる微かな吐息に心の底から安堵した。



「バカ起きろ!ちゃんと生きてるか!」
「……ん、んー…?」



生きていることを疑いたくなるくらい青白い顔。ぺちぺちと頬を軽く叩くと紫原の瞼は小刻みに震え、ゆっくりゆっくりと重たそうな瞼を開く。
ああ、よかった、生きている。うすらと開かれた紫色の瞳に不格好に口許をひきつらせている自分が見えたが今となってはどうでもよかった。
なんと言葉を捻り出せばいいのかわからず、@@はあ、だとかう、だとか言葉にならない呻きを漏らす。


その狼狽に終止符を打ったのは紫原だった。
かさついた唇を半月状に歪め、投げ出されていた腕を@@に伸ばす。ひどく優しい手付きで紫原の指先が@@の頬を掠めた。


「もうおやつの時間?」
「…?は?」





大嫌い、と言った冷徹な光など微塵も瞳に映さず、星でも詰まっているような輝きを瞳に入れて紫原は笑っている。
無邪気な子供のような笑顔なのに、@@には背筋に氷の塊でも滑り込ませられたような冷たさが流れた。


(違う)

頭の中で第六感が警報を鳴らしている。
培ってきた長年の勘が強く命令してきていた「触れてはならない」と

敦、@@が名前を呼んだ。紫原は返事の代わりに@@の肩を強く掴み無理矢理引き寄せた。


「い゛っ!!!」

ぞぶり、と鋭いものが皮膚に食い込む嫌な感触に@@は反射的に紫原をはね除けた。噛まれた、というのは押し退けた紫原の口許が赤く濡れているのを見てすぐにわかった。
そこまで薄くないにしろ、遠慮なんてサービスはないとばかりに容赦なく歯が立てられた首はあっさりと破られ血を流している。

後ろにのけぞった紫原は首を傾げて@@を見ている。
首筋が生暖かい。痛みで浮かんできた汗と一緒に血がワイシャツに染み込んでいく。


「今日は簡単にいかないんだね」
「何言ってんだ、おまえ」
「あらら今日は@@の血、ちょっと苦いし」


紫原が唇についた@@の血を舐めている。
こいつは一体何を言ってんだ?
今日は、と言われても@@は紫原に口を通して献血してやった覚えもましてや噛まれたことだってない。


「でも大丈夫ー残さず食べるしぃ」
「た、べる」
「じゃないとみんなのとこに行っちゃうもんね、@@は」


ダンッ!!

紫原の巨体が@@の体を押しつぶす。
床に縫い止められ、首に紫原の手がかかる。こいつまじかよ。
貘の力を借りているのか、@@でも首が完璧に絞まらないように抵抗するので精一杯だった。紫原は抵抗しちゃだめーいつもとちがう、と唇を尖らせる。

焦点の合っていない瞳がゆらゆら不安定に揺れていた。黒目の部分が普段より格段に大きい。まさか、こいつ夢と現実の区別つかなくなってるんじゃ。全体重でのし掛かってくる紫原を押し返しながら@@は一喝した。


「ば、か!よく見ろ!!これは現実だぞ!!」
「現実?」
「お前悪い夢見てるだけなんだよ!目覚ませバカ!!」
「悪い夢?なんで?@@を俺だけのものにできるのに」
「んなっ…!!」


どんどん腕に力がこもってくる。


「@@を食べたらもう誰にも取られないでしょ?赤ちんにも黒ちんにも黄瀬ちんにも峰ちんにもミドチンにも。@@はずっと俺だけのものだよ」
「なん、っで…!敦…!」
「なんで?そんなの俺が聞きたいし。なんで?なんで@@は俺を置いていくの?なんでみんなとばっかり秘密作るの?どうして?俺には、何も言ってくれないの?俺だけいっつも仲間はずれ」


ぴしゃりと@@の顔に水滴が落ちた。紫原の、目から。


「俺を、おいてかないで、@@」


おねがい、と涙声で囁かれて途端に首を戒める腕が締めているのではなく縋っているように思い始めた。

@@は被害者は自分だと思ってた。
意味がわからないまま逆ギレされて、よくわからないまま離れて、解決の糸口さえ見つからない現状で今度は死ぬかもしれないなんて瀬戸際だ。
ふざけるな、なんて寝覚めの悪い。

勝手に死ねなんて言ったから?そんなこと、実現させるなんて思わないじゃないか。どうしてお前はそんなに勝手なんだ、どうして俺の気持ちを汲んでくれないんだ。



(でも俺は、)

ちゃんと紫原のことを考えていただろうか?
関わる相手が目に見えて増えたのが嬉しくて、そっちばっかりにかまけてやしんかっただろうか。「紫原はただの人間だから」守るための理由だって、本心を知らなかったら伝わるはずなんてないのに。


@@は抵抗する力を弱めた。
途端に食い込む紫原の指。
詰まる息の中、@@は必死に発音した。


「い、ぃぜ…!ころ、せっ…!」
「!」
「ご、め…あつ、し…俺、おま…の、こと、かんが、えて、なかっ…」


いつもの面子ととつるむ理由を作ったのだってきっかけは紫原だ。
紫原が同じ学校に行こうと言わなければ@@は違う学校で彼らのことなんか知らずに別の生き方をしていただろう。こんなに毎日が楽しいこともなかったかもしれない。

全部全部お前のおかげなのに、俺はお前をほったらかしてばっかだった。


「ごめん、なァ…敦…」


置いていかれるのはいやだろう。お前は人一倍寂しがりやだ。
一番知っているのは、自分だった。



「ころ、せ、あ、つし…食っ…て、い、い…!」



それでお前が満足するなら。
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