薔薇と菫と ※ちょっと未来のヴォルユ 王配殿下と呼ばれる三男が見たい。 |
「失礼します」 と執務室の扉を開けて入ってきたのはヴォルフラムで、その身はいつもの軍服ではなく少し身軽な旅装に包まれていた。 「ああ、今から発つのか」 というグウェンダルの言葉に「はい」とうなずいてヴォルフラムはユーリの執務机に近づいた。 「ユーリ」 山というよりも林のように何本にも柱になっている書類を減らすべく一心不乱にペンを動かしていたユーリはヴォルフラムの呼びかけに顔を上げた。 そろそろ当主の座を甥に譲ってもいいのではないかとはフォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナの言で、最近のヴォルフラムはその準備と引継ぎのためにビーレフェルトと王都を行ったり来たりしている。 「ヴォルフったら完全に引継ぎが終わるまで故郷でゆっくりしてればいいのに」 羽ペンを回しながらユーリは頬杖をついた。言葉に憂鬱そうな響きが混じる。 それに対してヴォルフは鼻で笑っただけだった。 こ ういう反応を弟がするたびに周囲の人間は少しうろたえる。 ユーリがこの国に流されて(ユーリ風にいうとスタツアだ)きてからずいぶんと年月が経った。背だって伸びたし声だって当時よりも低くなった。 かわいそうなことに、禁酒禁煙を掲げていたユーリの背はそこまで伸びずに(決してユーリの背が低いというではないのだが)、ユーリを追い越して、ヴォルフラムはユーリの頭半分背が高くなった。 我侭プーだと散々云われていた傲慢な態度は落ち着いた自信に変わり、母親によく似た美貌を持つ彼はけれども母親とはまた違ったタイプの美丈夫に成長した。 そう、成長したのは外見だけではないのだ。 (僕がいなくてさびしくはないのか!?) いつからかヴォルフラムはヒステリックな大声を上げなくなっていった。 薄情者だの、浮気者だの、キャンキャン喚いてた当時は少し辟易したものだったが、それがなくなったらなくなったでこんなにもさびしく感じるものだとは。 ユーリの後ろで護衛をしていたコンラッドはこっそりと視線をめぐらせた。 長男はそれとなく、だがピタリと書類に署名をしていた指をとめたし、ギュンターにいたっては変なものでも食べたような顔をしている。 想像通りの反応をしてくれた二人にコンラッドは笑い声をあげかけ、寸前ではらに力を入れてこらえた。 そうこうしているうちに二人の話は終わったのだろう。 ぐい、とヴォルフラムはユーリの頤を持ち上げると頬にひとつ唇をおとした。 ちゅ、とちいさくリップ音が響き満足げにヴォルフラムは顔を上げ、きびすをかえした。 「行ってくる」 対するユーリの返事はそっけないもので、「ああ」とひとつうなずいただけだった。 いつだったか開かれた夜会で同じようにヴォルフラムがユーリの頬に口付けたことがある。 そのときのユーリの態度もそっけないもので夜会に参加していた貴族たちは影でひそひそと言い合ったものだった。 曰く、「親愛のキスすら返してもらえないなんてフォンビーレフェルト卿は愛されてないのかしら?」と。 それを偶然耳にしたコンラッドは弟が怒り狂うのではとちらりと弟の顔を盗み見、素直に驚いた。 魔王陛下の婚約者殿はというと怒り狂うどころか、ふふん、と勝ち誇ったように鼻を鳴らしていたのだ。 「知っているかコンラ−ト」 「ユーリはもともと接吻が苦手なんだ、ニポーンジンの遺伝子とやらのせいらしい」 ニポーンジンの遺伝子という言葉の正確な意味を理解できるのは地球に言った経験のあるコンラッドとユーリと大賢者殿だけだろう。というか多分それは「日本人」の間違いだろう。 もともと日本人には抱き合ったり、挨拶でキスをしたりというようなスキンシップの習慣がない。地球産魔族純日本人のユーリも右に倣えということだ。 「だから、親愛の挨拶を返さない…は正確には返さないのではなく返せないんだ」 人前でキスされるだけでも充分恥ずかしいのに自分もしなきゃいけないなんて!俺恥ずかしくて死ぬ!舌!舌噛むからね! そうあわてているユーリの表情を脳裏に思い浮かべてみてなるほどとコンラッドはうなずいた。 (そして、そのままトルコ行進曲に突入しそうになったので脳内陛下には丁重にご退室いただいた。) 人前でおとなしくキスされるのは返してあげることのできないことからくるユーリの最大限の譲歩なわけだ。 「ユーリに口付けをすることを許されているのはグレタと僕と二人だけなんだ!」 そう誇らしげに笑ってヴォルフラムは招待客の中に埋もれて溺れそうになっているであろう自分の婚約者を探しに歩き出した。 完全プライベートな夜の魔王の寝室に相変わらず勝手に入り浸っているヴォルフラムだが、そこで母が手を打って喜ぶようなことがおきているのかは当事者たちにしか分からない。 いまだに添い寝するだけの関係なのかもしれない。 ただ、とコンラッドは考えた。ただ、最近のヴォルフの自信はこういうところから来ているのだろうな、と。 愛されている自信。 そういえば二人の愛娘であるところのグレタもユーリに抱きしめられるとき、同じような表情で笑っていたのだった。 遠くで馬のいななきがかすかに聞こえる。 書類に自分の名前を書きなぐっていたユーリは手を止めて窓を仰いだ。 突き抜けるような青空。 ぐぐっ、と伸びをして再びペン先をインクに浸すと、歌うよう呟いた。 「いってらっしゃい」 (蛇足) コンラッドは少しの間考え込んだ。 半分人間だと知られ、反抗されるまでほとんど自分が面倒を見ていた弟と魂のころから見守り即位してからずっと、そうずっと(大シマロンことは意図的に頭から追いやった)傍で見守ってきた名付け子。 大事に育ててきた息子と娘が同時に婿に嫁に行ってしまうような錯覚にとらわれて、コンラッドは苦笑した。 そしてその錯覚は多分間違っていないのだろう。 ふと視線を上げると、だいたい自分と似たり寄ったりの想像をしたのだろう。 グウェンダルが眉間にしわを寄せながら頬を緩めるという器用な表情をしていた。 寂しさと微笑ましく思っている気持ちが両方表されているのだが…と、ここでコンラッドは眉間にしわを寄せてみた。 で、頬を緩める………だめだ、できない。 新たに発覚した長兄の器用さに感心していると顔を上げたグウェンダルと目が合った。 とたん、バツが悪そうな表情になった兄を見てコンラッドは今度こそ、誰にはばかるでもなく大きく笑い声をこぼした。 |