腕のなか

コンユ



一日の疲れを流そうと自室の浴槽にお湯を溜めていたコンラッドは浮かび上がってきた水泡に蛇口をひねってお湯を止めると、水面に目を凝らした。

「っ!」

やがてまあるく波紋が浮かび上がり、派手な音を立てて内側から水面がもち上げられ漆黒の頭が顔を出した。

「…こんらっど?」
「はい」

ぽかんとコンラッドを見つめていた有利はぱくぱくと口を開け閉めしそれから

「痴漢にあった!」
「…はい?」

何を云われたのか、
はて、とコンラッドは首をひねった。
言葉は理解できる。
が、脳がその言葉の意味を理解しようとしてくれないのだ。

「人生初!痴漢に!あった!もうびっくりだよな、おれは初めて自転車通学のありがたみと満員電車の危険性をあらためて理解したんだけどさ。ああいう場合はとっさに声も出ないんだな。勘違いかもしれないしでも明らかに触られてるし、でも間違った人を『このひと痴漢です』って指差しちゃったら大変だし……だってほら痴漢の冤罪って証明がほぼ不可能らしいっていうだろー?おれの勘違いで一人の人生棒に振るわけにもいかないしさ」

頬が赤いのは羞恥か興奮か。
有利本人も混乱しているのだろう。
ベラベラとお得意の行進曲で言葉を羅列して自分の身におきたことについて整理していようとしている。
有利も混乱していたがコンラッドだって混乱していた。
目に入れても痛くはない(むしろ本望かもしれない…)ほど可愛がっている名付け子が痴漢にあったと主張しているのだ。
この場合のあったとはつまり、遭遇した、の「会った」ではなく被害にあうの「あった」だろう。

「ちょっ、ちょちょちょっと待ってください」
「え?うん」
「痴漢?」
「うん」
「ユーリが?」
「うん?」
「…したの?」
「されたの!」

現実を認めたくなくて主を加害者にするところだった。
くらりと眩暈を覚えてコンラッドは額に手をあてる。

身内の贔屓目だと、名付け親だからだと有利は笑い飛ばすだろうが有利は可愛い。
中世的な顔立ちの有利は好む衣服やその言動もあって少女というよりはむしろ少年だ。
口調から考えてどこかわざとそう振舞っている節もあるのだろう。
意志の強そうな眉や黒曜石の瞳、すらりと健康的な手足。
発達が未熟というべきか…うすっぺらい身体は、そのくせ抱きしめるとふわふわとした女性的なやわらかさがある。
くるくるとよく変わる表情や健康的な肌の色は、人形のように着飾らせて眺めていたいという静の可愛らしさではなく太陽の下で愛でていたいというような動としての可愛らしさだ。


「電車にのったんだ」
黙っているコンラッドに不安を覚えたのか有利は説明を始めた。
「クラスメイトの誕生日パーティーにお呼ばれしたから」
自転車やましてや徒歩で行くには少々つらい距離に住んでいる友人の家を訪ねるために有利は公共交通機関を利用することにした。
帰宅ラッシュの満員電車にすし詰めにされた有利は己の臀部を這う不埒な手に気づいたのだそうだ。
混乱で真っ白になった有利は自宅の最寄りとは程遠い駅で電車から降りるとホームにできていた水溜りに足を踏み入れ。


 しゃ
   ん
     。

コンラッドの湯船にいた。

「何でだろう安全なところへいきたいって考えてただけなんだけど」
あの痴漢がいないってことで安全なのかな眞魔国は、などと首をかしげる有利にコンラッドは沸き上がる衝動にかすかに唇の端を噛みしめ耐えた。
大賢者殿曰く、この名付け子にはもうほとんど自分の意思で世界を飛び越える力がそなわっているらしい。
自惚れてもいいのだろうか。
有利は無意識に安全だと信頼しているものの元まで世界を越えてやってきたのだ。
嬉しさに緩む口元を引き締めたコンラッドは湯船に浸かったままの有利のわきの下に手を差し入れ、ざばりと水面から引き上げた。
服が濡れるのもいとわずにそのまま己のもとへ抱き寄せる。

「濡れるよ」
「いいんです、ユーリ」

お湯に浸かっていながらも強張らせていた有利の身体は信頼する腕のなかでくたりと力を抜いた。




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痴漢にあっちゃうゆーちゃん
烈火のごとく怒りそうな気もするけれど、いろいろ考えて混乱しそうな気がします。

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