花粉症日和 日の出の時間が少しずつ早くなって、夕日の時間が少しずつ遅くなる。 春一番を知らせる風が吹いたと思ったら天気予報が明日の最低気温は氷点下だと告げる。一進一退のようでいて、だんだんと日なたのぬくもりが心地よい。 暦の上ではもう、春。花の香りを包んだ風が舞う。 「どうしたのタッツミ―、ひどい顔だね」 「そういうお前は今日も男前だな」 「ふふ、ありがとう」 休憩時間、フェンスに寄りかかってピッチを眺める達海の隣にジーノがやって来た。 達海は目をしょぼしょぼさせながらも、ジャージの袖で顔をこすっていた手を止める。 嫌味とも思っていないのだろう返事に笑顔で応え、ジーノは達海の顔を覗き込んできた。 「風邪かい」 「花粉症だよ」 「ああ。タッツミー花粉症なんだ」 「そ」 花粉の飛散量は昨年の10倍にのぼるでしょう、と恐ろしいことをお天気お姉さんが宣言したとおり、今年の花粉は厄介だ。 「目はかゆいし鼻水はひどいし、くしゃみも止まらねえしで散々だよ。大変」 「ふーん。ボク平気だから全然わからないなぁ」 至極真面目な表情で考え込むジーノを横目に達海は苦笑いした。 それはそうだ。発症するまで、達海も同じようなことを思っていた。 「これは自分がなってみないとわかんねーだろうな」 「そう?アレルギー反応っていうけど」 「まあそうだけどさ、このむず痒さとか、伝わんねーだろ」 ズ、と鼻を鳴らしてジーノを見やれば、王子様は眉根をよせてなにか言いたそうな顔。 最初はひどい顔だなんだと軽口を叩いていたくせに、と達海は内心でせせら笑う。 分からないことが悔しくて、もどかしいのだろう。 こんなに近くにいて、同じ空気を吸っているのに自分には決して分からない反応を示す。 焦れたような視線をジーノから送られるだなんて、一体何人の女性が経験できたのだろう。 「…アホらし」 「え、なにか言ったかい」 「ニヒヒ、べーっつに」 グラウンドの真ん中で、松原が休憩時間の終了を呼びかけている。 仲良く話しこんでいると見えたのであろう、こちらを睨んでいるような視線。 気付いた達海が手を上げて応え、ジーノを促した。 曖昧に頷いたものの、ジーノは口元に手をあてて何かを考え込んでいるようだった。 翌朝、練習前のETUクラブハウス。 監督部屋にやって来たジーノが抱える品々に達海は目を丸くした。 寝起きの達海をよそに部屋に入ると、ジーノはテーブルにそれらを並べ始める。 「朝っぱらからなんだよ…」 「プレゼントだよ。ほら、目薬でしょ、マスク、鼻炎薬、あと花粉が付きにくいっていうコート」 「……お前な」 ベッドに腰掛けてその様子を見ていた達海は呆れてため息をついた。 対するジーノの反応はわかりやすい。 口元に笑みを浮かべているところをみると、得意気なのか褒めてほしいのか、おそらくはその両方。 「やることが大げさなんだよ」 「そうかな。でも花粉症ってボクわからないから、これしか浮かばなかったんだよ」 これしか、ね。 かわいくねーのと呟く声はジーノには聞こえない。 花粉症のつらさがわからないままは嫌だったのだろうと思うものの、ここまでやるかと頭を抱えたくもなってくる。 「はいはいありがと。早速使わせてもらいます」 「…その割にはあんまり嬉しそうじゃないね」 「あのな、どう反応すれば満足なんだよ」 ついムキになって言い返すと、ジーノが目を瞬かせた。 しまったと思うものの上手い誤魔化しも浮かばない。 口を尖らせて視線を逸らすと、吹きだしたような笑い声がもれる。 「……タッツミーさぁ」 「なに」 「ボクがここまですると思ってなかったんでしょう。自分が知らないことに面白くなさそうな顔して、それでおしまいって考えてた?」 「……」 沈黙を肯定と受け取ったのだろう、ジーノは満足気に頷いた。 まあ、図星なのだけれど。 対処に困ったり、横目でちらちらうかがっている様子を見ているくらいで十分だったのだ。 「残念でした、王子はご期待に添えないとね」 「期待に添うならあたふたしてるとこでも見たかったなー」 悪態を舌先に乗せて突き出せば、ジーノは面白そうに笑った。 その時にふと、達海の鼻先をくすぐったいものがかすめていく。 「あ」と思った時にはムズムズと鼻が反応し、反射のようなくしゃみが飛び出した。 鼻先を手の甲で押さえながら辺りを見回すと、目の前に掌が差し出されている。 「あとコレ、鼻に優しいんだって」 「…お前、どこまで気が利くの」 なんかむかつく、吉田のくせに。 エスコートよろしく差し出されたポケットティッシュをひっつかんで、音も気にせず鼻をかんでやる。 顔を上げると、ジーノが腰を浮かせてテーブルに手をつき身を乗り出してきていた。 つまり、顔が近い。 「…なに」 「あーあ、せっかく鼻炎用の選んできたのにさ」 伸ばされた手に思わず顔を反らすと、指先が上唇をなぞるように掠めていった。 意識したわけでもないのに息を詰めていたらしい、離れると同時に肩の力が抜けた。 それを見計らったようにジーノは顔を覗き込んでくると、にっこりと笑んだ。 「はは。タッツミー、真っ赤だよ」 「鼻かんでりゃあ誰だってそうなるだろ」 「……ふふ、ちがうちがう」 拳で鼻を隠してみせるが、ジーノはクスクス笑いを続けたまま。 なんだなんだと首を傾げると、両手を広げたジーノに頭を抱え込まれた。 身動きがとれないことをいいことに耳元へ口が寄せられる。 嬉しそうな笑い声はあいかわらず、腕の力も緩まない。 目の前の高そうな上着で鼻をかんでやろうかと、達海は苦し紛れに考えた。 真っ赤だと指摘されて余計に熱が集まる。頬があつい。 花粉症はこれだから困る。 目はかゆいし、鼻水はひどいし、くしゃみも止まらない。 だけどそれはたしかに、春を告げる風とともにやって来るのだ。 fin. |