息継ぎといっしょに 「タッツミー」 呼びかけに振り向くとずいぶん近くに顔があって驚いた。 というよりも単純に、距離が近い。 「なに」 部屋にやって来て勝手にくつろいでいくのはいつものことだが、今日はいやに静かだなと思っていた矢先にこれだ。 「キスしてもいい?」 無表情なままで呟かれた言葉に達海は思わず目を瞬かせた。 どうでもいいことにムードだ流れだと変にこだわるくせに、こうも直球を投げてくるのはめずらしい。 さて、どうしたものかと天井を仰いでいると手がのびてきた。 長い指先に頬をなでられ、なぞるように耳まで覆われる。 (くすぐったい) 思わず下を向くと、顔を覗き込んでくる視線とぶつかる。 「ねぇ」 促される声に眉をよせて応えても、納得した様子はない。 それどころか拗ねたように同じく眉をひそめてみせてきた。 「…まぁ、」 開いた口は見かねたように塞がれて、続けようとした言葉も飲み込むことになった。 (いいけどさ) 甘い空気も柔らかな雰囲気もない、焦れた感情をぶつけられる行為。 口を閉じたり、唇を噛んで中断しろと主張することもできるのだが。 (…めずらしいもん見た) まっすぐな瞳がどこか不安気に揺れていたのを思い出し、しばらく付き合ってやるかと肩をすくめた。 「…できちゃった」 「できちゃったな」 「どうしよう」 「しようっつったのお前だろ」 思ったよりも短いような、長いような。 至近距離で見つめあったまま、ジーノはどこか呆然としているようだった。 「そうなんだけどさ」 「はっ、後悔してんのか?」 「そうじゃないよ」 話しているうちにいつものマイペースが戻ってきたらしい。 ジーノは顎に手をよせ黙り込んだ。 「ボクさ、今まで付き合った女の子ってボクのことを好きって言ってくれてる子だったんだよね」 「ほー」 真顔で言っているあたり、彼は大まじめらしい。達海は肩をすくめて聞き流した。 「可愛い女の子は好きだよ。ボクのことキラキラした目で見てる子は特にさ」 「おぉ」 「そういう子たちとデートしたり、キスをするのは楽しいし」 「おモテになることで」 でも、と言葉をとめてジーノは達海を見つめた。 先ほどと同じようにその瞳は揺れている。 「タッツミーとはキス、できた」 呟かれた言葉を掬うように瞬きをして、達海は「そーだな」と頷いた。 「べつにタッツミーにキスしてって言われたわけじゃないのに」 そういえば、と先ほど飲み込んだ言葉の続きを告げるかどうかと頭をよぎったが、達海は気付かない振りをした。 「そうだな」 「だから、どうしようって」 「ジーノ」 目の前で真剣に悩む姿は王子というより子供のようだ。 達海はくすぐったい気持ちを楽しむようにニヤリと笑う。 「『なにが』どうしよう?」 それだよ、と呟いてジーノは眉をひそめた。 よく似た表情をしているときを思い出す。夏木へのパスを渋る顔だ。 「タッツミーのこと好きになっちゃったかもしれない」 「へー」 「……それだけ?」 不意打ちとばかりにジーノの鼻をつまむ。 ちょっと!と慌てる彼を見下ろすように立ち上がった。ニヤニヤと口の端もあげて。 「お前らしくないな」 「ボクらしくないよ、ほんと」 「コーヒー飲む?吉田くん」 突然の提案に肩透かしをくらったような顔をしながらも、ジーノは髪を掻き上げ立ち上がる。 「飲むけど、王子かジーノって呼んでよね」 「にひひ」 「ちょっと、タッツミー」 隠しきれない笑いをそのままに振り返ると、掌で目隠しをされた。 長い指だと感心していると、耳元で囁かれる声。 「ね、呼んでよ」 お湯を沸かしてカップを用意して、インスタントだけれど気に入りのコーヒーを淹れよう。 その前にこの駄々っ子をどうしようか。 (口、塞がれてたら呼べないってわかんないのかね) もー好きにして、とばかりに両手を広げて達海はジーノの首に腕をまわした。 fin. 戻る |