05







「いい!?絶対足引っ張らないでよね!?」

「は、はい!」



遠征当日。初めて索敵を担当する第三分隊五班はひと月前の何十倍もの緊張感で包まれていた。
開門の十秒前を告げる声が周囲に響き、隣で手綱を落ち着きなく握り直すユリアがリーナの視界に入る。その手は近くに寄らなくても分かるほどに震えていた。
すぐそこから目を逸らして深呼吸したリーナはというと、昨晩にハンジがわざわざ部屋にまで行き励ましたためか、彼女自身が予想していたよりも緊張に囚われていなかった。それでも手綱を握った手には汗をかいていて、顔を強張らせたまま深呼吸をする。
今朝目が覚めた後にもがちがちで動けなかったらどうしようと心配していたリーナは、吸った息を細く緩く吐き出した。リヴァイにも生きて帰って来いと言われ、自分のこれからを変えるのは自分だと教わったのだ。絶対に巨人には負けない、この班で生きて帰る。そう心に強く決めていた。



「開門始め!!」


鎖の軋む音と壁の扉が開く重い音が空気をびりびりと震わせた。あの先はもう、巨人の街。四方八方で馬に跨った兵達の気を高ぶらせた声が挙がる。



「前進!!!」



前から順に馬が走り出し蹴り上げられた砂塵で視界が悪くなるが、それも市街地を抜けるとすぐに終わる。遮るものの無い緑に覆われた平野が広がった。空はすっきりと晴れ、遥か遠くを野鳥が飛んで行く。
自然の命溢れる光景を目の当たりにしたリーナは改めて前を真っ直ぐに見つめ、マリアの地の奪還を今一度強く誓った。




「陣形展開!!」



エルヴィンの号令で一斉に陣形を展開していく。
初列十の索敵であるリーナの班はそれからすぐに巨人と遭遇した。


「二時の方向に巨人発見!!」


ユリアの声で皆が東を見遣ると遠方に通常種と思われる巨人が一体、ゆっくりと歩いていた。しかしまだ距離がある。


「信煙弾を打て!」

「はい!」


班長の指示を受け、ユリアが赤い信煙弾を打つ。それはすぐに周囲の班に伝達されて行った。
巨人との戦闘を極力避ける為、陣形全体が巨人の追いつけないスピードを意識して前進している。そして幸いにも発見した巨人の歩みは遅く、すぐにその姿は背後で小さくなって行った。



「思ったより巨人に遭遇しないな」

「そうね。向こうでも信煙弾が上がったような様子はないし」



しかし巨人には通常種とは区別された、行動が予想できず、奇妙な行動をするものが存在している。身体能力が高いのか走るのが速かったり、目の前の人間には目もくれず人が密集する場所を目指して突進していくものもいる。そして行動の予想が出来ないという事は、放っておけば陣形に影響を与える可能性もあるということだ。そんな巨人と遭遇した時には戦闘は免れない。






「奇行種だ!!」


ばっ、と班員全員が班長の指す方を見る。
不思議な動きをする奇行種が三体、どしどしと陣形に近付いて来ていた。大きさで言えば6mと10mと12m。10m級の歩みは恐ろしく早くもはや全力疾走のように見える。


「信煙弾、打ちます!」



リーナが黒の信煙弾を空高く打ち上げる。戦闘の必要がある奇行種、それも三体に遭遇してしまったとあって、手綱を握る手が強張り汗ばんだのを感じていた。
非常にまずい。右翼の索敵をここに集中させてしまう訳にはいかない。けれど一つの班だけで奇行種を三体は無理がある。
リーナが少し先を見ると、同じ第三分隊である初列八班が6m級を相手すべく陣形を離脱して巨人へと向かって行くのが目に入った。



「訓練通りにいくぞ!俺とユリアは10m級!マークスとリーナは12m級だ!」

「「「はい!」」」


初列十班は二手に分かれ、陣形を目指してひた走る巨人を目指し離脱して行った。




「お前は補佐をしろ!俺が項を狙う!」

「はい!」



マークスとリーナが巨人に近づいて行くも奇行種であるそれは二人に興味を示さず、より人の多い陣形に向かって進んで行く。


「まずい、後ろに回るぞ!」


咄嗟に馬を操りその背後に回ると、マークスは項に、リーナは太腿にアンカーを刺した。
アンカーを刺せるのが巨人の身体しかない平地では立体機動は圧倒的に不利であり、危険度が高い。足を狙って歩行を止めそれからすぐに項を削ぎ落とすのが一番効率が良く成功率の高い討伐方法であり、実戦訓練の前の座学で覚えるべき基本の方法の一つ。基本中の基本だ。しかし言うは易し行うは難し。これが初の討伐補佐になるリーナは一撃でしっかりと筋を抉れるかと不安を抱きながらも手にしたグリップを強く握り締め、トリガーを引いた。
ガスを蒸かしワイヤーを巻き取り、風を切って膝裏へと近付いて行く。
マークスの方も僅かな時間差ですぐに仕留められる様、項めがけて飛んだ。

しかし突然巨人の歩みが止まる。
まだ刃を届かせていないリーナが驚きを露わに視線を上げた瞬間、

巨人は上半身を激しく振った。

まるで犬が体についた水分を飛ばす様なそれに、遠心力でアンカーが刺さったままの二人が大きく振り回される。
何とかグリップを握る手に力を込める事が出来たリーナがアンカーを外して地面に着地した。少し高さがあり膝に痛みが走ったものの無事であった。
次に備え反射的に上を見た時には、振り回されたマークスが巨人の顔の前へと放り出されていた。


「っマークスさんっ!」


「うあっああああああ!!」


それを捉えた巨人が恐ろしいまでのスピードでマークスをその手に収めるのと同時に、リーナは無我夢中で巨人の項に向かいガスを蒸かす。



「あああああ゛あ゛ぁ゛」


耳を塞ぎたくなるような悲鳴と骨の砕ける音が大きく鈍く響くのと同時に、巨人の3mはありそうな太さの首の後ろの肉が吹き飛んだ。
そこを弱点としている巨人は再生を始めることなくその体をぐらりと傾け、右手から覗くマークスの腕を引いてすぐ、重力のままに地響きを伴って地面に突っ伏した。

一拍遅れてその上に着地したリーナの腕に抱かれたマークスは既に事切れていた。上半身のみの無残な姿から夥しいほどの血が垂れ流されている。


「っ・・・・・・!」


死骸と化した巨体から蒸気が立ち上り始め視界が悪くなる中、リーナは言葉を失い立ち尽くした。しかしすぐにグリップごとブレードを鞘に戻し巨人の背中からマークスの遺体を抱えて飛び降りると、離れたところに彼を横たえる。

ユリアと班長が担当する方へとリーナが目を向けるとまだ先程の10m級が立っていて、非常にゆっくりではあるがどこかへと歩き出そうとしていた。輪を作った指を口へ運んで息を吐き甲高い音を鳴らすと、近くにいたらしい馬がすぐに駆け寄って来る。
頬に残っていた涙の跡を拭い飛び乗ったリーナの顔から表情は消え失せ、ただ激情を孕んだ瞳だけが爛々と燃えていた。
手綱を強く引き、10m級に向かって馬を走らせる。




「!これ・・・」


最高速度で駆け抜けるリーナの視界の端に草原とは似つかわしくない色の物体が映る。通り過ぎてから勢い良く上半身だけで振り返り見えたそれは、千切られて胴から離れてしまった腕と足であった。
再び前を向くと、目標の巨人とは誰も応戦していない。そいつは口周りを真っ赤に染め血を滴らせているだけである。
近付いて来る存在に気づいた巨人が緩慢な動作で振り返る。

素早く手綱を切ったリーナはそびえ立つ巨体の横に回り込み、その肘めがけて飛んだ。
動きを追って伸びてくるもう片方の手がリーナを捕らえる前にアンカーが抜かれ、空中で再びその上の肩に撃ち込まれる。リーナはそのままガスを蒸かし、肩を通り越して項の真上まで浮上した。
そして重力のままに降下し項を削ぎ落とす。

傾いていく巨人にアンカーを刺しつつ降下し地面に降り立ったリーナが戻って来た馬に跨り西を見ると、班員が未だ6m級と応戦している最中であった。しかし、立体機動が遅過ぎる所為で今にも巨人の手に収まりそうである。

弾かれたように思い切り手綱を引き腹を蹴って馬を走らせぐんぐんと近付いて行った。アンカーを刺せる距離まで行かなければどうにもならない。しかしその間にも班員が巨人の口に吸い込まれて行く。

右手に手綱を一纏めにしたリーナは腰を浮かせ、左手にブレードを構えた。
アンカーがぎりぎり届く距離になり、リーナに気付いた巨人が左手を伸ばした瞬間、前のめりに近付いて来た顔の額にアンカーを刺して飛び立つ。軌道上邪魔な親指と人差し指を斬り落としつつ進み、顎に斬り込んだ。
がぱっ、と口が開いたが中には何もない。
急ぎワイヤーを巻き取って大きな頭の上に降り立ち、樹木の様に太い腕が迫るのを躱しそこから踏み切って、眼下の項を削ぎ落とした。

地面へと倒れ行く巨人の背に乗ったまま、地上へと降り立つ。すぐに指笛を吹くが、馬が戻ってくる様子は無い。
焦った様子でリーナが来た道を戻ると、先程まで元気に駆けていた愛馬が倒れ、動かなくなっていた。リーナを掴み損ねた巨人の腕が当たって転び死んでしまったらしかった。

その場に呆然と立ち尽くしたリーナの瞳からぎらついた輝きが消える。班員と、馬までもが死に、これからどうすれば良いのか、全く検討がつかない。陣形からは随分離れてしまったようで、馬もなければ人も見当たらない。


いつまでもどうしようどうしよう、と思案していると、遠くに動く影が見える。


「嘘、でしょ・・・」



林から出現したそれは複数の巨人のものであった。通常種の様だが数が多い。確認出来る限りは六体。後ろにまだいる可能性もある。


「ついてない・・・」


グリップを強く握り直し、リーナはその群れに向かって走り出した。巨人もそれに気付いたのか、大きな足音を立てながらゆらゆらと距離を詰めて来る。
全て一様に、気持ちの悪い薄ら笑いを浮かべた顔で。


ついていないんじゃない、今までが幸運過ぎた。
今戦わなかったとしても、馬がいないならば逃げられるわけがない。生きたいのなら、可能性は零に等しくとも戦わなければならない。戦わなければ、勝てない。
兵士として、無抵抗な餌は絶対に嫌だ。



せっかくリヴァイさんに言ってもらえた事、守れそうにない。










190522 修正


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