03




いいものよ、飛び回るのって


たとえそこに巨人しかいなかったとしても
空は誰にでも平等

地面は壁で区切られているけど
空が区切られることはないの


こんな窮屈な世界でも
空にいる間、私は輝ける
そう信じてるわ


あなたにもいつか
そんな居場所が見つかる
必ず、ね
























「・・・まただ・・・」


目が覚めるなり、布団を捲り上体を起こして呟いた。母が家に帰ってくるといつも言っていた言葉で、かなりの頻度で頭の中に響くようにして夢に見るのだ。
布団から出たリーナは洗面台へと歩きながらハンガーにかけられたジャケットを眺める。母の言っていた事を自分も実感しているからかもしれないな、と小さく口角を上げた。



ベルトの締まり具合や捩れが無いかを確認し、ジャケットを羽織って鏡の前に立つ。ボタンを掛け違えたりはしていない。寝癖もない。ベルトも確認を終えた。目視で問題が無いと確認出来ると、今日こそはと心の中で気合いを入れ力強くドアを開けて自室を後にした。
この日リーナはエルヴィンとハンジに褒められてから最初の班規模訓練で、先輩に認めてもらうのだと強く心に決めて歩く廊下では窓から見える日頃見慣れた風景でさえもいつもと一味違って見える。




「あれ、?」


訓練場と兵舎を繋ぐ廊下に設置された自分の班ロッカーを開けたが、自分の棚にある筈の物が見当たらなかった。前の日の夕方に確かに置いたにも拘らず、綺麗さっぱり何処かへ消え去っているのだ。


「なんで・・・?
昨日、確かにここにーーーー」


「おい、邪魔邪魔。何つっ立ってんだ。
もう訓練始まるんだからとっとと準備しろよ」

「マークスさん!
あの、私の立体機動装置が・・・無くなっていて」

「はぁ?知らねぇよ。お前ちゃんと片付けたのか?」

「ここに仕舞ったのは確かなんです!
私たちの班の一番左側に置きました!」

「もっと探してみろよー・・・
早くしねぇと班長来るし。もう訓練始まるぞ」

「は、はいっ」


班長、という言葉がリーナを更に焦らせる。幾度となく何でもない事で理不尽に叱られ訓練から外された辛い記憶が蘇り、踵を返して一目散に兵舎に引き返した。探す当てもなかったが廊下のすぐ先をこちらに向かって歩いていた女性を見つけたリーナはそこへ駆け寄り、駄目元でも聞いてみよう、と立ち止まる。



「ユリアさんっ!
すみません、私の立体機動装置を見かけませんでしたか?」

「知らない。もう訓練始まるけど?」



表情ひとつ変えず、言葉が返って来た事が幸運に感じられる程にあっさりと横をすり抜けて行った彼女を振り返ることもしないで、リーナは立ち尽くした。


「はい・・・」


訓練に参加したい。ならば早く装置を見つけなくてはいけない。そう分かっているのに、見つからないのではないかという絶望感にも似た酷く暗い気持ちが勝ってしまって、走り出す事が出来なかった。
きっともう班長が訓練場で点呼を取っている頃だろうから、戻って報告するしかない。そう諦めたリーナが足早に訓練場に戻ると、既に自分以外の班員が全員訓練場の馬屋の前で整列していた。その前に立つ班長の側に駆け寄り、直立からびしりと敬礼する。


「お、遅れて・・・申し訳ありません!」

「ああリーナ、遅かったな。何をしていた?」


予想していたよりも軽い反応に一瞬面食らうもすぐに気を取り直し、左胸に当てた拳を更に強く握った。


「立体機動装置が、無くなってしまいまして・・・」

「そうか」

「え・・・?」


班長が平生と変わらぬの軽い声色で立体機動の訓練に移ることを告げ、使用する模擬演習の場で待機する様に指示すると、一度敬礼した班員が皆一斉に林の方へと走って行く。


「あの・・・班長っ、立体機動装置を探しに行くことを許可して頂けないでしょうか!」

「いいだろう、許可しよう」

「!ありがとうござーーー」
「ああ、待て」

「は、はい・・・?」


突然未だ嘗てないほどに落ち着いた静かな物言いをする班長の様子に戸惑いながらも急いで兵舎に戻ろうとするリーナを、その彼は呼び止める。
そしてやけにゆったりとした足取りで馬屋の裏へと消えたかと思うと、数分もかからない内にリーナの元へ戻って来た。
その腕に汚れた立体機動装置を抱えて。


「ま、さか」

「先ほどユリアとマークスから報告があってなぁ・・・"ボロボロの立体機動装置が落ちていた"と。
訓練の後で回収しようと思っていたんだが、まさかお前のか?」


言葉を失い呆然とするリーナを見るなり心の中で1人いやらしくほくそ笑んだ班長はそれを表に出すまいとするが、僅かにその口角が上がる。
その腕で抱えているのは確かにリーナの物であった。隙間から覗いている初めて装置を受け取った時にしっかりと掘ったイニシャルには土が埋まってしまっていて、ペンで書いたような黒い文字に見える。この装置は誰が見ても、リーナのものだと分からない筈はない。



「わたしの、もの、です・・・」

「そうか。
少しネジが緩んだりしているようだから整備で中まで見てもらった方がいいだろう。今日は特別に訓練に出なくていい」

「い、いや、ですが・・・!」

「代用機で訓練に出て足を引っ張られても迷惑だ。
じゃあ、皆を待たせているから俺はもう行くぞ」

「は、い」

「そういえばお前には言っていなかったかもしれないがな、次の遠征が二週間後に決まった。それでな、聞いて驚け・・・俺達の班が、遂に索敵に指名されたんだ。
一度訓練に出れないからといって、壁外でも俺達の足を引っ張るなよ。容赦無く切り捨てるぞ」

「・・・はい」









土でぐちゃぐちゃに汚れた立体機動装置を腕に抱えて、リーナは整備室のある棟を目指して歩いていた。廊下の窓が所々開けられていて心地よい風が舞い込んで来る爽やかな陽気であるのに、その足取りは酷く重い。
何故こうなってしまったのか。信じたくない気持ちはあるけれど、こんな状態であんなところにあった以上、他にない。誰かが意図的に装置を汚して隠したのだ。思い当たる心当たりといえば班の中の誰か。いや、班長のあの様子では班全体が・・・




「どう、すれば・・・っ」


どうすれば認めてもらえるだろう。
自分が気に入られていない事は分かっている。でもそのままの関係は、いつか壁外で命取りになると思うから。認めてもらおうとどんな雑務もこなしてきた。もっと、頑張ろうと思ってるのに、それすらも阻まれて。
強引に羽を毟られていく、無力な鳥のようだ。




「ちゃんとなおる、かな」


訓練兵時代から小さな部品の交換だけで済んできた。飛ぶことを知った日から、母に近づく手助けをしてくれる、大事なパートナーであった。
頬を滑り落ち装置に落ちた雫が泥と混ざり合って茶色くなり、足元へと吸い込まれていく。その一筋だけが元の鈍い輝きを取り戻す。










「おい・・・なに泣いてる」


不意に響いた声にリーナの歩みが止まる。俯く顔を上げ、誰もいなかった筈の廊下の先に人が立つのに気付いた。


「リヴァイ兵長・・・」


小さくその名を呟き、立体機動装置を無理に左手に抱えて体の陰に隠すと、握った拳を左胸に当てた。それに眉を顰めたリヴァイの小さな舌打ちが響く。



「やめろ、お前に敬礼されると気味が悪い。その呼び方もだ」


入団当初に数度言われた台詞と同じものを耳にして、そういえばこうして面と向かい話をするのはいつぶりだろうか、と時折目撃する後ろ姿をぼんやり思い浮かべた。
小さく息を吐いたリヴァイが普段と同じ様に眉間に皺を寄せ、靴の踵を鳴らしてゆっくりと歩き出す。静かなままに詰め寄る彼の言い知れぬ威圧感に気圧されたリーナは無意識に半歩後ずさった。



「左手のそれは何だ」


何が不快なのか、鋭く細められた射抜くような目。眉間の皺も平生より深い。機嫌が悪いのならば今はぐらかすと後が恐ろしい事になる予感がし、おずおずと後手に持っていた立体起動装置を両手で前に抱え直した。



「立体機動装置、です・・・」

「汚ねぇな。何をしたんだ」

「・・・訓練場に無くて、探したら・・・訓練場の倉庫の裏に、この状態で」


あの冷めた声。虚しいことに目すら合わせてはもらえず、無表情で普段と違う仰々しい口調。歪んだ口元。勝手に脳裏に思い出される場面と共に再びじわりと視界が歪む。だめだ、今この人の前で泣く訳にはいかない、のに。




「行くぞ」

「え・・・?」

「整備に出すんだろ・・・壊れていたらどうする」

「は、はい!」


言いながら踵を返し隣の棟へと歩みを進めた彼を一歩遅れてリーナが追いかける。
彼の人格を疑ったり恐れたりするような噂はよく耳に入って来た。けれどそのほとんどが尾びれ背びれが付いてしまった全くの別物で、本当は部下思いで優しい人なのだ。









「はい、よろしくお願いします・・・」


整備室に辿り着いたリーナが装置を預けると、とりあえず修理の可否を至急確認するという。その間廊下で待っているように言われ、部屋から出てすぐの窓に背中を預けて立ち、ぼんやりと待つ。その隣ではリヴァイが腕を組みながら同じようにして壁に凭れていた。



「あの、お戻りにならなくてよろしいのですか・・・?」

「今日はもういい。お前こそ、今日は訓練があるだろう」

「・・・班長に、参加しなくていいと、言われました」

「どういうことだ」

「私が代用機を使って参加しても、足を引っ張ってしまいますので・・・」

「次の遠征が近いのに、か?」

「そう、ですね・・・」

「今回お前らの班は索敵だ。訓練から連携を取れなくて壁外でどうする」

「壁外で足を引っ張ったら、容赦無く切り捨てると言われていますから・・・」

「ちっ」



小さな舌打ちがやけに大きく響いた。

訓練がしたい。このまま壁外に出てもきっとすぐ餌になってしまう。周りにも迷惑がかかる。迷惑になる前に見捨てられるかもしれないのだけれど。



「お前は何故ここに来た」

「え・・・?」

「何故調査兵団に入った」



ちらりとこちらを向いた特徴的な三白眼とぶつかる。思えばこの人には入団した動機を話した事が無かったのだ。一度も聞かれた覚えがない。
しかしならば頭の中にある、訓練兵になるよりも前に誰かに話したという記憶の相手は一体誰だったか。今までも思い出せないまま何度も諦めた。




「ここを選んだのは、初めは母への憧れだったんです。
母は、私が言うのも変ですが・・・兵士だと思えないほど美しかった。巨人を掃討してきたとは思えないほどその瞳は輝いていたし、立体機動の話をするときは子供のように無邪気だったんです。
そんな母を見てきた父が描いた絵を見て、私もあんな風に・・・って、思ったんです。
でも、訓練兵になって、立体機動装置を使ってからは、自分の夢もできました。巨人がいない世界で、鳥のように、どこまでも自由に飛んでいきたい・・・だから、調査兵団に入って巨人のいない世界にしたい!って。
力の無いやつが何を言ってるんだ、って感じですけれど・・・」

「そうか」


今朝の夢の事もあり、母の顔が浮かぶ。きっと壁外でも輝いていたのだろう。他の団員の、勇気や希望になっていたんだろう。
父の話す母の武勇伝は、今の私とはかけ離れた輝かしいものだった。話を聞いた当時は分からなかった専門的な部分も、自分が兵士になると全て理解出来た。どれだけ、偉大だったか。
父が私にそれを語るのを、母はいつも恥ずかしそうに、それでいて誇らしげに聞いていた。




「お前には・・・」

「は、はいっ!?」

「お前にとってここは居心地が良いか?」



どきり、という音が胸で鳴った気がした。彼を見ると今度は顔ごとこちらを向いていて、その鋭い瞳に、嘘は通用しないと言われている気さえする。
言えない。もう悟られているとしても、彼相手にどうしてそんな弱音を吐けるだろう。弱いところは見せられない。
私自身きっとまだ諦めていないだろう。きっとただ少し、迷っていただけだ。


「先輩方に認めてもらう為なら、今以上に何だって頑張ろう、って思う自分がいる反面、たぶん何をしてもだめなんだ、って、諦めている自分もいたんです。
でも!次の遠征も近いですし、こうしてリヴァイさんとお話ししていたら、もっともっと頑張ろうと思えました!」



ありがとうございますと頭を下げて元に戻ると再び目が合う。頑張りますの意味を込めて笑顔を作ると、予想外にも目の前の眉間の皺が更に深まり口から舌打ちが漏れてきた。何かまずかっただろうかと固まってしまった体を動かせずにいると、不意に名前を呼ばれ一歩距離を詰められる。


「次の壁外調査、なんとしても生き残れ」

「え、それ、は」

「索敵なら巨人との接触も多いからな。気を抜いて餌になるくらいなら、死ぬ気でぶっ飛ばしてやれ」

「え、あ、あの」

「無理を言っているのは分かってる。一歩壁外に出れば命の保証はねえだろう。お前の班は初の索敵だしな。
が、それが出来なければお前はそのままだ。命を賭してでも現状を変えたいと思えるなら、やれ」

「・・・どうして」

「班に捨てられようが、生きる為に戦い続けろ。
お前はお前で、自分の為に」



もしかすると激励の言葉、だろうか。死と隣り合わせの壁外で、初めての索敵で、実力も無くて。それで手柄を立て生きて帰ってくるなど、限りなく不可能に近いからだ。
しかし、それを目指す事で何か変わるということを言っているのかもしれない。


「ありがとうございます」

「礼を言われるような事をした覚えはねぇが」

「やってみようと、思いました。自分で、変えたいです」




リヴァイが頷くのと同時に音を立て目の前のドアが開く。中から整備士が小さな書類を持って現れ、リーナに歩み寄った。


「ヴィントさん、確認が終わった。これは直るよ」

「ほ、本当ですか!?」

「ただ二、三日かかりそうなんだ。土が奥まで入り込んでいて、結構な数の部品の交換が必要になる。
壁外調査、近いんだよね?」

「はい」

「代用機を使って今から慣らしておいて、当日もそれで行ったほうがいい。
修理後は出力が若干変わっていたりする事もあるし、代用機で訓練して本番直前にまた自分のに戻すというのは危険だ」


整備士の男性が言う事が正しいのは、リーナも理解していた。立体機動装置は慣れた自分のものでないと思うように動けなかったり判断ミスをしてしまう繊細なものだ。兵士のために量産されているけれど、ひとつひとつがほんの僅かずつ違う。同じものはひとつとして無い。

けれど、それなら尚更。


「自分のもので、壁外調査に行きたいです。
お忙しいとは思いますが、なるべくお早めに直していただけないでしょうか・・・!」

「そんな・・・本気か?」

「はい」


大切なパートナーであり、翼なのだ。


「・・・そうか。
じゃあすぐに修理に取り掛かる。出来上がったらまた呼ぶから取りに来てくれ」

「はい。よろしくお願いします!」



男性が扉の向こうに消えて行くのを見届けて、二人は元来た方へと歩き出す。リヴァイは何も言わないが歩く速度が普段より遅く、わざわざ合わせている事はリーナにも伝わっていた。

この人の期待に応えたいと思う。
あの言葉は、期待というほどのものでもないかもしれないけれど。まだ、私を励ましてくれる人がいるんだ。それに報いたい。










190522 修正


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