邂逅





アインハード・フォン・バルトという男はバルト公爵家の長男として王都ミットラスでも有数の豪華絢爛な屋敷にその生を受け、貴族の中でも特段裕福な家庭に育った。彼が代々の当主の中でも抜きん出た美貌を兼ね備えていた事も周囲の期待を一身に集める要因となり、幼少期よりバルト公爵家唯一の跡取りとして過剰とも言えるほどの英才教育を施され、壁の中で王族に次いで強い権力を持つ公爵家の一つを背負って立つに相応しい教養、立ち居振る舞いを身に付けていた。物心ついた頃から同年代の子供と遊んだような記憶は無く、無心に努力を重ね、今や父から家督を継ぐ一歩手前でその地位を確かなものにしている。
成人する前から、行く行くは家柄の確かな令嬢を嫁に迎え公爵家を長きに渡り繁栄させる使命があるのだと、周囲からさながら予言の様に言い聞かせられていたアインハードは、やはり社交界でも地位、名声、そして美貌の三拍子が揃った稀有な存在として引く手数多であった。
家同士の利害が一致したご令嬢をその内婚約者として据えられるのだろう。そう漠然と、煌びやかでどこか仄暗い上流階級社会の成り行きにその身を委ね、どこか諦めにも似た様な感情で日々を持て余していた。

そんなある日、父より言い付けられ兵団の式典にアインハードが同行した時のことである。
式典の概要としては、各兵団が協賛を得ている貴族や商会関係者を招待しての活動報告と観兵式を兼ねたものだった様に記憶している。とにもかくにも内容には大して興味の無いそれにアインハードが上手く欠伸を噛み殺しながら、取り巻きの女性や金魚の糞の如くついて回る商会関係者、真っ黒な腹を蓄えた脂肪で隠し取り入らんとする貴族のお偉方へ相槌を打ちながらも、その殆どをぼんやりと右から左へ聞き流していた時のこと。
調査兵団の、自由の翼のエンブレムが視界の端に映る。
我が家が他の貴族を抑え突出して多額の支援をしている兵団故に多少は気になったのかと自己分析したが、彼自身それはすぐに間違いだと気が付いた。自分の視線が、ある兵士に貼りついてしまったかの様に逸らす事が出来なかったからだ。
さらさらと、蜜の流れるが如く靡いた金髪は肩の辺りで揃えられており、美しいそれは不思議と兵団服の礼装でも浮く事無く、むしろしっくりとくる気さえした。
顔の作りが整っているとは感じるが、絶世の美女という程でもない。取り巻きの女や夜会で見かける貴婦人方と比べてしまえばまだ幼さの残る顔付きで、化粧っ気も殆ど無い。しかし凛と伸びた背筋や真っ直ぐに前を見据える眼差しに自分の中の何かが惹きつけられているのははっきりと自覚出来た。世界の全てが自分から遠退いた様に式の進行すらも何も耳に入らず、彼女が出番を終えその他大勢の調査兵と退場するまで、視線はその背中に釘付けであった。






「今日お前が見ていた娘・・・あれはリーナ・ヴィントという」

「ご存知なのですか」

「ああ・・・」


父が懐から取り出し、大理石の天板に滑らせたのは手のひら大の古い絵。緩くウェーブのかかった髪を胸の辺りまで伸ばした、華やかな顔立ちの美しい女性。ドレスも難なく着こなすであろう彼女の装いは調査兵団のそれだ。これ程の女性を見たら忘れはしない筈だが、実際に会った記憶はない。しかしその姿に何とも言えぬ既視感を感じていた。


「これはサラ・ヴィントだ。調査兵団で分隊長を務めていた。相当な実力者だったそうだが・・・もうこの世にはいない。
気の強い所はあるが気立が良くてな。加えてこの美しさだ。巨人に食われて死ぬには惜しいんで、私が安全な籠に囲ってやろうと思っていた」

「ヴィント・・・もしや親子ですか」

「そうだ。つまらん男と一緒になった後は兵団にも邪魔され滅多に夜会にも現れなくなった。その内に壁外で死んだと聞いた時は思わず笑えたな・・・
大人しく囲われておけば辛い思いも恐怖も味わわずに済んだというのに、いつもこの手を面白い位にすり抜けた。馬鹿な女だ」


一頻り語った後、父は視線を落とし眺めていた掌を握り込んだ。この美しい女性を罵倒したその瞳にはどう覗いても侮蔑の色は見えない。
母とは政略結婚だと知っていたし、物心ついてから仲睦まじい様子を見かけた事は一度も無い。貴族が愛人を囲うのはある種有り余る富の象徴の様なところもあると、他の家との交流で昔から見知っていた。父が母以外の女に執心していた事については特に驚かないが、権力競争や金儲けの話以外で、父がこれ程までに執着したものを他には知らない。思い返してみれば、父には特定の愛人はいない様だった。それは単に愛人を愛でることに興味が無いのかと思い込んでいたが、彼女が死んだから他に興味がないのかと推測するには十分だ。


「娘にも少し面影がありますね。それに若い」

「ふん、あんな乳臭い小童などどうでも良い。第一あれはこれとは全く違う」


そう吐き捨てると再び絵をしまい込む。劣化具合を見るに、日頃から肌身離さず持っているのだろう。社交界で目の肥えたこの父にそこまでさせるサラ・ヴィントという女性は、他には無い何かを内に秘めていたに違いない。
グラスに残る蒸留酒を煽りつつ、脳裏にちらつくのは面影を残した娘の姿。絵の中にある母親と同じく、兵士としての気高さを感じさせ、あどけなさの中にも何人たりとも侵すことの出来ない高潔さすら感じた。
ただ漠然と、あの瞳を真っ直ぐに覗き込んでみたいと思うようになっていた。そこにはどんな表情が映るだろう。薄墨色に澄んだガラス球のその奥には、一体何がーーーー。









「バルト公爵閣下。本日はお忙しい中ご足労頂きありがとうございます」

「キース団長ですね。父がいつもお世話になっているようで。ご挨拶が遅くなりました。
すみません、急にお邪魔したいと我儘を言って」

「何も問題ありません。ご支援頂いている恩を成果として皆様にお見せするのが、我々の責務ですから」


調査兵団本部へと辿り着き馬車を降りると、正門で待ち構えていた団長と他愛もない挨拶を交わし、兵舎内へと至る。中規模程度の訓練があるからまずはそちらからどうか、と勧められるがままに案内を受けつつ訓練場を視察できるポイントへと移動していく。式典が行われて間もない為か視察に来る後援者の姿は珍しくない様で、さして注目を集める事も無かった。来客にも対応する様な綺麗目な作りの正門側では非戦闘要員と見られる団員の姿を認めたが、普段は客が立ち入らないと見える奥の区画に進めば団員の往来はほとんど無い。中規模訓練と言えども殆ど全兵士が招集されるので大規模なそれと大差無く、敷地内で行われるという点で中規模と位置付けられていると初めに団長が補足した通りであった。

訓練場まで辿り着くと、目の前の開けた場所にいくつかの部隊が整列し指揮官の指示を仰いでいた。団長と客人が連れ立って横切るのに気が付いた一同から向けられる一糸乱れぬ敬礼に軽く腰を折って応え、友好的に見えるよう張り付けた笑顔で挨拶を済ませると、案内されるままに林へと足を向ける。
自宅の庭とはかけ離れた様子の鬱蒼と生い茂った濃い緑に圧倒されたが、曰く壁外での戦闘を意識して敢えて手入れしすぎない様にしているのだとか。思考が顔に出ていたかと思わず斜め後ろに立つ男の顔色を覗き見るも、どうやら一方的に説明を始めただけのようだ。その後も現在行われている訓練内容や期待される成果等事細かで真面目な案内が始まるも、その全ては耳に入った途端に右から左へと抜けていった。
目の前で繰り広げられる訓練に感心する様に空を仰ぎ、延々と聞こえてくる声に相槌を打ちながら、視界では緑の間を掛けていく影の中に翻る金の髪を探していた。小柄で華奢な体躯。彼女についての情報といえば自らの目に焼き付いている容姿の特徴くらいなものだが、どこから来るのか不思議と彼女が目の前に現れればすぐに分かるという確信があった。
先程の地上の隊列に姿が無いことは分かっている。この林のどこかにいるはずだと、勘の様なものが告げていた。

木の陰から続々と続いて兵士が飛び出していたのが途切れたかと思うと、何かの掛け声の後、数拍おいて再び人影が一斉に空中へと踊り出る。
先陣を切ったそれの、木漏れ日を受けきらきらと輝いた錦糸の様な髪が舞い上がった。式典の時とはまた違う簡略化された武骨な団服も、背中に背負った翼が手伝ってか、やはり彼女に似合って見える。
彼女に続いて続々と兵士が飛び出し、連れ立って真っ直ぐ林の奥へと進んで行く。そして木々の間にその姿が消えようかという時、一行は進行方向を変える素振りを見せた。ぼんやりとそれを眺めていたのだが、唐突に彼女だけが隣を飛ぶ兵士と衝突し地面へと吸い込まれていく。すんでのところで装置を使い体勢を立て直し、頭や背中から落ちることは回避して見せたものの、地に腕をついた後も勢い余って地面を横倒しに数回転がった。
彼女が数拍遅れてゆっくりと上体を起こす。
そこまで目の当たりにしてやっと、地面と貼り付いた様に動かなかった足が半歩分、靴底を擦って前に出た。


「あの、」
「またあいつか・・・
折角来ていただいたというのに、お見苦しいところをお見せし申し訳ありません。
あの新兵はいつもああでして。班行動がからきしなんです。周りが見えていない」


思わず立ち止まり振り返り見た表情は苦々しげで、語るその口ぶりは、平生の彼女の評価そのものなのだろう。
今し方目撃した限りでは、彼女は衝突する際、体同士ぶつかったというよりは突き飛ばされたように見えた。それに、素人の見間違いでなければ、確かに一行は全員で進行方向を変えようとしており、彼女もそれに倣ったのだ。しかしその直後予告なくそれは取り止められ、班の中心の位置にいた彼女は突然のことに装置を手放すことも出来ず、一人違う方向へと体が流れていき、その先にいた班員が避けるでもなく衝突の直前に彼女を肩で弾き飛ばした。


「ああ、今始めたあの班はここ最近目に見える成果を挙げている班でして。次の調査でも主力部隊への編成を期待されている班です」


隣の男が先程よりも上擦った声で得意げに捲し立てるのに相槌を打ちつつも、意識は依然座り込んだままの彼女へと向けられていた。

彼女へ手を差し伸べる者は無い。一緒に飛んでいたはずの兵達も、去り際に皆一様に一瞥をくれるのみですぐにその姿は林の奥へと消えて行ってしまった。また別の兵士が頭上を飛んで行くのを見上げた彼女は、緩慢な動作で立ち上がるとゆっくりと歩き出す。その瞳にはさぞ沈んだ色が浮かぶのだろうと想像し、多少の同情を寄せていたのだが、直後それは裏切られる事となる。

こちら側を向いた真っ直ぐ前を見据える瞳は失意にのまれてなどおらず、相も変わらず静かな輝きを湛えていた。そして軽やかに飛び去っていく兵士たちが次から次へと木々の向こうへと消えて行くのを、目に焼き付ける様にして見上げている。訓練のコースから少し離れた所へと逸れて開けた場所へ出た彼女は手足を左右に振る様に動かして異常がないのを確認し、腰に付けた装置も掌で撫でる様にして確かめた後、前振りなく手元の装置を操り空へと舞った。鮮やかな身のこなしで木の合間を縫う様にして飛び去って行くその姿に、失態を挽回しようと忙しなく説明を続ける隣の彼は気が付かないらしい。


「巨人共に一矢報いる為、さっきの様な落ちこぼれ共の尻も引っ叩き、引き続き兵力の底上げに努めて参ります」

「そういう汚い言葉遣い、私は嫌いだな」

「な、っ、申し訳、ございません・・・」



彼女のあの瞳は、どんな時にその色を変えるのだろう。班員から冷遇されようとも正当な評価を受けられずとも真っ直ぐに前を見据える輝きは、いつか違う色を見せたり、色を失ったりするのだろうか。
知りたい。
彼女がもっと傷付いて、その度また立ち上がって、それを幾度も繰り返したら、その先にどんな彼女が見られるのか。
今はまだ見るからに訓練兵上がりのあどけなさを残す彼女が、その顔に似合わぬ鮮やかな技術で上り詰めたその時には、どんな女性になっているだろう。
父の見せた絵の女性ーーー彼女の母親は完成された美人であったが、彼女はまだ少女と呼んでも良い歳だ。年齢故に食指が動かないと言ってしまえばそれまでなのだが、逆にある種の期待は感じていた。木に成った果実が食べ頃になるまでじっくりと待つ様な、そんな期待。
時間がかかることは大した問題ではない。自分にも父に似て執念深い所があるのだとたった今痛感したばかりなのだ。似ているのなら同様にいつまでもこの執着は続くだろう。


「リーナ・・・楽しみだよ」



君を奮い立たせているらしいその光がいつまで輝くのか、高みの見物と洒落込もう。どちらに転ぼうと、どの道楽しめそうだ。
その時僕は君をどうしたいのか。壊したいと思うのか慈しみたいと思うのか、はたまたその両方か。分からないから面白い。
だからその時まで、死なせはしない。










20191021



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