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「敵は必ず仕掛けてくるはずだ。決して逃すな。
エレンと同様であればうなじに潜んでいるのだろう。引き摺り出し必ず捕らえる」



会議の始まりがエルヴィンの口から告げられた時、人数の少なさにリーナは驚愕した。団長執務室に召集された時点で小規模であることは分かっていたが、まさかこれほどまでとは。参加者が絞られているらしいことは容易に推測出来た。
そして次回の壁外調査について、他言無用の念押しの後に、その真の目的が発表された。エレンをシガンシナ区まで連れて行く為の試運転という名目の裏で、我々はやって来るであろう敵を迎え撃つのだ。
被験体を手にかけた事から推測するに、敵はまず間違い無く立体機動の心得がある兵士。更に巨人化の能力を有している。エレンを囲う我々が邪魔になればその力を行使するであろう事を鑑みれば、エレンに手出しするのは壁外が最適だろう。その時はここに集められた分隊長と、彼らが選出した班とでそれを阻止し、文字通りエレンを死守する。
敵が兵士である以上、調査兵団に敵そのもの、或いは敵に通ずる者がいる可能性はゼロではなく、万全を期する為に陣形でのエレンの配置は、新兵やこの作戦を知らせない班にはそれぞれ異なる情報が伝えられる。エレンの正確な配置はこの場の限られた者にのみ伝えられ、作戦を遂行する班のみに極秘情報として共有される。
そして当日壁外にて、敵は出現した後戦闘の為に十中八九巨人化するだろうと想定し、戦闘に有利な環境を考慮してルートは二本に絞られた。巨大樹の森か、更にその南にある旧市街地である。建前ではそのルートは秘匿され、森を避けて折り返し戻るルートとされているが、そう平和には事が運ばないとエルヴィンは踏んでいる。
二、三質問は出たものの皆エルヴィンの述べる作戦内容に異論は無く、細かい実行に関しての微調整は再度直前の会議で打ち合わせる事に決まり、その場は解散となる。以前巨人を被験体とする為に使用された兵器の改良の為の技術部門開発班との連携、必要門数や適当な配置の算出は第四分隊とハンジに一任され、鼻息荒くぶつぶつ独り言を始めたハンジをモブリットが宥めつつ退出して行くと他もそれに続き、団長執務室は再び閑散として静まり返った。
リヴァイがリーナに短く声をかけ、先にドアの向こうへと消えて行く。しかしリーナはそれを追う事なく、エルヴィンが書類をまとめ机へと向かうのを呼び止める。



「何か、私に出来ることはないでしょうか」

「まだ当日の動きは決めていないんだ。配置も追って知らせる事になる。そう焦らなくても良い」

「そう、ですか・・・しかしーーー」

「ただ一つだけ、君に打診しようかと悩んでいた事がある」



リーナ自身、今回作戦のメンバーとして加わったのは先日エルヴィンへと語った彼女なりの仮説によるところが大きいと考えており、それが偶然エルヴィンの考えていたものと似通っていたからだと推察した。しかしそうなのだとしてもこの作戦に参加する者としては自分は力不足だと、人一倍何かの役に立たねばと張り切り、半分焦ってもいる。
エルヴィンが口にした言葉に無意識のうちに背筋を伸ばしたリーナは青い瞳を見据え続きを待った。勿体ぶるように一つ瞬きをして見せた彼は、椅子に腰掛け机に肘をついて真っ直ぐにリーナを見つめ返す。


「バルト公より再びお声がかかった。今回は晩餐に招待されている」

「そう、でしたか・・・
行かせて下さい。それに、今回の壁外調査は一段と予算が必要になるはずです」

「・・・その通りだ」

「なら、行かない理由はありません」


にこりと笑って見せたリーナの、昔とは違いどこか覚悟を決めたような大人びた表情にエルヴィンの顔が僅かに歪む。以前任せた時の夜会の様な規模の大きいものとは違い個人的な招待だと補足するも顔色を変えない彼女の様子に、内心で罪悪感を感じない訳ではなかった。ともすれば深い仲になる可能性が無いわけではないのだ。
今までに結婚を理由に退団した女性兵士は数多く存在するし、過去にはこのような任務で貴族やそれに準ずる地位の者と縁があり婚姻まで至ったケースもいくつか例がある。一般女性の幸せの一つとして結婚があるならばリーナにもそれを享受する権利はあり、エルヴィンは幼い頃から彼女を可愛がっていたからこそ、尚更その幸せを心から願っている。退団云々は今は抜きにしても、バルト公との縁がリーナにとって良いものであったなら、兵士とは違う道を彼と歩む事を考えてもいいのではないか、と遠回しにかつ謙虚な彼女が厄介払いだと勘違いしない様に伝えれば、それは即座に有り得ないと否定された。


「招待を受けるのはあくまで兵団の為であって、私は兵士でいたいです。
それに・・・失礼かとは思いますが、あの方は物腰は柔らかいけれど、なんだか怖くて。少し苦手です」

「そうだったか。
すまない、変な事を言ったな」


その言い分を聞いたエルヴィンが断っても良いんだと伝えるもリーナの姿勢は変わらず、日程を確認すると早速テーブルマナーの教本を探さなくてはと意欲を見せる。前回リヴァイから立食の基本は聞いていたが、本格的な食事の場ともなれば更に詳しい知識が必要であった。しかし今回リーナはリヴァイに頼るつもりは無く、この件に関してわざわざ報告をするまでも無いと考えている。以前は同伴者として世話になる形であったが今回は自分一人であるし、出立は終業後で十分間に合うので業務に差し支えない。以前は迷惑をかけ心配もかけた手前、今回は自分で上手くやらねばと意気込んでいた。案の定リヴァイの話題を振ってきたエルヴィンにその旨を伝えれば、彼は少しの間思案した後、そう言うならばと一つ頷く。
今回も身支度は兵団で手配するからと当日終業後の流れを簡潔に確認すると、リーナは馬車を華美過ぎない物にして欲しいと願い出た。前回は随分と目立ってしまったので、裏門からひっそりと出たいのだと言う。前回の任務から戻った後数日間は行く先々で好奇の眼差しを浴びた事は記憶に新しく、食事中なども居心地が良くない思いをしたので、なるべくその様な事は避けたいと考えたのだ。
善処するとのエルヴィンの返答を聞くとリーナは敬礼し部屋を後にする。

一人自らの執務室に残ったエルヴィンは机に積まれた会議資料を端に整え新兵勧誘式の進行表を確認する傍ら、懐かしい記憶を呼び起こす。数少ない良き理解者であったサラの、かけがえのない宝物である、無垢で純真な少女。母の同僚である我々に無条件に心を開き、母はすごいのだと我々に自慢気に語っては、普段の兵団での様子を聞かせてくれとねだった少女。
そして母が死に、父が死に、静かに止め処なく涙を流し続けては、悲しみに過去の記憶を取り零してしまった天涯孤独の幼き少女。
守らなくてはいけないと思った。サラがこの世で一番大切にしてきた、彼女の形見だ。この残酷な世界で強く美しく生きそして散った彼女から託された。成長を見守りながら、この子は願わくば平和に、戦いなど知らずに生きてくれたらといつも密かに願っていた。
しかし彼女は剣を取る。それはハンジにもリヴァイにも止められなかった。彼女が母に憧れている事は誰よりも我々が良く知っていたし、その母は巨人という恐ろしい存在に殺されたのだと聞かされたあの時驚く程静かに頷いた彼女の瞳もはっきりと目に焼き付いていたからだ。
復讐に駆られるのではなく、亡き母の背中を追いかけ、母の成し得なかった自由を夢見て、巨人を屠る為の技術を磨いている。今思えば、誰にもそれを止める権利など無かった。月日は経ち年を重ね、大人と呼ばれる年齢になった彼女は技術は言わずもがな外見も益々母に似て、時折目を疑う程だ。自分から散々焚きつけておいて、そのライトグレーの瞳に見据えられ覚悟を見せられると、不思議な感覚に陥る。先程は結婚という道もあると今更兵士とは違う道を提案しておいて、否定が返って来ると心の何処かで安堵した。娘の成長に戸惑っている父の様な物だと思いたいのだが、思えば思う程胸のざわつきがそれを否定する。

こんなのは、らしくないのだがーーーーサラ、お前がいたなら。









190724


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