27





早朝、リーナがエルヴィンの元へ向かうべく自室で身支度を進めていると、扉の向こうから何やら慌ただしい空気を感じ取った。何事かと廊下へ顔を出せば、エレンが各部屋へ伝達して回っているところで、グンタやエルドは既に支度を終え廊下へ出ていた。


「あ、おいリーナ!急いで本部へ行くって兵長が!本部で事件があったみたいだ」

「事件!?わ、わかった」


様子を伺っているのに気付いたエレンからそう声を掛けられると、残った支度を手早く済ませ、マントを手に部屋を飛び出した。ペトラも出て来ており、次いでオルオも部屋から出て班員が揃う。駆け足で厩舎まで向かいリヴァイと落ち合うと、ハンジと伝達で来ていたらしいモブリットも伴って直ぐ様兵団本部へと出発した。









「ああああああああぁぁぁ!!!!
ソニーー!!ビーーーーン!!」



本部へ到着するなりハンジは馬を放って一目散に駆けて行き、補佐であるモブリットを筆頭に遅れてそれを追いかけた。そして聞けば先日のトロスト区襲撃の際被検体として捕らえていたらしい巨人が残骸と化し、今は目の前で音を立てながら夥しい蒸気を上げている。既にかなり消滅が進み残っているのは骨格くらいであった。周囲では様々な憶測が飛び交い、グンタとエルドが巨人を殺したのは兵士だという目撃証言があるらしいと噂する。警護にあたっていた駐屯兵団や憲兵団の兵も皆一様に泣き喚くハンジに引いた様子を見せつつ事件の犯人の人間性に疑問を呈し、さざめく様な囁き声が絶えない。
リヴァイが撤収を告げると班員が集まり、 午前はこのまま本部にて訓練に励むよう指示が出る。訓練場の申請をと先を急ぐ皆について行こうとリーナが一歩踏み出したところでリヴァイの手がその肩を掴み引き止める。


「お前はエルヴィンのところだ。昨日のは持って来ただろうな」


「あ、はい!ここに!」


リーナが懐から小さな封筒を取り出すとリヴァイがそれを手から抜き去り、エレンと囁く様に静かに言葉を交わしているエルヴィンの元へと歩み寄って行く。会話を終えたらしいエルヴィンに声を掛け手渡し中身を確認させると、顔を上げた彼の青い瞳が離れたリーナを射抜いた。リヴァイに向け小さく頷くと、彼らを置いて歩き出す。


「ついて来なさい。話を聞かせてくれるね?」


横を通り過ぎる間際そう告げられ、リーナは小さく返事をすると駆け足でその後を追う。リヴァイへと語った自分なりの仮説を昨日よりも分かりやすく説明できるよう、その頭の中で話の組み立てを始めていた。










「驚いたな。君がそこまで考えていたとは」


団長室へと通されたリーナがソファーに並んで腰掛けるエルヴィンから質問されるままに昨夜と同じ仮説を説けば、彼は小さく溜息を吐きそう零した。そして自らの膝に両肘をつき暫く考え込む素振りを見せた後、もう一つ大きな溜息と共に後ろへ軽く凭れかかる。


「すまない、私は君を甘く見過ぎていた。まだどこかで、守ってやらなくてはいけないのだと思っていたようだ」


いつもと変わらない様でありながら微妙に遠くを見ている様にも感じる彼の表情のせいで、リーナは口を開くものの肝心の言葉が見つからない状態に陥っていた。
やはり調査兵団を代表する彼らの中では、自分はまだまだ手のかかる子供なのかもしれない。しかしそれが事実だとしてもそれではーーーそのままでは駄目なのだ。変わらなくては、強くならなくてはいけない。彼らを支えることの出来る、信頼を寄せてもらうに相応しい存在に。

するとエルヴィンは突然はっと息を呑み、一瞬何かに焦った様な、それでいて苦しそうな様子で僅かに顔を歪め、リーナの見たこともない表情を覗かせた。どうしたのかとリーナが尋ねる意を込め小首を傾げる。
するりと滑らかに、よく見知った大きな手がリーナの髪を撫でながらゆっくりと降りて行き、そのまま一筋掬った髪をさらさらと指の間から逃がして行く。今までに覚えのない触れ方に戸惑いアイスブルーの瞳を見つめ返せば、僅かに細められたそれは普段の眼差しとは明らかに違っていた。眉間に薄く皺を寄せながら真っ直ぐに見つめている。リーナは心なしか居心地が悪いように感じた。
その右手はそのままゆっくりと、優しく滑るように首筋を通り肩へと至った。しかし今度は打って変わって力強く肩口を握ったかと思うと、ぐいと強引に引き寄せる。ふわり、爽やかなフローラルの、リーナの覚えのある香りが鼻腔を擽った。背中に回された手にぐっと力が篭ったのが伝わってきたところで、漸く自分がきつく抱き締められているのだと気付く。咄嗟に母や父といた頃の曖昧な記憶を漁るも、エルヴィンに抱き締められた経験は思い当たらなかった。沈黙を貫く彼の顔色を伺おうにも四十センチ弱違う身長を含め、明らかな体格差のせいですっぽりと包まれてしまい一切身動きが出来ずにいる。ぎゅううっ、と音がしそうなほどに力が強まりかなり息苦しくなってきたところでリーナが反射的に彼の名を口にすると、ふと圧迫感が去り、恐る恐るといった様子で大きな身体が離れて行く。リーナがやっと顔を合わせることが出来たと安堵していると、彼は先程よりも明らかに顔を歪めていた。



「エルヴィン、団長・・・?」

「すまなかった。もう、戻ってくれて良い」


そう言って申し訳なさそうに笑顔を作って見せた彼の表情も見慣れないもので、リーナはその真意を問えるかとじっと見つめてみるが手応えは無い。代わりに細く長い溜息を吐いたかと思うと、次に視線を上げた時には強い意志を宿した瞳の平生の団長の顔に戻っていた。


「次の壁外調査でまた新たな収穫があると思っている。そこまでの考えがあるのなら、もう理解しているかもしれないが・・・
時が来れば話す。それまでは通常通りの業務、訓練に励むように」


エルヴィンの様子に心乱され置いていかれていたリーナが我に帰り慌てて敬礼すれば、当たり障りのない余所行きの笑顔で微笑みかけられる。言外に話は終わりだと告げられては退散する他無く、礼を言い潔く部屋を後にすると訓練場へと足を向けた。
あと一つ角を曲がれば訓練場へ出るというところで、向こうからその角を曲がって来た集団が前方に現れる。訓練を終えた様子のペトラ達であった。


「リーナ!業務お疲れ様!いま午前の訓練が丁度終わったところよ」

「えっ、もうそんな時間」

「なんと兵長がな、昨日で清掃はあらかた完了したからと午後は半休にして下さったぞ!」


エルドを筆頭にやったなと笑い合う皆にあてられリーナの頬も自然と綻ぶ。先程まで皆で何処に行くか話していたと嬉しそうににやつくエルドをグンタが肘で小突き、彼女に会いに行けと囃す。どうやら話しぶりからして皆で出掛けようと提案した彼に、三人はこんな時こそと彼女に約束無しに突然会いに行く事を勧めている様だった。ペトラが突然会いに来る恋人がいかに素敵かと浪漫を語り、オルオがそれを恋愛経験の無い奴の妄想と馬鹿にする。ペトラと同じ様に素敵な案だと感じていたリーナにもオルオの言葉が刺さり、ぎくりと固まったところを彼が鼻で笑う。しかしエルドも満更でも無かった様で、今日はそうすると弾む様に告げ手を振り厩舎へと走って行った。


「まったく、幸せそうで何よりだな。
さて、俺たちも飯でも行こう。付き合えよ」

「しょうがねえ、たまたま予定が無いからな、付き合ってやらんことも無い。
・・・お前らはどうするんだ」


つっけんどんな口調にも彼の人間性もとい優しさが見え隠れすることを発見してからというもの、リーナはオルオに対する苦手意識も薄れ親しみを感じており、前ほど彼の対応に困る事も無くなっていた。親睦を深めるにはもってこいと参加を表すため口を開きかけた時、袖を引かれる感触がする。目で追えば隣に立つペトラの手が引き止める様にジャケットの袖を掴んでいた。不思議に思ったリーナが少し見上げる形で彼女を見るが僅かに俯いているせいで表情は読み取れない。


「前々から私リーナと出掛ける約束してたから、今日行って来る!男共でがっつり食べて来なよ」

「そうか?じゃあオルオと行って来るな」


先を行く二人を見送り、その背中が見えなくなったところでくるりとリーナに向き直ったペトラはばつが悪そうに目線を外しながらリーナの手を握った。ごめんと口にする彼女にどうかしたのかとリーナが問えば、一度唇を噛んだ後おずおずと目を合わせ話し出す。


「実は・・・もうすぐオルオの誕生日なの。毎年何かしら贈ってたんだけど、今年はどうしたらいいか迷ってて。リーナに一緒に来てもらえないかな、って」


申し訳なさそうにする様子に何事かと構えていたリーナだったが、思いの外可愛らしい理由に安堵の息を吐く。自分で良いならと同行を快諾すれば花が咲いた様な笑顔が向けられ、その無垢な輝きに目が眩む思いがした。
この笑顔を守りたい。彼女が幸せだと微笑むのを見届けたい。恋人を大切にしているエルドと、人の幸せを応援する兄のようなグンタに、中々素直にならないオルオ、そして天使のような天真爛漫な笑顔のペトラ。実績からして守られるような玉ではない彼らだが、いつ何時何が起こるかは誰にも分からないのだ。この先何が待っていようとも、皆の未来を守りたい。副班長と言えども普段から彼等の役に立つことが出来ていない様な自分だが、それだけは譲りたくない。








「何か候補はあるの?」


賑わう露店をきょろきょろと見回しながらリーナがペトラに問えば、同じ様にして考え込んでいる様子の彼女は何も案が無いと言う。リーナも一緒に考え案を出そうと彼の嗜好を聞けば、暫し考え込んだ後リヴァイの名前が挙がった。嗜好と言うには可笑しいようにも思えるが確かに彼がリヴァイを尊敬していることは周知の事実であるし、憧れがその言動に滲み出ており隠しようが無い。最も、隠すつもりなど本人には無さそうである。


「あ、それならリヴァイ兵長がハンカチとかクラバットを買うのに贔屓にしていたお店を知ってるよ。昔の記憶だから今も通っているかは分からないけど・・・」

「それは個人的にすごく興味ある!
でもこれ以上オルオを増長させたくないのよね・・・寧ろ止めさせたい。ほら、あいつ全然兵長に似てないし」

「はは、いつもペトラ怒ってるもんね」


当てが見つからないながらも街中をふらふらと物色しながら進む。同年齢の女性と目に付くものをああでもないこうでもないと話し合いながら歩くのは初めてで、女性の悩み特有とも言える突破口が見えない堂々巡りにもリーナは胸の高鳴りを感じていた。様々な品が並ぶ露店や商店は刺激も多く、それをペトラとオルオの話をしながら眺めては通り過ぎて行く。



「でもね、今更だけど・・・憧れのリヴァイ兵長の班に配属になって、これから!っていう時に誕生日だ何だってそんな事していていいのかな、とも思うのよ」

「"そんな事"って、大切な人のお誕生日でしょう?お祝いしたっていいに決まってる」

「あのリヴァイ兵士長の下で、心臓を捧げて戦う身なのに?」


澄んだ大きな瞳がじっ、とリーナを見つめている。
確かに、兵士は皆この心臓を捧げ戦っている。けれどだからと言って大切な人を大切にしてはいけないなんてことは無い筈だ。ましてそれはお互いに明日を保証されない身ならば猶更。


「せめて親しい人の一年に一度の特別な日くらい、祝っても罰は当たらないよ!ここは壁の中なんだし。
 それに戦っているからこそ、来年があるとは限らない。今年も祝う事ができるという事を大切にして、来年も祝える様にその人の無事を祈れたら、きっとそれがその人の活力になると思うな」



驚いた表情を見せる彼女にリーナは少し強く言い過ぎたかと心配していたが、すぐに大きく頷き微笑んだ様子を見て杞憂だったと胸を撫で下ろす。そして少し考えた後何軒か前に見かけた店にもう一度寄りたいと提案する彼女に微笑み返して、急かすようにその腕をとった。








190704 修正


back