23





一行がエレンに面会し、彼の意思を確認して三日が経過した。その帰りの馬車の中で不機嫌を隠さないリヴァイと顰めっ面のリーナとで板挟みに遭ったエルヴィンも、帰って来てからの唯ならぬ雰囲気を感じ取りエルヴィンに詰め寄ったハンジも、二人の衝突は初めての事態であるが故に下手に手出しが出来ず、また本人らも特に歩み寄ろうとする様子を見せないので、この三日間周りの人間は大変に困惑していた。
食堂でリーナが班員で集まり食事を摂っているところにリヴァイが指示を伝えにやって来た時には、彼のその余りの顔面の凶悪さに食堂内が凍った。彼女もまた平生に輪を掛けて畏まった態度を取るので更に彼の機嫌は急降下したのであった。
ペトラが何故と問うもリーナは何も語らず、態度についても前からそうするべきだと思っていたと答えるのみで、一向に状況は好転しない。

しかし当人の頭はとっくに冷えていて、リヴァイの言う事が正しい事は十分理解できていた。
エレンが巨人化の能力を有しているとなれば非力な自分が迂闊に近付く事は許されない事であると分かるし、エレンが我々の敵であるかは自分やアルミンや一緒にいたミカサという訓練兵の話を踏まえて上が決めるのだと腑に落ちている。
あの時はそれとは別に、殺せないなら下がれと軽く言い放った、目の前にいるエレンの気持ちを無視した彼の言動に堪えきれず憤りを爆発させたのだ。そんな不安を更に煽る様な事をしなくても良かったじゃないかと、殺す殺さないの話を持ち出すのは今最も不安を抱えているエレンがあまりに可哀想だと、裏切ったり暴れたりしたら命は無いと脅したので十分だっただろうと。
自らが厳しい言葉で咎められた事は背景を考えれば当然の事だと反省しているが、言葉を選ばない彼の無遠慮な振る舞いがあの時は許せなかったのだ。
しかしいくら昔のよしみだろうが自分はリヴァイの部下であって、指示に背いた事は罰せられなくてはいけない。それに加え、当時は思わず反論したものの、無意識の内に気にかけていたところを"そんな情"と称された事で自らの立場を思い知らされ、覚悟の浅さを痛感させられた。甘いのだと突き付けられた言葉が時間差でじわりじわりと沁み、限界まで罪悪感に苛まれている。
かと言って、彼と改まって話をさせてもらえるようなタイミングは無かった。ここ三日間彼が食事を取るタイミングは班員とは絶妙にずれていた上、終業の時間も重ならなかったのだ。今日もこれから行われるエレンの処遇を審議する兵法会議に兵士長とその補佐として出席しなくてはならない為、長々と謝罪の言葉を述べるような時間は無さそうである。
ならばとリーナはエレンの処遇が決まった後に言葉を尽くして反省を伝える事を心に決めるのだった。

昼食後リーナは自主訓練に励むペトラ達四人へ出掛ける旨声を掛け一言二言交わした後、食事時を過ぎ静まり返った廊下を厩舎へ向けて進む。リヴァイより指示のあった時間通りに審議所へ到着する様、愛馬をシーナへ向けて走らせた。






赤い絨毯張りの嫌に高級感のある薄暗い通路を兵団服私服様々な装いの人が行き交う。その間を縫って法廷へ続く重厚な扉を開いた途端、空間の上部を占める大きな窓から降り注ぐ陽に目が眩んだリーナは思わずその手を翳した。数拍置いて明るい空間に慣れると、まだ審議が始まる前の、人がごった返す法廷へと足を踏み入れる。どの団体も思い思いに話し合っていて全体的に騒がしい。奥の調査兵の面々が並ぶ場所へとリーナが足を向けたところでエルヴィンが気付き小さく手を上げ合図し、彼女もそれに応えるべく人の間をすり抜け進んで行く。



「リーナ!」


突然名前を呼ばれたリーナが立ち止まり周囲を見回すと、すぐ隣に驚いた表情のアルミンが立っており、暫しの間お互いに目を見開き見つめ合う。名前を呼び返せば彼は少し寂しそうな顔で微笑み、初めから痛い程の視線を寄越していたすぐ隣の黒髪の若い女性の訓練兵へ短く話しかけた後、再びリーナへと向き合った。


「リーナ、本当に調査兵になったんだね。
実は僕、この間調査兵団の人たちがトロスト区を出発するのを見送った時に、リーナを見たんだ」

「あの日・・・」

「うん。でも、リーナが調査兵団にいるとは思ってもいなかったし、勘違いだったらエレンにも悪いと思って、誰にも言わなかった。
でも、勘違いなんかじゃなかったんだね」

「うん、ごめんね。
エレンから聞いたの。突然いなくなって心配かけて、本当にごめん」

「本当だよ、本当に心配したんだ!
でも、元気でいてくれて良かった 」


アルミンも、とリーナが言葉を紡ごうとした瞬間、ドアの開く音と共に辺りが静まり返る。法廷中の注目を集めたのは、目を見開き驚きの表情を浮かべ入り口に立ち尽くすエレンであった。
アルミンに小声で一言詫び、踵を返して急に動き出した人波に乗ってリーナが調査兵団の持ち場へと辿り着くと、リヴァイの隣が人一人分空いている。エルヴィンと目が合うと当然の様にそこへ立てと目線で指示され、従ったリーナはその場所へ落ち着き休めの姿勢を取る。ちらりと左隣の上官を目だけで盗み見るがすぐに視線がぶつかり、慌てて顔を逸らした。

柵を隔てた目の前では跪いたエレンが後手に嵌められた手枷を支柱に固定されており、その先正面のひな壇の席では総統であるダリス・ザックレーが特別兵法会議を始めるにあたり口上を述べている。
民衆の混乱を避け暴動を未然に防ぐ為にも、上はエレンの存在を隠し通す様な事はしなかった。そして民衆は巨人化の能力を持つ彼を悪魔と呼び、また救世主とも呼ぶ。そんな振り幅の大きいグレーゾーンにある彼の動向を、調査兵団と憲兵団、どちらの兵団に委ねるか。すなわちエレンの命運がここで今日決まるのだ。
紙を捲る音だけがやけに響く暫しの沈黙を経て、総統から憲兵団に案の発表が求められる。


「はい。憲兵団師団長、ナイル・ドークより提案させていただきます。
我々は、エレンの人体を徹底的に調べ上げた後、速やかに処分すべきと考えております。彼の存在を肯定する事の実害の大きさを考慮した結果、この結論に至りました」


リーナは思わず息を呑んだ。
やはりどこへ行っても"殺す"という選択肢が正当性をもって重くのしかかってくる。エレンを英雄視するローゼ市民や商会関係者の間で高まりつつある反発による内乱が起こるのを、壁外への不干渉を貫く王都の有力者達は危惧していて、彼の力が巨人の襲撃を退けた事を配慮しても政治的に実害を招いたという事実からリスクの早期排除を望んでいるのだという。


「それから、憲兵団としてはそこにいるリーナ・ヴィントという調査兵も取調べの対象と考えております。ここの殆どの方が知るサラ・ヴィントの娘ではありますが、出身はシガンシナ区でエレンの生まれた時からの幼馴染みであり、彼の重要な過去を知る者ではないかと我々は推測しています。巨人の力が遺伝でなく何らかのきっかけで得るものであるなら、そのきっかけを知っているやもしれません。
彼女の身柄を憲兵団預かりとし、慎重に取調べたいと思っております。」

「そんな必要は無い!
奴は神の英知である壁を欺き侵入した害虫だ。それに加担する者も含めて今すぐに殺すべきだ!」


ナイルの口から出た言葉にリーナは目を白黒させた。
エレンの巨人化に関する重要な過去などこちらが知りたいくらいだというのに、幼馴染みだという事で何か知っているのではないかと疑われているらしい。予想外の彼の発言に、冷静にその意図を捉えるのに少し時間を要した。
突如自分が槍玉に挙げられ脳内で右往左往していると隣から小さな舌打ちが聞こえる。リーナが反射的に我に返ると眉間のシワを深くしたリヴァイが鋭い目つきでナイルを睨みつけていた。少し前、初めて師団長直々に憲兵団に誘われた時は思わずあたふたと狼狽えてしまったと小話代わりに思い出をリヴァイに語った折、彼の言う事で慌てるなと忠告された記憶が蘇る。



「ニック司祭殿、静粛に願います・・・
次は調査兵団の案を伺おう」


「はい。調査兵団十三代団長、エルヴィン・スミスより提案させていただきます。
我々調査兵団はエレンを正式な団員として迎え入れ、巨人の力を利用しウォール・マリアを奪還します。
以上です」



先程の憲兵団の提案と比べ簡潔に済まされたそれに僅かな静寂が法廷を包む。拍子抜けした様子の総統が僅かの間を置いて後が続かないことを確認すると、良く通る力強い声が即座に肯定する。


「彼の力を借りればウォール・マリアは奪還出来ます。
リーナ・ヴィントについては我々も憲兵団と同じ可能性を考慮し、厳密な聞き取りを既に行いましたが、彼女が両親を亡くしシガンシナを去るまでにはエレンの巨人化能力の兆候や情報は一切無かった様です。
彼女は兵士長補佐として、調査兵団特別作戦班を代表する精鋭の一人であり、兵団の重要な戦力です。
何を優先すべきかは、明確だと思われます」

「そうか。
ちなみに、今後の壁外調査はどこから出発するつもりだ?
ピクシス、トロスト区の壁は完全に封鎖してしまったのだろう?」

「ああ、もう二度と開閉出来んじゃろう」


「東のカラネス区からの出発を希望します。
シガンシナ区までのルートはまた、一から模索しなければなりません」



厳密なと称したのは誇大な表現であったが、彼女が嘘を吐く時の癖を知る者として先日の尋問結果は十分信用に値する、とエルヴィンは判断していた。 その落ち着き払った声色を聞いてもなお瞬きを繰り返して落ち着かない様子でいたリーナの、後ろで組んでそわそわと動かしていた指が突然優しく温かいものに包まれた。肩越しに振り返ればいつの間にか背後に移動していたハンジの手で、リーナがゆっくりと小さく頷いて見せれば眼鏡の向こうの瞳がほんのりと柔らかく見つめ返す。
過去幾度も世話になった見守る様な目線と慣れ親しんだ温もりに自然と安心感を覚え、背筋が伸び胸を張って対面を見据えることが出来た。

そして調査兵団側の主張が終わったとみるや否や、憲兵団側に立ち会う富裕層の市民らしき男が手を挙げると同時に発言し出した。今度こそ超大型の襲撃に備えて全ての開閉扉を封鎖し補強すべきと言うのだ。これ以上、巨人の侵攻を許さない為にも。しかしそれは調査兵団が壁外に出られなくなる事を意味する。つまり彼は遠征を止めろと言外に言っているのだ。そしてそれに乗じて勢い付いた周辺の男達も興奮した様子で声を荒げる。


「そこまでして土地が欲しいのか!商会の犬共め!
お前らは出来もしない理想ばかり言って我々を破滅に陥れるだけだ!これ以上お前らの英雄ごっこに付き合ってられない!」


商会の犬、理想ばかりの英雄ごっこ。シーナ内地の裕福な市民達は皆、調査兵団をそう称した。
限られた土地で限界まで食糧を生産しても足りず、北方の荒地を無理に開拓させられる者がいて、それでも満足な食事は一向に望めないーーーそんな市民がどれだけいるのか彼らは知らないのだ。その存在を気に留める事すらない。土地が足りていない事は明らかで、その為に四年前、マリアに住んでいた市民は口減らしされた。それでも尚この状態なのだから、マリアの奪還は一刻も早く成し遂げなければならない急務であった。壁を塞いで閉じ籠るだけでは緩やかに自らの首を締め付ける様なものだ。
仮に扉を頑丈に塞いでしまったとして、それを超大型が蹴破れないという確証は無いとすらリーナは考えていた。あの60mもある訳も分からない様な巨体が思い切り蹴ってもびくともしない補強の仕方など存在しない筈だからだ。



「よく喋るな、豚野郎・・・
扉を埋め固めてる間に巨人が待ってくれる保証がどこにある?
てめえらの言う我々ってのは、てめえらが肥える為に守ってる友達の話だろ?土地が足りずに食うのに困ってる人間はてめえら豚共の視界に入らねえと?」


喋りたい放題に騒いだ男をリヴァイがじとりと睨め付け説き伏せた。彼の言う通り、シーナやローゼの地で贅沢な暮らしをする富裕層はそれを失わず如何に更なる富を手に入れるかという事で頭が一杯の者が多過ぎ、それらが相手ではこの問題は話にならない。
リヴァイの眼光や言い分に怯んだ男がしどろもどろに、扉さえ封鎖すれば助かると言っただけと言い訳を吐き捨てる。するとその隣の司祭が凄い形相でその男へと詰め寄った。黒い祭服を身に纏い、それぞれの壁のシンボルを首に下げた"宗教"の者である。その司祭はウォール・ローゼという神の偉業に人間風情が手を加える事などあってはならない、と周りが口を挟む隙も与えないまま壁のいかに神聖たるかを叫ぶ様に捲し立てる。
漸く一通り話したらしく息を吐いたところで、すかさず総統が話を戻しエレンへと振った。調査兵団への入団を希望しているようだがこれまで通りに兵士として巨人の力を人類の為に行使出来るのかと質問を投げ掛けると、エレンはすぐに力強く出来ると断言した。それを聞いた総統は手にしていた書類を捲り、その文面を追う。



「今回の奪還作戦の報告書にはこう書いてある。
"巨人化の直後、ミカサ・アッカーマンめがけて三度拳を振り抜いた"と」



ひな壇を見上げていたエレンがはっとしたように調査兵団側の一点を見る。巨人化の直後は自我を保っていられなかったのか、人間としての意識が無かったのか、どういう事だと言いたげな焦りの表情である。憲兵団側が騒がしくなり、総統はじっとエレンを見つめた後ミカサ・アッカーマンを呼ぶ。アルミンの隣、エレンの視線の先から透明感のある凛とした声が響くと、彼女を認めた総統が報告書の内容を再び読み上げ事実確認を求めた。
少しの沈黙の後、はっきりと肯定の声が上がる。それに法廷がざわめき立つとすぐに、しかしと言葉が続けられた。


「それ以前に私は二度、巨人化したエレンに命を救われました。
一度目は、まさに私が巨人の手に落ちる寸前に、巨人に立ちはだかり私を守ってくれました。二度目は、私とアルミンを榴弾から守ってくれました。
これらの事実も考慮していただきたいと思います」

「それはどうだろう」



主張を聞き終わるなり、待ちかねたと言わんばかりにナイルが口を開いた。片手に持つ書類をちらつかせ資料を読み上げる。


「君の報告書にもそう書かれていたが、君の願望的見解が多く見受けられた為客観的な資料価値に欠けると判断した。それに君がエレンに肩入れする理由も分かっている。エレンの素性を調べるうちに六年前の事件の記録が見つかった。
驚くべきことに・・・この二人は当時九歳にして、強盗である三人の大人を刺殺している」



一度黙った憲兵団側が再び騒がしくなり、何ということだと恐怖の色を露わにする。
六年前といえば、リーナがシガンシナを去った後。記憶に残る小さく幼いエレンが凶器を使い人を殺していたとは、俄かには信じ難い。リーナは想像もしなかった事実に驚きを隠せず、目の前で周りを見回しているエレンをただただ見つめた。



「その動機内容は正当防衛として一部理解出来る部分もありますが、根本的な人間性に疑問を感じます。
彼に人類の命運・人材・資金を託すべきなのかと」


「なあ・・・悠長に議論してる場合なのか?
今目の前にいるこいつはいつ爆発するか分からない火薬庫の様なものだぞ・・・あんな拘束具なんか無意味だ」


少なくとも調査兵団側からすれば、憲兵団は深く考える事もせずにエレンの存在を恐れる事しかしていない様に思えた。実戦に参加して彼の力を目の当たりにした訳でもなく、ただ未知の存在への恐怖から保守派を擁護して処分を急いでいる様にしか見えないのだ。


「あいつらもだ!人間かどうか疑わしいぞ!」


先程壁を塞ぐべきと主張した男が調査兵団側を指して言う。
この人はもう何もかもが疑わしく思えるのではないか。話し合いが平行線を辿る予感に苛立ちを感じ始め力が篭ったリーナの指先をハンジの手が更にぎゅっと力強く包み込んだ。大丈夫だ、そう言ってくれているのだろうとリーナが小さく息を吐いてその手を握り返した瞬間、エレンの違うと叫ぶ声が大きく響いた。憲兵団側に並ぶ顔が一様に引き攣り怯えた表情を見せる。


「俺は化け物かもしれませんが、こいつらは関係ありません。無関係です!
それに、そうやって自分に都合の良い憶測ばかりで話を進めたって・・・現実と乖離するだけで碌な事にならない。
大体、あなた方は・・・巨人を見た事も無いくせに、何がそんなに怖いんですか・・・?」


エレンが身を乗り出す度手枷と支柱が悲鳴をあげた。彼に見つめられた師団長や市民の男性は顔を更に引き攣らせ、突然意思を覗かせるその様子に焦りを滲ませていく。


「力を持ってる人が戦わなくてどうするんですか・・・?生きる為に戦うのが怖いって言うなら、力を貸して下さいよ!
この、腰抜け共め・・・」


深く息を吸う音が届く。必死の形相で説く彼を誰も止めようとはしない。がちゃりと一際大きく金属音が響いた。


「いいから黙って、全部俺に投資しろ!!!」




法廷は水を打った様に静まり返り、誰かが小さく漏らした悲鳴で我に返った師団長が部下に命令し、背負った銃を構えさせる。エレンが小さくひゅっと息を吸い込んだ音がした。
発砲を覚悟して反射的に瞼を固く閉じるようとしたリーナの視界をその刹那、さっと人影が過ぎりエレンの姿を遮る。それは見紛う筈もないリヴァイの姿で、柵に片手をつき軽く飛び越した後瞬く間に中央へと躍り出た。
そしてそれに気が付かないエレンの顔面を、横から思い切り蹴飛ばした。間髪入れずブーツの爪先が腹に深々と刺さる。

一部始終を眺め何が起きたのかやっと頭が追い付いたリーナが柵に駆け寄ろうとするが、後ろで組んだ手が解けない。振り返れば優しく握られていた手は今や固く握り締められ拘束の体をなしており、眼鏡の向こうの瞳は真っ直ぐに目の前の光景を見据えていた。リヴァイがいた空間の隣に立つミケもその隣のエルヴィンも、皆無表情にその光景を眺めている。

痛みに歪むエレンの顔を踵で地面に叩きつけ上から頭を踏み付けたリヴァイが、そこにぐっと体重をかけ屈む。額を床に擦り付けられたエレンの周りには点々と血痕が散っていて、本当にこれは現実かとリーナはその目を疑った。


「これは持論だが・・・躾に一番効くのは痛みだと思う。今お前に一番必要なのは言葉による"教育"ではなく"教訓"だ。
しゃがんでるから丁度蹴りやすいしな」


またも鈍く響く嫌な音に、耳を塞いでしまいたくなる。顔面に入る膝、蹴り上げられる顎。エレンが必死に身体を丸めるのを許さないかの様に肩を蹴り上げ腹を蹴り、その音が聞こえる度に鼻や口から垂れた血が法廷の床を汚した。執拗に繰り返される一方的な暴力に呆然とする事しか出来ない。
リヴァイの語る持論もこの状況の訳も、リーナは理解出来ずにいた。ただ、リヴァイの足がエレンをひたすらに痛めつけて、エレンは抵抗することも出来ずに顔中から血を流していると言う目の前で繰り広げられる事実だけが脳に焼き付く。
目の前にいるのは果たして本当にリヴァイなのか。口が悪く無愛想で凶悪な目つきをしていても、人に暴力を振るうところなどは見たことがなく、側にいなかった時間の方が圧倒的に長いが、それでも優しい人なのだと、リーナは身に沁みて分かっていた。いや分かっているのだ。
けれど、苦しそうに喘ぎぼたぼたと血を流すエレンを見ていると、どうしてもそれが揺らぐ。
何故、涼しい顔をしてそんな事が出来るのか。

蹴り上げたエレンの顔に何でもないことの様に靴底を押し当てる彼の思惑が、リーナにはどうしても分からなかった。








190621 修正


back