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ざわりと場の空気が変わる。飼い犬に静かに牙を剥かれた様な、そんな感覚。それを作り出しているのは明らかに、牢の中で囚われているエレンであった。
悪くないと呟いたリヴァイがやおら牢へ歩み寄る。腕を組み格子の奥を睨み付ける眼光を真っ向から受け我に返ったエレンはリヴァイを冷や汗まじりに見つめ、刺さる様な鋭さに心臓が嫌な音を立てていた。


「俺はコイツを信用した訳じゃない。コイツが裏切ったり暴れたりすれば、すぐに俺が殺す。
認めてやるよ・・・お前の調査兵団入団を」


調査兵団の兵士の長として数え切れぬ程の功績を上げてきたリヴァイであるからこそ、何が起きようと責任を持って自分の手で即座に確実に仕留めることができる。それは他兵団の幹部にも理解を得られる程に信憑性の高いものであり、リヴァイもエルヴィンも、それを利用する他無いと考えていた。


「君の巨人化能力があれば、また一から始めなくてはならないウォール・マリア奪還の実現性も格段に高まる。我々の提案が上にすんなりと通る可能性はあまり高くはないが・・・」


腰を上げたエルヴィンがリヴァイを呼び寄せ、小声で会話を始めた。不安そうな顔をするエレンを見たリーナが格子へ僅かに歩み寄る。隔たれた向こう側の金色の瞳がふらふらと揺れ、何を言うべきかとしばらく言葉を探す。



「リーナ・・・俺たちあの頃、めちゃくちゃ心配したんだからな」

「ごめんね・・・
七年前、身寄りが無くなってしまった私が調査兵団で暮らせるように計らってもらえて、マリアを離れていたの」

「行く直前に一言くらいあったって・・・」

「うん、そうだよね。ごめんね」

「俺もアルミンも、大人が迎えに来て引き取られたってだけ聞いて、まさか攫われたんじゃないかって考えたりもした」

「心配かけちゃったね」

「まあこうして無事だったんなら良いけどよ。でもまさか本当に調査兵になってるなんてな」

「それはこっちの台詞だよ!何でエレンとアルミンが調査兵団に?お母さんは反対しなかったの?」



リーナの言葉にエレンは五年前の悲劇を思い出す。
巨人を一匹残らず駆逐する。その衝動の元凶となった巨人。目の前で散って行く母の血肉。にたにたと人類を嘲笑う表情。無力な自分。思い出すだけで全身の血が沸騰する。知らず知らずの内に握り締めた拳がわなわなと震え、それを見たリーナが心配そうに名前を呼び掛けた。


「母さんは死んだ。五年前、俺の目の前で巨人に食われた」

「え・・・?そ、そんな」


「オイ、さっきから何してる」


エルヴィンとの会話を終えたリヴァイの冷えた言葉が束の間の懐旧に浸っていた二人の間に滑り込んだ。怒りを露わにした声音に二人はぞくりと寒気を覚え身体を揺らす。そんなリーナにこつこつと踵を鳴らして迫ったリヴァイは目の前の華奢な肩を掴み、力を込めて握った。小さく唸る声を聞くなり、見下ろす視線を一層鋭くさせ更に詰め寄る。


「お前の耳は飾りか?無駄に喋るな、と言った筈だがまさか聞こえてなかったって事はねえよな?
昔馴染みだか知らんが、そんな情を持ってるお前にこいつは殺せねえんだろうが。大人しくしてろ。
まあ死にたいなら話は別だがな」


弾かれた様に顔を上げたリーナの薄墨色の瞳がリヴァイを捉えゆらりと揺れた。尚もリヴァイが手を緩めずにいると、眉間に皺を寄せて目を伏せ僅かに俯く。前髪で目元が隠れたことで泣くのかと心の中で身構えたリヴァイの予想を裏切り、微かに震える唇が動く。


「"そんな情"ってなんですか・・・?」

「ああ?」

「っ、"そんな情"って!
巨人になれる事なんて関係なく、エレンは大切な幼馴染みなんです!
そもそも、殺せる殺せないとか!なんでそんな事が言えるんですかっ!ここにいるエレンは人間じゃないですか!」


未だかつて声を荒げた事のないリーナの反抗が物の無い空間に大きく響く。格子の向こうのエレンも冷静沈着なエルヴィンでさえも、その気迫に目を瞠った。しかし腕を掴み相対するリヴァイだけは初めて目の当たりにしたリーナの怒りに全く動じる気配を見せずにいた。
暫し無言があった後、リーナの左肩をがっちりと掴んでいた手が一瞬でシャツとジャケットの胸倉を思い切り捻り上げた。お互いの鼻先がぶつかる寸前までその手を引き寄せたリヴァイの瞳は凍てつく程に冷たく、リーナの瞳を真上から射抜く。


「甘いんだよてめえは・・・!
どれだけ大事かは今どうだって良い。こいつが人間か巨人か、生かすか殺すかを決めるのはてめえでもこいつ自身でもなく、上の人間だ。
一人でどうこう出来ると思うな」


冷水を浴びせる様な的を射た言葉にリーナは押し黙り、反論が無いのを悟ったリヴァイが苛立ちを隠さないまま、その手を払う様にしてリーナを解放した。静かに成り行きを見守っていたエルヴィンがエレンの方へ向き直り、口を開く。


「・・・そろそろ行こう。
エレン、もう少しの間だけここで辛抱してくれ。我々が何とか話をつけてみる」



一声かけて階段へと向かったエルヴィンに続いて、黙ったままのリヴァイが静かにその場を後にする。
ぐっと拳を握り締めたリーナは一度牢の奥を見遣り、そこに座るエレンが口を開くより前に踵を返すとその小さな肩をいからせ足早にその場を去っていった。








190616 修正


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