フラウンス・マジック






「ちっ…あのクソメガネ…いつに
なったら帰って来やがる…」

「ハンジさん、また逃げちゃったの…?」

「ああ…今日が期限の書類が出てねぇんだと。モブリットが本部中探してもいねぇってんだから、外だろう」



壁外遠征を明日に控えた夕暮れ時。調査兵団本部兵舎の通用口にリヴァイとリーナは立っていた。遠征に参加する殆どの者には今日丸1日の休暇が与えられていたが、例の如く書類の提出を後回しに研究ばかりにしていたハンジはその件でモブリットに追いかけ回されていた。しかし途中で見失ったかと思うともうその後本部のどこにもいなかったという。そうなれば外出したとしか考えられない。こうして、捕まえて一発殴る為にわざわざ夕食後に玄関で待ち構えているのだった。
そろそろ辺りが真っ暗になる頃で、そうなれば馬車でもないと帰って来るのは困難だ。そう考えるとあの巨人馬鹿を殴り飛ばせるのも、もうそろそろである。
指を鳴らす音が鈍く響くと、不穏な空気を感じ取ったのかリーナがリヴァイのジャケットの裾を控えめに掴んだ。それでもそれを気にも留めない様に時折ばき、と音が鳴る。
大丈夫かな、とリーナがいつも無謀な事ばかりする彼女の身を案じ冷や汗をかき始めた時、馬の蹄の音が微かに耳に届いた。それはリヴァイも同じで、ブーツの爪先で床をこつこつと蹴り眉間の皺を更に深くしていく。その様子にまた本格的に焦ったリーナは裾を握る手に力を込めたが、いざとなればそんなものは何の効果も無い事は分かっていた。
かつりかつりと場に似合わない軽快な音が次第に大きくなり、遂に門の向こうから馬に乗ったハンジが現れた。入って来る前からにやついていた顔を玄関口に立つリヴァイとリーナに気付いた途端更ににやにやとさせ、手に持った荷物を振り回して奇声を上げた。
リヴァイの苛立ちを込めた盛大な舌打ちが響くが、皮肉にもそれに気付くのはリーナのみである。危険を察知してリヴァイを見上げてみるも馬上の能天気に笑う彼女をどう締めてやるかという事に意識が行ってしまっている様で、そうなれば到底止められそうにない。リーナは巻き込まれるまいとジャケットから手を離すのだった。




「お出迎えかい!?嬉しいなぁ!ただいま!」

「てめぇ…今日までの報告書があっただろうが…!」

「え、あー…うん、ごめんね。まぁでもこれからこれから!」

「明日は留守番にさせる」

「うわー!ごめんなさいってばあぁあ!
違うんだ!前々からリーナに可愛いお洋服買ってあげたくって、今日くらいしかないかなって…
ほらリーナ、お土産だよ!」



馬から降りたら終わる、とハンジも自覚しているのか、跨ったままでリーナを手招きして呼び寄せた。先程まで振り回していた大きな紙袋を手渡すと、開けてみるよう言う。
リーナが訝しみながらも恐る恐る紙袋を開けていくと、中にはピンクや白のレースが見えた。それを目にした時点で訳が分からなくなり固まってしまった彼女にハンジが笑いかけ中身を取り出させると、レースの正体はワンピースやチュニックのリボン、フリルなどの装飾部分であった。


「可愛いだろう!?
リーナが選ぶのっていつもシンプルなやつだからさ、店員のお姉さんにも相談して決めたんだ!
白いワンピースが部屋着で、ピンク系のものは全部お出掛け用だよ!どう?気に入ったかい!?」



呆れたという風にハンジを睨め付けていたリヴァイがリーナを見遣ると、紙袋と取り出された服をきつく抱いてそこに顔をうずめ、馬に跨るハンジの足に擦り寄っていた。予想以上の反応に2人が言葉を失っていると、ありがとうと微かな、しかしはっきりとした声がそれぞれの鼓膜を打った。我に返ったようにハンジが名前を呼べばゆっくりと顔を上げる。辺りが薄暗く分かり辛いが、肩がふるふると震えている様だ。しかし顔を見る限り泣いているという訳でも無いらしい。


「そんなに嬉しいのかい…?あはは、悩んだ甲斐があったなぁ!」

「帰ってきて…」



大袈裟に手を広げてみせたハンジのそれがぴたりと止まり、暫く黙って見つめ合った後、静かに馬から降り震えるリーナの頭をあやすように穏やかな手つきで撫でた。服を抱える腕に力を込めてまた俯くその顔は今にも泣き出しそうだ。リヴァイは小さく息をつくとそこへ1、2歩歩み寄り、ハンジの脇腹に勢い良く肘を入れた。


「こいつは明日は留守番だ。心配いらん」

「い、いたた…ってええ!?ちょっ待ってよ!私も行くって!
…リーナ、また買ってあげるよ?
そうだ、今度は一緒に選ぼう!リヴァイもエルヴィンも連れてさ!楽しみだろう!?」

「…ぜったい…?」



当たり前だろう、と頷かれ安心したらしいリーナは漸く顔を綻ばせた。もう部屋で寝る支度をするように言われると、少し考える素振りを見せる。


「今日、リヴァイさんと寝る…」

「そうだね、私もこれから書類を仕上げなきゃいけないし、エルヴィンもまだ忙しい筈だ。今日はリヴァイの部屋だね。
リヴァイ、よろしく!」

「……帰るぞ」



リヴァイがリーナの手を取り兵舎の中へと戻るのを見届けると、ハンジは手綱を引き馬屋へと歩みを進める。日付けが変わる前に調査前最終の幹部会議がある。それまでに報告書を完成させなくては後が怖い、といつになく機敏に通用口を後にした。




風呂から上がったリーナは早速貰った部屋着のノースリーブの白いワンピースに着替えてベッドに腰掛け、首にかけたタオルで髪を拭っていた。ソファーで本を読んでいたリヴァイはそれを閉じ、ぼーっとタオルを動かすリーナの隣に座って何も言わずにそれを取り上げると、水分を含んで纏まった金髪を力強くがしがしと拭き始めた。されるがままのリーナの頭が動きに合わせてがくがく揺れる。
リーナを引き取って半年も経てばこの髪を乾かしてやるのも慣れたもので、同じベッドにしっかりと寝かしつけた事ももう両手では数え切れない程ある。我々は親代わりなのだ、とエルヴィンは言った。例えリーナが嫌がろうとも、亡き戦友の形見として独り立ち出来るその時まで見守るのだと。実際、エルヴィンもハンジもリーナをまるで我が子の様に可愛がっている。
そしてリヴァイの中でもリーナは、少なからず知人という域からは完全に脱していた。困っていれば手を貸すだろうし、虐められていれば助けてやるだろう。きっとそこには何らかの見返りを期待する様な気持ちは更々無いのだ。

手に触れる髪がさらさらと乾いた感触に変わったのに気付いたリヴァイが手を止めタオルを畳めば、ベッドから降りたリーナがそのタオルを受け取って脱衣所へと消えた。その間に綺麗に伸ばしてあった上掛けのシーツを捲っておけば、程なくして戻って来たリーナがその中に入る。
窓際と入り口近くのチェストの上のランプに灯っていた火を消すと途端に部屋は暗闇に包まれ、差し込む柔らかな月明かりのみが僅かに足元を照らした。ベッドの大きくあいたスペースにリヴァイが身体を滑り込ませればリーナが更に壁際へと寄る。捲ってあったシーツを頬にかかる位にすっぽりと掛けてやり、片腕を枕にして寝転んだ。



「風呂場と洗面台と脱衣所の髪の毛は」

「うん…とった」

「あのタオルは」

「かごにいれてきた…」

「よし、ならいい」


この部屋で眠る時に決まってなされるその会話は、訓練兵団では内外の清掃もやらされるから、とリヴァイが掃除のいろはや汚いとは何たるかを叩き込んだ甲斐あってのものであった。それに満足そうに頷いて見せるとグレーの双眸がじっ、と無言で彼を見つめる。何だと問うと暫くの沈黙の後、震えた微かな声が目の前の小さな唇から漏れた。


「帰ってくる…?」


よく見れば瞳が頼りなく揺れている。リヴァイが空いた手で背中をさすれば、眠そうにとろんとした目の淵がきらきらと光った。


「また今度服を買いに出掛けるんだろう」


今にも溢れそうなそこに指の背を当て涙を拭い去ると、うん、と弱々しい返事が聞こえる。


「お前は思いの外そういうのが似合うらしい…次もハンジが行った店なら良いのがあるだろう」

「…でも、帰ってきてくれるだけでいい…」

「分かってる」



もう寝ろ、と再び背中を撫で軽く叩き、ゆっくりと寝かしつける。だんだんと呼吸が穏やかに規則的になっていき、強張っていた顔からも力が抜けた。年相応の幼い寝顔だ。
絶対に帰って来ると口に出して約束する事は憚られた。どう見積もってみても生きて壁内まで帰還出来る確率は100パーセントにはならない。ハンジもそれを十分に理解して、帰って来るとは言わなかったのだ。
また今度、出掛ける。その真意をリーナは理解したのだろう。ただその"今度"という機会が訪れる事を望んでいる。

サイドテーブルの懐中時計を見てベッドを揺らさない様慎重に抜け出したリヴァイは、椅子に掛けておいたベルトをもう一度足裏から順に装着し、最後に静かにジャケットを羽織った。




「あ、リヴァイ!リーナは寝た?」

「ああ。
…てめぇタイミング悪ぃんだよ。今更形見か?」

「いやぁ私もやってしまったと思ったよ…珍しく非番だと思ったら遠征前日なんだもんね。浅はかだったよ…可哀想な事をしてしまった」

「買ったもんは悪くねぇが…少しは考えて動け」

「え、あ!そうかもう着てくれたのか!気に入った!?似合ってた!?ずるいなーちょっと待っててよ見てから行くから!」

「阿呆、ふざけるな。ちっとも反省してねぇじゃねぇか…」



あまり不安にしてやるな、と言いかけたリヴァイはすんでのところで無意識にそれを飲み込んでしまう。
気付いた事があった。
何だかんだ言ってやはり、見守りたいのだ。あの少女がこの先強く真っ直ぐに生きて行けるように。
子供をもつ日は恐らく一生来ないだろうが、もしいたとしたらこのような気持ちになるのだろうか、とリヴァイは思う。家族とはこういうものなのだろうか。この胸に灯る献身の情は、世に言う無償の、家族に向ける愛情と似ているのではないか。

我ながら丸くなったものだ、と密かに嘲笑した。母も父も兄弟も知らず、愛など糞食らえと馬鹿にしていても、結局は人の子であったのだ。


今にも引き返して行きそうなハンジの襟首を掴み半ば引きずる様にして歩くリヴァイは、年齢的に親父は困る、兄貴がいいところだ、と知らず知らず口元を僅かに緩めるのであった。









*****
ひまりさん、改めて、相互リンクありがとうございました!いつもいつも本当にお世話になっております。
そして5万hit!おめでとうございました!!いつも素敵なリヴァイ、エレンをありがとうございます^ ^これからも微力ながら応援させていただきます!
相互のお礼とリクエストのお礼と5万hitの御祝い、としては割に合わない…という事の無い様に気合いを入れて頑張ってみましたが、いかがでしたか…?イメージと違う、などありましたら何でもお気軽に仰ってください!
最後になりますが、番外編のリクエスト、ありがとうございました。この連載を気に入っていただけただけでも本当に嬉しいのですが、過去設定の内の一コマも読みたいと思ってくださるなんて、私は幸せ者です…!内容も自由に書かせていただけて、とっても楽しく進めることが出来ました。ありがとうございました!
不束者ではございますが、これからも私共々、Lichtを宜しくお願い致します!


back