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昼時から少しずれている所為か風通しの良い中庭に人影は見当たらない。芝を踏み分け木の幹に凭れて座り膝にトレーを乗せれば、爽やかな風が草花を揺らし頬を撫でて通り抜けた。高く昇った太陽は絶え間無く燃え、真っ青に晴れ渡った空にはその日差しを遮る物は一つもない。
もしも昨日壁が壊される事が無くいつも通りの日常だったなら、幾度となく繰り返されて来た凄惨な過去を置き去りにする様に、壁の内側では今日も明日も何て事の無い穏やかな時が流れて行っただろう。

五年前、シガンシナ区が陥落しウォール・マリアまでもが破られ、マリアの全域が放棄された。そして避難民はマリア奪還作戦で大幅に口減らしされ、それでも養うことが出来なかった多数の避難民は老若男女問わず開拓地へと送られた。
万が一ウォール・ローゼが破られる様な事があればマリア奪還以上の口減らしは避けられない。いくら備えたところで食料には限界があり、人間同士の争いが起こるのは目に見えてる。だからこそトロスト区の壁が破られたと分かった時、誰もが最悪の事態ーーーーローゼの放棄とシーナの危機を想定した。しかし報告によれば超大型巨人がトロスト区の開閉扉を破ったのみで、五年前にウォール・マリアを破ったとされる鎧の巨人が現れることは無かった。結果、トロスト区の奪還によって巨人の侵攻を防ぎ、今この瞬間も人類はこのローゼの地に立つ事が出来る。

しかし何故今回、鎧の巨人は現れなかったのか。人間を喰らう為に壁の中に侵攻したいのならば、五年前にしたのと同じ様にトロスト区からウォール・ローゼの内門を破れば良い。それなのにそれをしなかった。ただ単にウォール・ローゼの破壊は目的では無いのか。それともしたかったのに出来なかったのか。ローゼの破壊が目的ではないならばより沢山の人間を捕食する事が目的では無いという事になるし、そうなったらそもそもトロスト区に侵攻したりはしないだろう。
ならば内門を破るつもりがそれが出来なかったという事になるが、それは即ちその場その場の状況を判断して動いているということに他ならない。つまり巨人が、考える力ーーー知性と言える物を有しているという事だ。
仮説を立てておきながら俄かには信じ難いが、思い返してみれば、超大型巨人はシガンシナ区でもトロスト区でも開閉扉を破っていたし、鎧の巨人もウォール・マリア内門の開閉扉を破ったのだ。壁の一番強度の弱いところを的確に狙っていると言える。それに超大型も鎧も、討伐に向かう前に忽然と姿を消したと報告されている。つまりその二体は人間を喰う事はせず、自らの役割のみを忠実に遂行した。超大型が壁を破り、鎧が内門を破る。恐らく今回もその予定だったのだろう。しかし超大型がトロスト区に穴を開けるまでは良かったが、その後不測の事態の発生により鎧が内門を破れなくなった。

報告によれば、エレンは自分の意思で巨人になる事が出来て、アルミンが引っ張り出した様にまた人間に戻れる。そしてそれは、人類が誰一人予想だにしなかったまさに不測の事態であったのだ。だが南側領土を統括するピクシス司令はそれを即座に利用。巨人となったエレンに岩を運ばせ穴を塞ぐという不確定要素を多分に含んだ作戦を敢行し、その結果トロスト区の奪還が成功したらしい。調査兵団が駆け付けた時はまさにその作戦遂行の瞬間だったという訳だ。見ていた限りでは、もう一度超大型が現れたという様な作戦の遂行を妨げる事例は発生しなかった。

そこから現時点で仮定出来る事は、超大型と鎧にとっての不測の事態とは人類のそれと同じくエレンの巨人化能力であり、それを目の当たりにして、ウォール・ローゼを破ったりもう一度穴をあけたりするどころでは無くなったのであろう、という事。
確たる証拠は無いが、超大型と鎧はエレンの様に巨人化能力を持つ人間である可能性がある。それならば超大型と鎧に知性がある事にも辻褄が合うのだから、可能性は限りなく高いだろう。
すると、壁を破る事が彼らの目的ならば壁を塞ぐ事が出来るエレンの存在は邪魔になるだろう。エレンの存在を消すか、仲間に引き入れるか。いずれにしても、いつまでも野放しにはしておかない筈だ。超大型と鎧の元の人間は壁内でその機会を伺っている、というのは十分に有り得る。それならばその人間を見つけて、


「オイ」

「っは、はい!」


突然近くで響いた低い声に飛び上がる様にしてリーナが顔を上げれば、腕を組み眉間に皺を寄せたリヴァイが目の前にしゃがみ込んでいた。近付いて来ていた事に全く気付かず、意外と近いその距離に驚いてトレーを膝から落としそうになり、食器とスプーンががちゃがちゃと音を立てる。


「・・・何してんだ」

「あ、いえ!あの、食堂が、ハンジさんが!もう話が始まるとすごくて!」

「は?」

「あ、今何をということですか!?
えっと、あの、お昼ご飯です!」

「まあ何でも良いんだが。お前、スープにスプーン突っ込んだまま長いこと下を向いてたぞ」

「えっ」



そう言われれば考える事に夢中になって手を動かしていなかった様な気もした。じとりと訝しんだ目で睨め付けられらば何も言えず、はははと乾いた笑いだけが口から滑り落ちる。話すべきだろうか。あくまで全て可能性でしかない様な、一個人の推測を。果たして聞いてもらう様な価値があるだろうか。再び考え込んでいるとと小さな舌打ちが聞こ目の前にあった姿は隣に移動し、そのままどさりと地面に座り込んだ。僅かに幹が揺れ、同時に心地良い風が吹き抜けて行く。触れ合った肩が微かに温かい。



「眠れていないのか」

「えっ・・・あ、いえ!睡眠は足りていると思います」

「そうか」


暫くの沈黙の後リヴァイが食事の続きを促す様にスープの入った皿を突き、リーナは弾かれた様に慌ててスプーンを動かす。
すっかり冷めていたが芋の味がしっかりと感じられて口触りも良い。冷たい所為か味もいつもより気持ち濃いように感じた。



「オルオが言っていた通りだ。お前は特別作戦班の副班長に任命され、同時に兵士長補佐になった」

「兵士長、補佐・・・」


調査兵団に入団すれば間もなく兵団内の仕組みについても学ぶ。分隊長以上になれば、直属の班の副班長がその班長の補佐を兼任するのだ。ハンジでいうモブリットの役割であった。



「俺は直属の班を持たないでいたから補佐が居たこともねえ。正直言えばそんなもん居ても居なくても変わらん」

「そう、ですか・・・」

「だがお前に任せてやることにした」


辞令を聞いた時から感じていた事ではあるが、ただの一班員であったのに兵士長直属の特別作戦班の副班長で兵士長補佐とは、急な上に昇進し過ぎている。オルオが認められないと主張するのもその証拠だ。今回この班に選ばれた四人だって、候補にならなかった筈は無い。やはり私には、と口から出る直前横を見れば彼はどこか遠くを見つめており、見慣れぬ気を張らない様子に何をどう言えば良うべきか戸惑ってしまう。



「決めたのは俺とエルヴィンだ。奴はお前の能力と素質を見抜いている。
その上でお前にこの席を任せられると判断した」

「そ、そんな」

「俺も同じだ」

「わたし、なんかが」

「俺達はリーナに賭けた。お前が強くなると信じて疑わない」

「は、い」

「あっさりくたばってみろ。呪うぞ」

「ぅ・・・っはい」


「ったく、泣くな」


生きながらにして死者を呪えそうだとか、汚いと言いつつハンカチで拭いてくれるのかとか、期待してもらっているんだとか、頑張って良かったとか、先輩たちを守りたかった、とか。
様々な想いが膨らんでは弾けて溢れるのに言葉に出来なくて、代わりに涙は止まらない。嗚咽の中から辛うじて感謝の気持ちは聞き取ってもらえたようで、いいから早く泣き止めと荒々しく頬に伝う涙を拭われる。



「お前、"小鳥"なんだとよ」

「へ・・・あ、ペトラとオルオが、"小鳥さん"って」

「ひと月前の遠征でお前を助けるのに連れて行ったハンジの班の奴らが言い出したんだと。小さな赤い鳥が飛んでるみたいだー、ってな」

「え、えええ・・・」

「あんなもん俺に言わせりゃまだまだだがな」


すっと立ち上がったリヴァイはもう一枚ハンカチを取り出しズボンに付いた土埃を払うと、何事も無かった様に颯爽と兵舎に向かって歩き出す。前置きの無い機敏な動きにリーナは慌てて膝の上のトレーを下に置き立ち上がった。



「リヴァイ兵長!私、強くなります!
絶対に、間違いだったなんて思わせませんから!」


リーナが敬礼して腹に力を込めそう大きな声で発言すれば、リヴァイは歩みを止め首だけで振り返る。四六時中眉間にこびり付く皺を微かに緩めたかと思えば、再び向き直って歩みを進めるのだった。







190611修正


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