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「おはようございます・・・」




トロスト区の壁の穴は謎の巨人によって塞がれ、壁内に残った巨人は壁沿いの個体は榴弾で死滅させ、街中から出ないものは帰還した調査兵団と駐屯兵団とが分担し掃討を完了させた。街の復興の目処も立たないほどの膨大な死者数を出したものの作戦は一旦は収束し、一夜明けて遺体の回収と身元確認作業が始められている。残党の掃討にリヴァイと共に携わったリーナはその後兵舎に戻った後も彼にそれ以上失態を咎められる事は無く、必要以上の言葉を交わすことも無いまま一日を終え、それを未だに気に病んだまま朝を迎えていた。
机に向かい黙々と執務するリヴァイはリーナの挨拶に淡々と相槌を打ちそれ以上の事は口にしない。その様子は一昨日までと何ら変わりなかった。
リーナはローテーブルの端に邪魔にならないよう整頓し積み上げていた書類を手に取り、ソファーに浅く腰掛ける。それは全兵が提出を義務付けられている報告書で、今回は壁外調査報告と奪還作戦及び作戦後の掃討報告の二本立てになっており書類の枚数もいつもの比ではない。しかしその紙の束の分厚さを憂う程の余裕は今のリーナには無く、事務的にペンを走らせながらも頭の中を占めるのは自分の失態と、あの二人の少年の事である。

するとリヴァイが唐突に立ち上がり机上に並べていた書類を纏め出す。とんとんと書類の端を合わせて机の端に寄せいつも通りの状態に戻すと、ドアの方へと歩き出した。


「行くぞ」

「は、はい!」


リーナが遅れながらも後を追い付いて歩いていると人気の少ない廊下に出る。そこは団長執務室のある廊下で、リヴァイとリーナを呼び出したのはその部屋の主であった。リヴァイがノック無しにドアを開けるとやあ、といつもの挨拶が交わされた。エルヴィンも今回は執務机から離れるとリヴァイに向かい合う形でソファーに腰掛ける。最後にリーナがリヴァイの隣に腰掛け、口を閉ざしたままの幹部二人の痛い沈黙に膝に乗せた手をきつく握って俯いていると、不意に碧眼が真っ直ぐにリーナを見据えた。視線を感じると肩を揺らして恐る恐る顔を上げ、彼に向き合う。


「エレン・イェーガーの事だが」


真剣な眼差しがリーナを射抜き、圧迫感をもって二の句を継ぐ。


「彼を知っているね?」


確信がある、とその瞳は語る。昨日の行動で勘付いたのだろうことは想像に容易い。それに加えエルヴィンもリヴァイも、リーナの過去を知る人物である。リーナ自身が所々穴があき靄がかかって不明瞭に感じている記憶の隙間を埋めるピースを幾つも持っているのだ。その証拠に、小さな頃話してくれたお友達だったかな、と表情を変えず促す。


「そうです・・・エレンもアルミンも、幼馴染みでした」


昨日顔を合わせた事によって蘇った、シガンシナ区に住んでいた幼少期の友人の記憶。ほとんど毎日一緒にいた三つ年下の男の子達。どこで何をして遊んだか、細かくは覚えていない。ただ、喧嘩っ早いエレンを止めて巻き込まれるアルミンを守って、笑い合って。幼い頃の私はそれを目の前の二人にも話していたらしい。


「リーナは何も知らなかったのか?」


彼が巨人になることが出来る事について。エルヴィンの口からそう続けられた。
あの瞬間から、薄々は感じていたのだ。巨人の身体から、それも口ではない所から、引っ張り出されるエレン。自分は何も言葉を発せなかったが周りの声は耳に入って来ていた。ただ信じたくなくて、聞こえない振りをしていただけで。だってエレンが巨人だなんて、可笑しいじゃないか。


「・・・そんなの・・・」

「オイ・・・どうなんだ」


エルヴィンから目を背ける事も出来ないまま、視界の端のリヴァイからひしひしと感じる鋭い視線も痛い。しかしどうなんだと詰められたところで、リーナ自身事実を聞かされて尚信じられないくらいなのである。思い当たるような事は何もなかった。


「知りませんでした。仲良しだった、はずですが・・・」


目を逸らさず伝え切ると、瞬きを忘れた様に見るものを貫く青の瞳がおもむろに閉じられ、次に開いた時には落ち着いた輝きを湛えたものへと変わっていた。


「そうか・・・
教えてくれてありがとう。済まなかったね」


向かいから節くれ立った大きな手が伸ばされ頭に乗る。不穏な空気が綻び久しぶりに見る彼の優しい目元に、気付かれぬ様小さく安堵の溜息を吐いた。そのまま頭を撫ぜられる。


「リヴァイ、もう良いぞ」

「・・・ああ。班の事もある、戻るぞ」


言うが早いか立ち上がり部屋を出て行くリヴァイを追うべく、リーナも勢い良く立ち上がった。



「・・・リーナが素直で、助かった」

「え・・・?」


未だ向かい側に座るエルヴィンが不意に小さく呟き、辛うじて拾えたその言葉の趣旨までは分からず足を止める。だが彼はそれにすぐに気付くと、置いて行かれるぞと微笑みと共にドアを指差し、リーナがその言葉の意味するところを知ることは出来なかった。

日々利用している執務室の前で漸く追いつくとリヴァイがドアを開け奥の椅子に体を預ける。リーナもそれに続いて部屋に入り静かにドアを閉め振り返ると、片手に持った書類を睨み付ける彼は空いた手で小さく手招きした。それに従って机の前に立つ。


「こいつらにしようと思う」


ぱさり、と乾いた音を立てて目の前に置かれた書類には細かい字がびっしりと詰まっており、リーナがそれを手に取ると一兵士の個人成績であることが分かる。一人につき一枚のそれが四枚纏められていた。

「私が読んでもよろしいのですか?」

「お前が下手に口外しなければな」

「も、もちろんです」


律儀に断り規則正しく並ぶ文字に目を通す。討伐・討伐補佐数と班長からの評価、前回と前々回の報告書の一部等が事細かに記されているようだ。そして早くも、目に飛び込んできた一枚目の討伐数に息を呑んだ。

"討伐三十九体・討伐補佐九体"

数多の死線を潜り抜けて来た古株かと思いきや、自分と同年齢の男性。誕生日も近いため勝手に親近感が沸くがその成績にはただただ目を見張るばかり。記憶力が特別良い訳ではないがそれでも聞き覚えがある名前だった。
協調性に富むとは言い難いながらも班員からの信頼は厚く、努力を惜しまない向上心も評価するに値するものである、と報告されている。毎回索敵の位置に置かれているらしく、相当な実力者であることが見て取れる。
それを静かにめくると、次もやはりずば抜けた戦績が目を引く。

"討伐十四体・討伐補佐三十二体"

二十歳男性。落ち着いた性格で状況判断に長け、補佐の役割をしっかりと認識していて確実な討伐を補助し、討伐役の兵士にその都度順応出来る柔軟さ故に信頼を寄せる仲間の数も多い、とある。報告されている補佐内容も的確で非の打ち所が無く、聡明な人物の様だ。主に索敵に置かれる兵士らしい。
再びページを捲る。

"討伐十体・討伐補佐四十八体"

リーナと同じ年齢の女性だった。何となくではあるが聞き覚えのある名である。
女性にも拘らず先の二人よりも巨人の討伐に当たった数が多く、精鋭の男性兵士にも劣らない戦闘力を持つことが分かる。協調性があり任務遂行への意識も高く努力家、また精神的にも班員の支えになるなど公私を問わず信頼される人物だと評されていた。毎回の報告内容を見ても素直さやひた向きな姿勢が伝わり、索敵の位置に居ながらも不安を越える目的意識の高さが伺える。
再び捲れば、最後の一枚になる。

"討伐七体・討伐補佐四十体"

二十歳男性。真面目で寡黙な性格だが輪を乱す様な事は一切無く、作戦の立案や助言等で班員からの信頼を集める人物であるらしい。報告書には索敵で討伐に当たった巨人の性質を詳らかに記しているようで、次回に役立てようとしている事が見て取れる。
字を追うリーナの目線で読了を悟ったリヴァイが口を開いた。


「一枚目の奴以外は昨日の遠征で途中援護に来ていた」

「あ・・・!」

「一枚目の奴も同期で班長からの評価も高い。
ああ、お前より上の歳の奴もいるが全員お前と同期のようだな」

「そうでしたか・・・!
他の訓練場の方と全く接点が無かったもので、まさか同期だとは」


徐に椅子から立ち上がったリヴァイはリーナの隣にどさりと体を預ける様に座り、どうだとリーナに問いかける。しかしリーナは班員の選抜とは班長や幹部にのみ与えられた権限であるため口を出せる様なものでは無いと自覚しており、そもそも彼らには文句の付け所が無い為勢い良く首を横に振る。
寧ろ内心では自身がこの班に所属するという事に問題がある気がしてならないのだった。


「私が口を出すような事ではありませんから!」

「いい、聞かせろ」

「は、はい・・・
そう、ですね・・・彼らの実力は昨日間近で目にしましたし、全員周囲からの信頼の厚い人達だとありますから、心配は不要かと」

「そうか。なら良い」


恐縮し切りのリーナの頭に横から手が乗る。先程のエルヴィンよりぎこちない、しかし優しい手ががしがしと柔らかな金髪を撫ぜる。予想外の行動に驚いたリーナが反射的に向き合うと、その顔に普段の険しさは無く、代わりにいつもより気持ち細められた双眸と視線がぶつかった。


「・・・リヴァイさん」

「なんだ」

「昨日は申し訳ありませんでした。私に力が無いばかりに、あの場の全員を危険に晒してしまいました」


小さく動いていた頭上の手がぴたりと止まる。


「友人に気を取られて巨人に気が付かないとは兵士失格です。そしてそのミスに今度は混乱して・・・兵士として最悪の振る舞いでした」

「ああ、その通りだな」

「・・・私が、この班にいて良いのでしょうか・・・」


語尾につれてその声は小さくなりつられる様に顔も俯く。少しの沈黙の後、止まったままだった手ががっしりとその頭を掴んだ。そのまま強引に引き寄せられお互いの顔が近付く。


「誰よりも早く指名された奴が言う事じゃねえな。弱いと思うのなら努力しろ。言った筈だ、強くなれと」

「は、い」

「今まで以上に鍛えてやるから覚悟しておけ。他に遅れを取る様なら承知しねえ」

「勿論です、よろしくお願いします!」


鼻を鳴らしたリヴァイに勢いを付けて頭を放られ、重力のままに首が仰け反ったが、伊達に鍛えていない体では転倒することもなくすぐに体勢が元通り整う。
間違い無く四人全員が兵団を代表するエリートであるが、追い付いてみせる。迷惑をかけず足を引っ張らない様にするのではなく、この班で役に立つ存在になれる様に。飛ぶことに関しては、誰にも負けたくはない。



「そういえば先程団長に、私が素直で良かったと言われました」

「ああ・・・お前が嘘吐けないからだろう」

「へ!?」

「自覚はねえのか。まあそれはそれで助かるが」

「どっどういうことですか!」












190606 修正


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