11










「調査兵団兵士長リヴァイ様、リーナ・ヴィント様、お越しでございます」


玄関ホールのフットマンの凛と響く声にざわり、と大広間で控え目などよめきが起こる。暫くしてしとやかに大広間に現れた小柄な男女。周りには早くも人が集まりその姿は埋れてしまう。
すぐに目の前で先客の自己紹介や連れの紹介が次々と始まりリヴァイの眉間にも段々と皺が寄った。それに焦りを感じたリーナが相槌を打ち挨拶をする等して振られる話をなんとか躱す。暫く笑顔で同じ事を繰り返していると、薄暗い大広間に大きな声が響いた。



「お待たせ致しました。紳士淑女の皆様、今宵はご列席いただき感謝申し上げます。
既にご存知の方もおられますが、今回が初めてのご参加となるお客様もいらっしゃいます。いつにも増してお楽しみいただけるかと存じます。
では、始めましょう」


ホストの挨拶が終わるのを合図に演奏が始まり、数組のペアがおもむろにダンスホールへと出ていく。



「さっきの奴が来るぞ」


リヴァイの声にリーナが顔を上げると、談笑する人々の間、少し距離のあるところをこちらに向かって歩いてくる人影があった。先ほど全員の前で挨拶を述べていた男性だ。


「リーナ様、ですね?」


静かな足音が目の前で止まる。にこり、と人当たりの良い笑顔を浮かべたすらりと背の高い目の前の男性は、リーナの想像よりも随分と若かった。主催者はサラを気に入っていたということなので若くても三十代後半だろうと考えていたのだが、目の前の青年は二十代、どう年上に見積もっても三十代前半だ。想像以上の爽やかさに驚き挨拶が遅れてしまったが、すぐに我に返りはい、と返事をし相手の名前を確認してから片足を引いて小さく頭を下げ当たり障りのない自己紹介をする。


「来ていただけて嬉しいです。
父はサラ様に来ていただくことが出来なかったようなので正直なところ、今回も望みは薄いと周りに散々に言われていたのですけれど・・・
どうやら賭けは僕の勝ちのようだ」


どうやら彼は噂のバルト公のご子息であり、彼が今回の主催者であるらしかった。予想よりも若く年齢がいくらか近いおかげで、笑顔も言葉も親しみやすく感じる。
すると不意にとられたリーナの左手の甲に唇が落とされた。こんな形の挨拶をされるとは想定外であり、何となく気分の良いものではない、と本能的に身体が強張る。


「早速、僕と踊っていただけませんか」

「は、はい・・・」


一瞬隣に目線を移すとダークグレーの瞳と真っ直ぐにかち合って、昨晩彼に教わった事を思い出した。


「あ、の、ダンスをするのは初めてで・・・」

「もちろん、僕が喜んでエスコート致しますよ。
リヴァイ兵士長、リーナ様と踊っても?」


「・・・構いません」



一言ぼそりと漏らされた彼の聞き慣れない敬語に驚いたリーナであったが、早々に手をとりエスコートする青年に阻まれ振り返る事は叶わなかった。
そのまま広々としたダンスホールへと出て、手を握り腕を回し、流れる音楽にステップを踏み始める。初対面の彼の手が腰に回り体が密着するとぎくりと心臓が音を立てた。触れられている箇所の感覚が鋭敏になり、昨日相手していたリヴァイとは違う触れ方に違和感が拭えない。


「ワルツです。基本はご存知で?」

「はい、何とか」

「それならばきっと大丈夫でしょう。リード致しますから、気を楽にしてください。
足を踏んでもらっても構いませんよ」

「そ、そんな・・・」


朗らかな笑顔で冗談を言ってみせる目の前の青年には、内地の貴族というよりも一人の大人な男性という印象を受け、当初の身体が固まるほどの緊張も少し緩んでいた。しかし流れるように曲が進むにつれ、この状況がやはり自らには相応しくないものだと改めて実感していく。
僅かな光を灯し柔らかく煌めくシャンデリアも。外からの月明かりで輝く壮大で繊細な装飾も。並べられた有り余るほどの豪華な御馳走も。周りの列席者の優雅な服装も。薄暗く妖艶な雰囲気の漂うこの会場も。全て自分ががいるべき場所だとも、ここが好きだとも思えなかった。今この瞬間はこれが仕事であり重大な任務なのだと分かっていても、胸の奥がずしりと重い。



「お上手ではないですか!
お仕事の合間に練習されたのですか?」

「はい、リヴァイ兵士長について頂いて」

「ああ、そうでしたか!人類最強の兵士がダンスも見事にこなすとは」

「そう、ですね・・・彼は兵士としては唯一無二の存在で・・・兵団内外を問わず数多の憧れを一身に受けています」

兵団に興味を持ってもらえるよう予定通りリヴァイの話題を続けるリーナが内心はたと思い返してみると、彼がダンスを踊れる理由は不明なままであった。教えてもらえと指示があった時には確かに驚いた覚えがある。内地の貴族を酷く嫌っているようだし、過去に何かあったあったのだろうかと、曲の終盤のステップを踏みながらそんな事が頭を過る。マナーやプロトコールなどの格式張ったものでも基本はほとんど知っていたし、敬語を使うなんて今までは想像も出来なかった。リーナの全く知らない彼がそこには居る。
この場所で唯一自分を知る人であるのにとても遠い存在に感じ、足元が暗くなるような孤独感に襲われた。
そして曲が緩やかに変わり、足も自然に止まる。


「曲も変わったことですし、一旦終わりましょうか。初めてのダンスでお疲れでしょう。兵士長のお側までお送りしますよ」


そう言って青年は上品にリーナの手を掬い上げ、会場の隅へと歩みを進めていく。先程のダンスホールとは少し離れ奥まった場所。柱やテーブル等で少し隔離されたような印象を受けるそこは薄暗いというのに人が集まっていて少し騒がしかった。その中には女性の姿も多い。
人垣の間から、見慣れない礼装姿のリヴァイの後ろ姿が目に入る。傍らには大きな台。それを見知らぬ数人の男性と共に囲んでいる。身なりの良い彼らだがパイプを咥え煙をくゆらせているのが何人かいる所為で一層怪しげな雰囲気を醸し出していた。


「あ、れは・・・ビリヤード?」

「さっき踊っている時に兵士長殿が誘われているのが見えましてね。どうやらビリヤードをなさる姿が貴重で女性も集まったようです。
尤も、兵士長が舞踏会に御臨席なさる事自体が珍しいのですが」



そう説明した隣の青年の言葉はリーナの耳を左から右に抜けていった。真剣な眼差しで黙って思案する姿さえ普段のそれと少し違うものに見え、キューで撞く動作、手球の回転、的球の行く先、どう見ても初心者の技術ではない。丁度勝負が終わり、勝利したらしい彼を讃える声が飛び交った。


「どうやら勝たれたようですね。彼はこんな事まで出来てしまうんですか」

「・・・私も、知りませんでした・・・」


リーナが呆けている間も、近くに集まる女性陣からはささやかな黄色い声が聞こえてくる。
早くも次のゲームが始まり彼の順番が来ると、またも周りが沸いた。的確に自分の番だけでいくつもの的球を落としていく。その姿には兵士であるにも関わらず周りのプレイヤーとの熟練度の差がありありと感じられた。
リヴァイがビリヤードが得意という話は聞いた事が無く、彼の過去との関連をあれやこれやと推察して黙り込んだままだったリーナは再び飛び交う黄色い声に弾かれた様に我に返り、周囲の注目の的を探す。



「ねぇご覧になって!あれはーーーー!」
「まあ!本当にお上手なんですのね」
「兵士とは思えない腕前だ」


相変わらず熱い視線が注がれる彼は、台に乗り上げキューを背面に構えて真剣な眼差しで手球を見つめていた。彼の足の長さには前々から感心していたものの改めて見せ付けられるとスタイルの良さに羨望さえ抱く。鍛えていて柔軟性もある所為か構え方もとても様になっており、違和感は微塵も感じられなかった。


「バックハンドか・・・
なかなか慣れていそうな雰囲気だけど、あれを決められる人はそうそういないですよ」

「そうなんですか・・・」


周りが固唾を呑んで見守る中、緊張の欠片も見せない彼が撞いた球は見事先の的球に当たりポケットに落ちた。またも彼の勝ちでゲームが終わる。数時間前まで同じ場所でいつも通りに言葉を交わしていたのに、まるで違う世界の知らない人の様に振る舞う彼が遠い。元来、リーナがその背中に手を伸ばしたところで届く様な存在ではないのだが、そこに横たわる距離は今や彼が霞むほどに開いていた。



「大丈夫ですか?少し外へ出ましょう」

「え・・・は、はい」


青年が再びリーナの手を取ると近くのテラスに連れ出そうとエスコートする。素っ気ない受け答えの上黙り込んでいたリーナに気を遣ったらしかったが、それに自覚は無いリーナは不思議そうにしながらも手を引かれるままに一歩踏み出した。彼女は踵を返すその瞬間まで人だかりの中のリヴァイを見つめていたが、不機嫌そうなその瞳がリーナを捉える事は無かった。









190601修正


back